part2

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part2

「猫を殺したんだ。校内にたまに来てた、太った茶トラの猫を」  貴美香は黙って聞いていた。下校のチャイムが鳴ると、彼女はいつも迎えに来る。決まったように、四階の廊下の端、誰も入れない屋上へと続く、中途半端に短い階段が、僕の居場所だと知っている。 「エアガンを改造して、鉛みたいなのを撃てるようにしたらしいんだ。それで、あの茶トラを殺して、不良どもに英雄視されていたらしい。なぁ、どう思うよ?」 「許せないわね。そんなやつ。親の顔が見てみたい」  珍しく貴美香様がご立腹の様子。殺された茶トラが回収される前に、以前我が家に子猫を寄越した優しい友人が、インスタントカメラで亡骸の写真を撮って、態々現像してきた物を腫れた目のまま渡してきたのだ。僕はと言えば、不良のいざこざには全くを持って関わりたくない人間ではあるが、こればかりは許せなかったし、やはり内心お祭り騒ぎを起こしてみたいところもあった。  校舎に夕日が陰を作り出し、立体感を強めている。吹奏楽部の奏でるメロディーは、有名で聞いたことのある曲ばかりだが、一つも曲名を知らない。美しい旋律に対抗するような運動部の狂気じみた汗臭い声に塗れると、なんだか取り残されたような気になる。 「翔太、朝はごめんね。曲聞いてたんでしょ?私が迎えに行っても、全然気づかなかったじゃない。お気に入りの曲なの?」  僕は静かに頷いた。イヤフォンを取り出したが、引っ込めた。二人で片耳ずつ分かち合い、同じリズムに乗って「いい曲だね」なんて、真っ逆さまに飛び降りてもごめんだ。 「今度CD貸してあげるよ。現役高校生のバンドなんだけど、絶対に有名になると思う。ニルヴァーナの再来だよ。インジャパンで。生きても死んでも、伝説になると思う」    帰り道、貴美香はいつも通り黒い傘を差していた。こんなに距離は近いのに、謎の多い人だ。頬がよく赤くなる。肌が白いせいで強調されて、だから肘や膝まで常に可愛らしく火照っている。肩より下まで伸びた黒髪は一寸のうねりも無く純粋なストレート。成績優秀でクラスの学級委員であるが、スカートは誰よりも短い。常にマスクをしていて、給食をあまり食べないのは、舌にピアスを開けているから。顔の造形は、誰がどう控えめに言っても美しい。しかしながら、彼氏ができたことはない。ここまでが僕の知っている情報だ。毎日差してくる黒い大きな傘については、誰も聞けない。知らない。日焼けを極端に嫌がっているのでは、などと憶測されている。  落日に照らされて、二つの影が垂直に長く伸びている。一方は傘の陰により、顔の肥大化した怪物のようになっている。もう一方は、なんだか寂しそうだ。 「ねぇ、聞いてる?」 「ごめん。考え事してた」 「どう思ってるの?藤崎君が不登校になったこと」 「藤崎?ああ、学級委員の片割れのやつか。あいつが学校に来ないせいで、授業の始まりと終わり、両方貴美香が号令をかけなきゃいけないのも、迷惑だよなって思うぐらいかな。あんまり仲良くなかったし、特にないよ」 「今日翔太が座ってた席、藤崎君の席だったんだよ。それで先生怒ってたの。自分の席に戻りなさいって」 「そうなんだ。窓際がよかったから、空いてる席に座っただけなんだけど」 「ふざけないで!」  少し前を歩いていた彼女は振り返り、泣きそうな目で見つめてきた。黒い傘をバックに顔だけオレンジ色になって、余計に怒っているように見えた。こういう時はそっとしておいたほうがいい。ポケットに手を突っ込み、立ち止まる貴美香とすれ違う。沈黙のまましばらく歩くと、僕の住むアパートに着いた。彼女は少し後ろを付いてきていた。気まずい帰り道は二時間ぐらいに感じた。ここでこのまま解散すれば、明日からが恐い。切り替えて、何もなかったかのように明るく振舞おう。振り返る。 「貴美香、それじゃあ……」 「私のせいなの。藤崎君が不登校になったのは。付き合ってたのよ、彼と」  言葉を理解し処理するのに、多大な時間を要した。頭の中で、よく見る円環がグルグルと周回する。三年になってから、ずっと一緒にいた。僕らはそういう関係なのかな、とも思っていた。不良ではないが、授業に集中できずに一人で教室を出て廊下にいる僕を、勝手に探しに来て、勝手に楽しそうに話しかけて来るのはいつも貴美香だ。この喪失感は、僕のせいではない。  アパート向かいの一軒家は庭師がいるのか、庭の植木を巨大な盆栽畑のように整えている。それらを囲んでいる塀の上に烏がいた。上手いこと止まっている。黒い羽根を羽ばたかせた。空気に耐え切れず飛ぶのかと、そちらに目をやると、畏まったように元に戻った。何事もなかったように整えだす。やつは、似ている。言葉が見つからない。口を開く、気力もなかった。 「じゃあ、また明日。今度詳しく聞かせてくれよ。今日は疲れたんだ。イベントの多い日だったから」 「そう……分かった。ねえ、迷惑かけないから、何も話さないから、翔太は疲れたなら寝てていいから、やっぱり今日も泊めてくれない?お願いだから。また家に帰りたくなくて」 「もうすぐ母さん帰って来るから、無理だな。ごめん。じゃあね」  一刻も早く、帰って欲しかった。帰りたかった。本当に疲れているし、頭がハリガネムシみたいに絡まって、酷く脳みそ染みている。整理したい。甘い物を食べて沢山寝たい。彼女を泊めるのは今度だ。母が夜勤の時だけだ。今はもう、その気になるのかも怪しいが。とにかく猶予がないのだ。直近の問題だ。シャットダウンしなければ、体が熱を帯びてしまう。いつもは僕が二階の部屋の鍵を開けるまで見守る彼女だが、潔く、強い足取りで去って行った。黒い傘は黄色くなっていた。橙の光を全て吸収して、激しい反射を起こした。黒は白になり、透明になった。彼女の姿は、どこにもない。僕は、彼女の家も知らない。
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