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茅乃さんは肩をすくめ、それでも笑い飛ばしたりはせずに根気強くわたしに言い聞かせる、って体で言葉を選んだ。
「眞珂の不安もわからないでもないよ。まあパーティー楽しい、お出かけ嬉しい!ってうっきうきな様子に見えないのは確かだしね。だけどさ、思えばもともとあの人あんな感じじゃない?陽に当たれないから生っちろくていつも顔色悪いし。表情なんて、わたしの知ってる限り物心ついたときから能面だよ。子どものときから笑った顔なんて見たことない。結婚して奥さんができたからっていきなりにっこにこになれって言われてもね。そう簡単に人は変われないよ」
「え、でも」
明らかに結婚前と今とでは全然表情が違いますよ。と反論しかけて彼女の何の疑念もないあっけらかんとした顔を見て絶句した。…そうか。
この人は嘘は言ってない。現在の彼と、小さな頃から見ていたこれまでの柘彦さんとの表情の違いがわからないんだ。
どう見ても生気が抜けてるし。仮面みたいに貼り付いた顔つきで、そこからなんの感情の変化も見て取れないし目も死んでる。だけど、彼女の目からは今のそんな彼と結婚する前の彼が何故だか同じように見えてるんだ。
少し認識を新たにする。表面上あまり動かない表情筋の下の感情が大体なら見て取れる、と思ってたのは。もしかしてわたしだけだったのか…。
それは完全に自惚れた思い込み、ってわけじゃないと思うんだけど。と少し自信を失いかけながらも脳内で目まぐるしくかつての彼とのやり取りを思い起こす。
ほんの僅か微笑んでくれたり、戸惑ったり図らずも言葉が出てこずに黙り込んでしまったり。一体いま何考えてんだろ、って見当がつかなくなる瞬間がないこともなかったが、顔を見合わせて直に話してるときは概ね彼の気持ちの変化は読み取れてたと思う。その手応えみたいなものが。今は全然ないのに。
わたしの感覚でいうと、結婚後に彼の感情が伝わってきたって思えたのはあのディナーのときに呉羽さんと結婚できたことに感謝を述べたとき。それと親戚の会合に連れ出されそうになってる彼を心配したわたしに大丈夫ですよ、と優しく声をかけて宥めてくれたとき、きっかりその二回だけだ。
それ以外のときは完全に電源がオフになってるって印象を受ける。だけど長年ずっとそばにいた従妹の茅乃さんでも。そういう微細な違いはもともと感じ取れていなかったのか。
彼女は作業中の仕事がひとまず一段落したと思しきタイミングでマウスをかちかちいわせて止め、はたりとノートパソコンを閉じて本格的にこちらに向き合うようにわたしの顔に眼差しを据えた。
「まあ、柘彦さんの身体に健康上の問題は今のところ出てないことがわかったし。これからも定期的に検診受けてくれるんなら、そこで何かあればドクターストップがかかるでしょ。もういい大人なんだからどうしてもパーティーが嫌ってことなら本人の口からそう言えば、奥さんだってもうちょっとその辺は考慮してペースを落としてくれるだろうから。眞珂はそこまで気を揉まなくてもいいんじゃないの。それより、前からちょっと気になってたんだけど。あんたあんまり呉羽さんの前で柘彦さんの心配してるの丸見せるんじゃないよ」
「え。…そんな風に。見えてます?」
急に指摘されて一瞬肝がひやりとした。それほどあからさまにしてたつもりはないんだけど。もともと空気かってくらい影が薄いって自認してる上に結構ステルス的に気配を殺してるし。わざわざ柘彦さんに話しかけたり視界に入ろうとうろうろしたりもしてないつもりだが。
茅乃さんはやや改まった風に閉じたパソコンの上で手を組み、考え深げに言葉を選んだ。
「まあ。あんたが彼を気遣う気持ちもわからないではないよ。だけど今じゃれっきとした奥さんがいて、その人の管轄の下にいるんだからね。いっつも真剣な眼差し向けて、うっかり支える手を伸ばしそうに脇目も振らずに彼を見守ってるあんたを見てるとさすがにひやひやするわ。前に眞珂、彼女の親戚の集まりに出かけるとき柘彦さんに思わず声かけたでしょ。あん時の呉羽さんの目つきったらなかったよ。何でこの子がわたしの夫を気遣って声なんかかけるのよ。何かうちのやり方に文句でもあんの?って思ってるのがありありだった」
ひえ。
わたしは首を縮めて、それでも果敢に(?)ぼそぼそと言い訳した。
「あのときはついうっかり。…彼の奥さんの目の前だってことも。完全に意識してなかったから…」
「それはわかるよ。すごく心配でついそのまま声に出ちゃったんだってのは見ててわかったし。でも、呉羽さんからしたらさ。実際本人が嫌がってるわけでもないのに、あんたが旦那を酷使して虐げてるんだ。みたいな見方で遠回しにわたしを責めてるのね、この子って受け止めてもおかしくないでしょ」
そんな風に見えてたのか。わたしの方は柘彦さんにしか目がいってないから。傍にいる呉羽さんがどんな反応してるかなんて、確認するのも忘れてた。
「それに結婚前から眞珂が彼とちょっと親しかったのは、どうやら彼女もうすうす知ってる風なんだよね。割とそこを意識してあんたたちを遠ざけてる節あるから。あんまり目立って彼を守る行動とると、すぐ見つかってしゅばっとやられるかもよ。…まあそこはもう少しあんたの方も。夫婦の間に余計な風波を立てないよう気を回した方がいいよ」
ずばり指摘されてさすがに凹んだ。別にこっちとしては。そんなつもりじゃなかったんだけど…。
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