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彼はこのあと、榊くんを組に連れていくだろう。先ほど以上の拷問を受けさせるために。一発殴ってお金返してもらって、ですむ問題じゃないはずだ。幹部の恋人と駆け落ちまでしようとしていたのだから。
私はもう疲れていた。こんな生活に。
殴られて、謝って。謝ってまた殴られて。それでも時々「お前がいないと俺は生きていけないんだ」とか「愛しているから手を上げてしまうんだ」とか言われて、正直支離滅裂な主張だとはわかっていながらも、逃げ出すことができないでいた。そういうのが日常で、常態化していたからだ。
――今、そこに風穴が開けられた。
しばらく彼はこの家には戻ってこれないだろう。死ぬこともあるかもしれない。
彼が選んだのはやっぱり私じゃなかった。もう、潮時だ。止めよう。
荷物をまとめて私も出ていこう。
榊くんはパスワードなどを覚えるのが苦手で、おまけにメモした紙も何度か失くしてしまうような人だったので私に金庫の暗証番号を覚えさせていた。
まさか私に裏切られるなんてこと、彼は夢にも思っていなかったに違いない。
「右に十二、左に三十五、右に五十二……おっ、開いた! ありがと!!」
「い、いえ……」
満面の笑みをむけられてドキッとした。人にこんなにもまっすぐに好意をむけられるのっていつぶりだっけ。
「お、なんだもう一人いたのかよって――榊の女か」
「柊さん金庫開いたよー!」
「ひっ……」
刺青の男の子が金庫から取り出した札束を数えていると、趣味の悪いアロハシャツを着た男性が開け放たれていた扉の前にいつの間にか立っていて、彼がすっと部屋の中に入ってきた。
しまった。もう一人忘れていた。
刺青の男の子とアロハシャツの男性。後者のほうが明らかに立場は上だろう。
鋭い眼光で射すくめられる。男の子よりもさらに背が高い。手足も長く、遠目ではよくわからなかったけれどかなり整った顔つきをしていた。モデルだと言われても信じてしまいそうだ。
だから余計に怖かった。
収まっていた体の震えに、再び襲われそうな思いがした。自由が利いていたはずの手足も動かせなくなる。
勘違いをしていたのかもしれない。私も榊くんと一緒に連れていかれるという可能性をどうして考えていなかったんだろう。たしかに先の先までなにも知らなくって、全部彼が一方的にやったことだったけど、同棲している恋人という事実はある。なんでそこを無視されて、自分だけ解放されるだなんて考えていたんだ。
「優馬、金回収したならとっとと帰るぞ。榊は先に車に押しこんどいた」
しかし途端に彼は興味を失ったようにして私を見るのを止めた。男の子を一瞥し、そう言って踵を返してから部屋を出ていった。
「あ! ちょっと待って!」
「なんだよ」
少し苛ついた様子で首だけを動かして、自分を呼び止めた男の子のほうに視線をむける。
「さっきのなんでも持って帰っていいってやつ、俺この子がいい!」
人さし指を突きつけられる。多分助かったんだよな、と胸をなで下ろしていた私にとって彼のその発言は本日一番の爆弾のようなものだった。
「へ!?」
「はあ!?」
二人の叫び声が見事に一致した。
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