第19章 空虚を埋める

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「さ、これ着て。そうと決まればさっさと向こうへ移ろうよ。…楽しみだなあ、眞珂の部屋。明日の朝まで。お前と猫と三人で抱き合ってゆっくり眠れると思うと。どんな変態セックスより、そっちの方が俺的には興奮してくるよ。…ほんとに嘘じゃなく真面目な話、だよ?」 そんな風に軽く揉めることも時折なくはなかったが。哉多との関係は基本的に、わたしの頭をそれほど悩ませることはなかった。 あくまでこれは虚無で空っぽなわたしの内側を一時的にあり合わせのもので埋めるだけのごまかしに過ぎないし。こんな風に表面的な触れ合いで自分を慰めてることに忸怩たる思いがないではないが、深く考えても仕方ない。 先方は気まぐれで気の向いたときだけ、手近でほどほどの女で後腐れなく遊べるし。こっちはこっちで面倒なことを言い出さない相手が与えてくれる快楽で束の間全てを頭の中から払える。それに、奴の体温に包まれて眠ること自体は単純に好きだった。 わたしがこうしてることで傷つける人も別にいないわけだし。だから、罪悪感みたいなものは特に感じなかった。 それより常にいつもわたしの心の中で暗く重くわだかまっているのは。結局やっぱり柘彦さんのことだ。 彼はもうわたしが関わりを持つべき人じゃない。今では完全に他人のもの、呉羽さんがあの人の一番そばにいる存在で。内面にだって本人同士がその気になれば深く強く関われる。 二人は打算と取引で結婚って手段を取った同士なんだからそんなことはあり得ない。と勝手に思い込んでたわたしの見立てはあえなく崩れたわけで。 あの夫婦の間には形式だけじゃない、何らかの心の交流があるのかな。と結論づけざるを得なかった。呉羽さんの方の言動を見てると彼女の一方的なペースの押しつけなのかな。と若干疑いたくなるけど、少なくとも柘彦さんはそれに拒否反応を起こしてはいない様子だ。 あの人があんな風に彼女を肯定的に評するなら、おそらくそれが本心なんだろうと思う。彼は心にもないことを表面上装って周囲に迎合するような人ではないから。 それは思い知らされたから、もう彼の後方保護者面してあれこれ思い悩むべきじゃない。あの人を理解してこれから先支えていくべきパートナーがちゃんと他にいるんだから。 一旦はそうやって自分に納得させた。だけどあの日以来、何だかざわざわと胸の奥で蠢く不穏な不信感が消えない。 あの日、呉羽さんが突然やってきて親戚の集いに連れていくために彼を拉致していったとき。 彼が全くしょうがないなぁ、と苦笑して彼女のわがままを受け入れてる様子だったら。わたしの心は多分張り裂けそうな思いでいっぱいになっただろうけど、どうやらこの人は本当に幸せになったんだな。と受け入れて諦めの境地に至るしかなかったと思う。 全く面識のない奥さんの親戚に囲まれるのも、彼女と一緒なら大丈夫。って信頼を感じてたならもはやわたしなんかが心配する筋合いじゃない。あの人たちはお互いを支え合うちゃんとした夫婦になったってことだから。 逆に怒り出して、そんな話は聞いてないから自分は行かないって頑として拒絶するならそれはそれで問題ない。愛情ある夫婦なのかどうかは置くとしても、自分の意思や考えがあってそれを彼女に向けてちゃんと表明できるんだってわかる。それなら、彼自身が自分の心を守って意見をぶつけ合えばいつかはお互い折り合って、尊重し合う関係を築いていける可能性はあると思うし。 問題は、彼が全然呉羽さんに対して意見をすることなく。人形のように唯々諾々とただ無心で指示に従っているように見えたことだ。 いつかのディナーの席で、彼女と結婚してできる限り寄り添ってもらえて。僕の方は感謝しかない、と僅かな感情を込めて答えていたあのときの彼の片鱗はどこにいったのか今では全く見て取れない。 親戚の集いが何とか無事に終わったあとも、呉羽さんによる彼の連れ回しは思い出したように時折発生した。 あれは一世一代の正念場だからここだけ我慢して、っていう機会なのかと思ってたけどどうやらそうでもないらしい。むしろ、本人が言ってたより意外とちゃんと社交できるんじゃん。と彼女には受け止められた節がある。 結婚した当初に茅乃さんと弾んだ声で言い交わしていた通り、彼女はこのお屋敷を自分の仕事上の関係者の接待場として利用し始めた。 最初はダイニングルームや応接室で対応可能な人数の範囲って縛りがあったから、せいぜい取引先のお偉いさんのご夫妻を招待してディナーを振る舞うくらい。それでもこのお館で主催するからには、当主で彼女の配偶者の柘彦さんが部屋に閉じこもって出席を拒否するってわけにはいかない。 彼自身は本来きちんとしたお家で作法を叩き込まれた育ちのいい人だから、無口ながら話を振られたときにはきちんと礼儀正しく簡潔に答えたりもしていて、確かに社交もこなせないコミュ障の引きこもりとは一見見て取れなかった。 だからこれならいける、と呉羽さんとしては手応えを感じたってことなんだろう。最初は遠慮がちながらお客様を館に呼ぶ頻度が次第にじわじわと上がっていった。
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