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柘彦さんのことを心配こそすれ、奥さんのすることがあまりに酷いじゃないかとか。こんなに彼をこき使って自己中心的なわがままな人だとかそんな考えまで頭に浮かんでたわけじゃない。
もう少し彼を休めてあげればいいのに、と感じてても呉羽さん本人がどうこうってところまでは思いは及ばなかった。そこまで彼女自身に意識が向かない、柘彦さんのことだけで頭がいっぱいだったって言えばそれはそうなんだけど。
しかし改めて思い返してみれば、よりによって新婚の奥さんの目の前で彼に追いすがって無理はしないで。行きたくないならそう口に出してはっきり断って、みたいに周囲を気にせず全身で訴えたりしたらそりゃ、一体この子何が言いたいの?僭越じゃないのと腹も立つよね。奥さんが知り合う前から何となく近しく接してたらしい、なんて情報があるならなおさら。
この人は今はわたしの夫なんだから。あんまり傍から我が物顔で気遣いとかしないでよ。自分が一番彼のことを思ってるみたいな顔して、差し出がましい子だとか実はずっと思われていたんだな。それは、まあ。…怖い。かも、確かに。
だけどじゃあ、どうすればいいかっていうと。彼を会食だのパーティーだのと自分の持ち物みたいにひけらかして連れ回すのはやめてほしい、って思いは変えられないし…。
いろんなことがぐるぐる頭を巡って黙り込んでしまったわたしの背中越しに常世田さんの遠慮がちな声が響いた。
「…ひと段落ついたみたいですね。ちょっと、お茶でも淹れましょう」
「え、いいの?何だったらわたしが淹れるよ。ちょうど仕事も区切りついたし」
茅乃さんが腰を浮かしかける。常世田さんは気さくな口調で彼女を軽く制した。
「僕も一区切りしたとこなんで。自分が休憩したいだけだから、ついでですよ。奈月さんはコーヒー?麦茶とか、冷たいものがいいかな」
「あ。…皆さんと同じで。すみません」
OK、と気軽な声で応じて給湯スペースへと消える彼の背中に向けて思わず頭を下げる。
常世田さんの姿が仕切りの向こうに消えたところで、茅乃さんはそっちとの距離を測るようにしばし様子を伺った。
それからふと更に声を落とし、わたしに向き直ると改まった態度で切り出す。
「あんたさ。…あの、何となくわかっちゃったんだけど。別に監視してたわけじゃないよ。最近、哉多と仲いいんだね?よくその…、行き来してるでしょ。部屋を」
う。
話の流れからは推測できない方向にいきなり舵を切られて返答に詰まった。でも、そうか。
思えば深夜にこっそり向こうの部屋へ降りて行ったり。終わったあとにわたしの部屋で一緒に寝るために二人で戻ってきたりとかそもそも廊下を移動することが多い。
気配を殺したりお喋りしないよう気をつけてはいるけど、茅乃さんの部屋はわたしの部屋と並んでるから。遅かれ早かれ気づかれて当たり前かもしれない。ていうか、そうすると澤野さんにも既に知られてるのかな。まだ何も言われたことないけど。
いつ終わるかもわからないことだから、正直あまり広めたくはなかったが仕方ない。こっちの脇が甘かったんだ。
わたしは観念して視線を落とし、ぼそぼそと小声で肯定した。
「は、…まぁ。すみません、夜中に。ばたばたして、うるさくて」
「いやまあそれはいいよ。うるさかったから気づいたわけじゃない。…ただ、さ。眞珂、大丈夫?その、…ちゃんと。考えて合意に至ってる?お互いに」
「え?」
彼女の声に含まれた心配と気遣いの色に驚いて顔を上げた。てっきり、職場でのけじめのなさを指摘されて。ちくりと咎められるんだとばっかり。
閉じたパソコンの上に腕を置いて、茅乃さんは遠慮気味な眼差しをわたしに向けて言葉を選んだ。
「大概、哉多の奴がぐいぐい積極的に押したからってのはまあ推測が立つけど。眞珂、あの子がお屋敷の親戚筋だと思って。断りにくいとか受けなきゃとか、余計な気を回して言いなりになってるんじゃないだろうね。言っとくけどあいつにそんな力全然ないから。普通に嫌ならきっぱり断って問題ないんだよ?」
まさかの、そっちの心配だったとは。
気遣わしげに眉をひそめてわたしを下から見上げている茅乃さんの様子にわたしはやっと理解した。彼女は、わたしがお館の主人の身内である哉多に言い寄られて断ることもできず仕方なく身を任せてるんじゃないか、って可能性を慮ってたのか。
てっきりむしろ、どこの馬の骨かもわからないのにうちの身内に取り入るなんてとか。いや今までの彼女の言動を見てればそんなことでわたしを本気で怒ったりはしないか。哉多がわたしにべたべたしようとするのを牽制してたのも、別に自分の親戚に得体の知れない野良猫がくっつくのを嫌がってたわけじゃなく。女の子に気安く触るな、とかそういう理由だった気がする。
いざ甥っ子が野良猫の誘惑に落ちたとわかっても。それで態度を一変させてわたしを非難する、なんてことにはならないんだな。やっぱりこの人裏表がないというか。局面によって評価基準を変えたりしないんだ。一本筋が通ってる。
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