「ねぇ、今どんな気持ち?」

1/1
前へ
/1ページ
次へ
カランコロンカランコロン。 軽快に鳴り響く音と共に窓際の席に座っていた一人の女が視線を動かす。それと同時に近くに飾ってあるシンプルな時計を見て、入って来た人を目を凝らしながら見る。 「あ、リオ!こっちだよ!」 キョロキョロと見渡している彼女は店員さんに話しかけられていたのを見て、座っていた女は手を振る。すると、その事に気がついた彼女は店員さんに一言言ってから手を振る方へと向かった。 ドンっと荷物を四人がけの椅子の一つに置き、「ふぅ」とゆっくり腰をかける。 「ごめんごめん、ちょっと遅くなっちゃった!もう注文してる?」 「ううん、大丈夫だよ。まだ注文してないよ。どれに……」 「えー迷うー!」 ハンカチで額を拭いていたリオと呼ばれた女は、差し出されたメニューを引ったくるようにして取った。その衝撃で手を擦ったのか、軽く押さえている女性。唇を噛み締めていたが、そんな事に目もくれないリオは「決めた!」と一人で盛り上がっていた。 「私、このパフェ食べたい!ナノもこれでいいよね?」 「あ、うん。それでいいよ」 「じゃ、注文しよっか。すみませーん!」 大きく手を振ってカウンターにいる女性の店員さんを呼ぶ。周りはその声に対してチラリと見ていたが、そんな事を気にする様子を見せないリオ。軽い足取りで来た店員さんに「これ二つで!」とメニューを持っていない手でピースサインをする。 「かしこまりました。それでは、少々お待ちください」 注文を繰り返し読む事をせずにそのままカウンター内で調理をしている男性に注文を伝えに行った。彼女の後ろ姿をぼーっと見ていると、リオが「そういえばさ〜」と話を始める。 「ナノ、彼氏と別れたって本当なの?」 「え?あ、ま、まぁね……」 「ふーん、そうなんだ。まぁ、酷い彼氏だったもんね!別れて正解だよ!」 「うん……」 話の途中で水を持って来た店員さんに「どうも〜」と言いながら一口飲む。私は来た時からすぐに貰った水を飲まずに手で強く握る。気温差からなのか、グラスの周りに水滴が沢山付いているのを見つめた。グラスの先に見えるのは彼女の手。彼女の見た目はそこまで派手ではないのだが、少し無神経な所と荒い言葉遣いな所が目立つ。今もネイルの剥がれた爪は何日も放置しているようで、暗い茶色に染めた頭はてっぺんがプリンのようになっている。 「てか、最後までどんな彼氏なのか写真見せてくれなかったよね!」 「まぁ、写真嫌いな人だったからね。それよりも、リオ、結婚するんでしょう?おめでとう」 「えー!誰から聞いたのー?嬉しいー!ありがとー!」 甲高い声はわざとらしく聞こえるのは気のせいではない。ワントーン上がった声色に口元をヒクつかせるナノ。リオは手で口元を隠しているようだが、口角を上げているのを隠しきれていない。実は一週間前に某SNSで結婚報告をしているリオを見つけたのだ。嬉しそうに笑いながら左手の薬指にある指輪を自慢げに載せていた。一応、高校の友人と言うこともありお祝いをしなければ、と思ったナノは彼女を今の喫茶店に呼び出したのだった。 しかし、指輪を見せつけるように手振りをしながら惚気話をするリオ。「うん」「そうなんだ」「よかったね」としか反応しないナノに永遠と話続けていた。握り締めたままのグラスは、すっかり水滴がナノの手に吸われている。そんな彼女の話を止めたのは店員だった。 彼女が持って来たパフェは、上のホイップクリームが少し垂れていた。やる気のないホイップクリームをジッと見つめると、「ねー、聞いてるー?」と苛立ちを隠さないリオ。「あ、うん。ごめんね」と軽く謝るとすぐに再開する婚約者との話。ナノは終わらない惚気話を聴きながら、目の前で崩れていくパフェを放置していた。 「ってかさ、ナノは結婚とかしないの?ほら、前の彼氏さんとかそんなこと考えてなかったの?」 やっとリオが目の前にあるほぼ崩れて溶けているパフェを食べ始めたのを見て、ナノも同じようにスプーンを手に取った時だった。ピクリ、とナノの動きが止まった。すくおうとしたホイップクリームは机の上にべチャリ、と落ちる。悪気の無い声に手にあるスプーンをグラスと同じ力で握るナノ。一瞬だけ止まった彼女を首を傾げ、名前を呼ぶリオはそんなことに気付く訳もなく。 「ナノ?」 「……実はね、彼と婚約する寸前まで行ってたんだ。でも、途中で彼が浮気しているってことが友達伝いで分かちゃってね。彼、私と付き合ってる間に浮気相手に何度も告白してたんだって。最初はその子は『彼女がいるのならダメですよ』って断ってたらしいんだけど、私と別れてから付き合う事になったんだ」 「なにそれ!?酷すぎるよ、その子!」 「そう、だよね。酷いよね。でもね、最近知っちゃったんだけど、彼、結婚するみたい」 手に持っていたスプーンをくるくると回して、下を向いているナノ。握っていた力を緩めて、話しながらスプーンで遊んでいるようだ。声のトーンが変わらないナノと視線が合わないことに違和感を抱いたリオ。淡々と話を進めていく彼女に同情するかのように、リオは大きな声で励ます。周りの客にも聞こえているからなのか、チラチラとこちらを見ている。 「そんな人、結婚しなくて正解だよ!」 「……それにね、付き合ってる時にずーっと暴言を吐かれてた。何度も『死ね』って言われた。それでも私、彼のことが好きだったから我慢してた、のに」 語尾には力無いのが周囲の人間でも分かった。ナノが落ち込んでおり、静かにして欲しいのも目に見えているのだが、気にすることなく話を進めるリオ。ギュッと拳を作って握り締めている彼女は恥ずかしさからなのか、それとも別の感情を抱いているからなのか。すると、ガタッと椅子を大きく揺らして立ったリオは彼女の手を握る。立っている彼女からは机を見つめている彼女の顔など見えない。 「ナノ、大丈夫だよ?絶対その元カレと浮気相手には天罰くだるって!」 「……本当に?」 「うん、もちろん!」 「そう、それなら、よかったぁ……」 ジッと机を見つめていた彼女が顔をあげると、そこには満遍の笑みのナノがいた。口端を吊り橋のように上げ、目はうっとりしているような濡れた瞳。特徴的な彼女の目の色は、濡れ羽色のようで普段なら見惚れる者も多い。しかし、今回の彼女の目には明らかに異なる感情が中に映っている。リオは体をビクつかせ、拭いたばかりの額から汗が湧き出て来ていた。一瞬、自分の感じた物の正体が理解出来なかったリオはとっさに話題を戻す。 「そ、それよりもさ!ナノ、何でその元カレが結婚するって知ってるの?」 「……知りたい?」 高い声が変に裏返り、吃っている彼女を上目遣いで見ているナノ。一度見てしまった彼女の目から自身の目を逸らすことが出来ずにいる。いきなり小さな声になった彼女達を不思議そうに見ていた周りの客は、いつの間にか自分達の話題へと戻っていた。 「そ、それはもちろん!」 「だってその人……貴女の、婚約者だもの」 「ひぃっ」と小さく悲鳴をあげた彼女の額にはもう汗はなく、足がガクガクと震えていた。ニタァと笑っているはずの彼女からは明らかにリオに向けた憎悪が含まれている。先程までの目つきとは違い、彼女に対する憎悪と、それ以上に溢れてくる喜びを隠せていない。いや、隠そうとはしていないようだ。目を逸らさずにはいられないナノの目を見て、歯をカタカタと振るわわせている。 すると、そんなリオに対してソッと彼女の手を握ったナノ。大切なものに触れるように優しく、そして絶対に逃さないようにキュッと握る。いつもなら振り切れるくらいの力なのに、震えが止まらないリオは硬直している。 「よかったぁ、浮気相手に天罰が下って。あ、ちなみに卓馬にも天罰下ってるから安心してねぇ?二人して、仲良〜く地獄に落ちてね」 語尾に音符がついている話し方でウインクをするナノ。彼女の話し方と、目で伝わる憎しみと怒りを見て未だに震えが止まらないリオは「あっ……な、なん、で……」と噛み噛みで言っている。口をパクパクと動かしている姿はまるで鯉のよう。何とか椅子に座っている彼女を見て、ナノは「何で?」と首を傾げて目を細める。目尻を下げていた一人の女性ははキョトンとした顔をした。 「さぁ、何でだろうねぇ?それよりもさぁ……」 リオの、元恋人の略奪者の質問に答える素振りなんて一切見せない。肘をついて手元に顎を添え、上目遣いになる彼女。いつもの”大人しい”彼女なら可愛らしく映るのかもしれないが、今は到底思えない。宝石の如く輝く彼女の目は大きく開かれ、更にはその中にある瞳孔を大きくしながら話を逸らした。 そんな彼女の目の中には怯え、自分に向けられている巨大な憎悪と怒気を含む瞳から目を逸らすことの出来ない一人の女性。開かれた目をゆっくりと細め、元々垂れ目の彼女は目尻を更に下げて、恍惚とした瞳で少し頭を傾げる。それと同時にねっとりとした口調で彼女に言い放った。 「ねぇ、今どんな気持ち?」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加