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「じゃあ、五郎。行ってくるから、留守番頼んだぞ」
そう言って父さんはぼくの頭を撫でた。
父さんの掌はごつごつとしていて、まるで岩とか石とかみたいで、ぼくを一瞬どきりとさせる。
「……」
ぼくは無言で返事をした。
無視をした――とも言えるのだろうか? いや、そうじゃない。
ぼくはただ、寝ているだけ。
というより、ただ寝ているフリをしているだけ。
父さんがの足音が離れていき、扉を開ける音、そして閉まる音が聞こえた。
それを切っ掛けに、ぼくは瞼を開いて、身体を起こした。
机の上には、お皿におかれたおにぎりが二つあった。あとは不細工な形をした卵焼きとウインナー。いつもの朝食だ。
父さんは仕事に行った――。とぼくは今まで思っていたけれど。
しかしぼくは知ってしまったのだ。
父さんが仕事に行ったわけではないという事を。
つい先日のことだった。
ぼくが十歳の頃に父さんに連れられてきてもらった、父さんの職場。最寄りの駅から数駅先にある、やや大きな駅から徒歩十数分の場所にある豪華なビルの三階に、その会社は入っていた。
そしてその日、ぼくはその会社の前に居た。
「父さんってば、お弁当忘れるなんて」
母さんは夜勤で忙しいから、家の家事はぼくがやることが多かった。
特に料理系は殆どそうだ。
母さんは料理が苦手というわけじゃあないけれど、得意というわけでもない。
だから自然と、ぼくの仕事になった。
ぼくは会社の自動扉の前に立つ。ウイーンと扉が開いた。
正面の受付に、きれいな女性が二人立っていた。二人とも髪が長く、ばっちりと化粧をしていて、別に楽しい事があったわけじゃあないだろうに、なぜか口角が上がっていた。女性二人が、ぼくに気付く。
「アレ、ぼくどうしたの?」
「すみません、父さんのお弁当を届けに来ました」
「あら、偉いわねぇ。お父さんの名前は?」
「館林ひろしです。36歳です」
「歳は聞いてないんだけど……」
そう言って、女性二人は笑った。
ぼくは笑わせるつもりで言ったので、やった! と思った。
年上の女性を笑わせるのがぼくは好きだった。
ぼくから見て右側に立っていた女性は、手元の電話を操作して、何やらどこかへ電話を掛ける。少し話して――怪訝そうな顔をした。
電話を切る。
そしてぼくに言った。
「ぼく、ごめんなさいね。うちの会社に館林という人間は居ないそうよ」
「……へ?」
一瞬、脳がフリーズした。
どういう事だろう?
お姉さんたち二人も、困った顔をしていた。
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