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そんなことが何回か繰り返されたあと、これなら館の外でも何とかなりそう。と踏んだと見えて、呉羽さんは彼を車で東京辺りまで連れ出すようになった。当然もう茅乃さんの付き添いはなし。
数組の夫妻との会食に自分もパートナーを連れて行きたい、夫がいるのに一人で参加するのは体裁が悪いから。という理由らしいけど。そんな風に配偶者を便利に使うつもりだったんならもっと他の人を選んだ方がよかったんじゃないだろうか。人には向き不向きがある。
彼はどういうわけかもう全く抵抗の意思を見せなかった。
無気力に、死んだようなガラス玉の目をして黙って言われるがままについていく。どう見ても楽しそうには思えない。わたしは見てるだけで何も介入できない自分の立場にどうしようもなくやきもきした。このままじゃあの人は壊れちゃうんじゃないだろうか。
何とかして茅乃さんにでもかけ合って、彼をもう少しそっとして休ませてあげるよう彼女に進言してください。と頼もうとしていた矢先。今度は館に業者さんがしばしば下見や見積もりに訪れるようになった。
やがて閉鎖されたまま、扉が開いたところもわたしは見たことなかった未知のパーティールームやダンスホールがこじ開けられて改修工事が始まり、わたしは嫌な予感に震え上がった。
「…ん?そうよ、ご名答。呉羽さんがここでまとまった人数のお客様を招待しておもてなしできるように。改修のための資金を用意してくれたの。いつかは手をつけなきゃ、と思いつつなかなかそこまでの余裕がなかった箇所だから正直ありがたいわ。あそこら辺が綺麗になればお屋敷の内部を一般公開できる目処もつくようになるしね」
事務室の茅乃さんの机の前に立って問いただすわたしに、彼女は特に問題があると思ってもいない風できょとんとなり素直に答えた。
常世田さんが少し気がかりそうにこっちに片耳を澄ませてる気配を背中に感じながら、わたしは怯まず思いきってそれまでためてた疑問をぶちまける。
「それはいいんです。お屋敷を綺麗に補修して、維持管理したりとか。期間や時間を限定して部分的に一般公開すること自体は全然問題ないと思うんですけど…。パーティールームやホール優先てことは、ここで大々的に会合をするってことでしょ。そこに柘彦さんを巻き込まないでいるってことはできないんですか。住んでる場所でそんなことされたら。絶対引きずり出されるに決まってるでしょ、お客様の前に」
「うんまぁ…。それは、そうだよね。そのために結婚したっていってもおかしくないもん」
彼女は当然、といった顔つきで半分興味を失ったように目の前のパソコン画面に視線を戻した。仕事中に押しかけてきたわたしが悪い。だけど、外出したりお客さん対応したり常に飛び回って落ち着かない彼女の隙を狙うとなると、大人しくここで事務処理をしてるタイミングを選ぶしかなかった。
「そのため、って何ですか。普通はパーティーに同伴するパートナーをゲットするためにわざわざ結婚てするもんじゃないでしょ」
「でも、呉羽さんには必要があったのよ。彼女の仕事は国内外で商談やら折衝やら交渉やらでいろんな人たちと接して回るのが重要な部分を占めてるから。特に海外の上流階級相手にはパーティーなんかの社交は大事だし、異性のパートナーなしでその手の場に出ることはできないでしょ」
彼女はそれでも一応手を止めてマウスから手を離し、やれやれと思いつつもって顔つきでわたしに顔を向けた。ほんとにお忙しいところ済みません。だけど、忙しくないときって基本ないからさ。茅乃さんに限っては。
「あんただって二人がお見合いの場で一目でビビッと恋に落ちて結婚した、なんて信じてるわけじゃないでしょうよ。お互いにメリットとデメリットを計算してその結果の選択なんだから。柘彦さんにとっては将来の資金的な面での安定と自分の生活の場の維持管理等の面倒を見てもらうこと。まぁあの人は残念なことに生活能力ゼロだからね。…で、彼女にとっては商談や接待するのに相応しい自分の拠点を手に入れることだった。歴史的価値のある本物のセレブ所有の洋館なんてお金を積んでもそうそう自分のものになるわきゃない。それと、他人様に自慢できるくらい見映えがいい我の薄い夫もね」
「…見せびらかして回るためのお飾り、ってわけですか?」
思いきり憮然とならざるを得ない。そういえば、結婚披露宴のときの彼女、実に誇らしげに友達に彼を見せびらかしていたな。これまで存分にお仕事頑張ってその結果手に入れたご褒美のトロフィーハズバンドか、って哉多に陰で皮肉っぽく揶揄されてた。
茅乃さんはわたしの渋い顔に構わず平然と肩をすぼめて見せた。
「そりゃ、そうよ。だって自分の従兄ながらこう言っちゃなんだけど、あの見た目だもん。前に一緒に呉羽さんちの親戚の集まりに行ったときも、柘彦さんが部屋に入っていった瞬間ほぅー、ってため息があちこちで漏れたくらいだよ。結婚式のときも近くから遠くからめちゃめちゃみんな写真撮ってたしね。あんな旦那いたらそりゃ、誰だって見せびらかすさ」
「だったら茅乃さんが結婚すりゃよかったのに」
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