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8
「次はあンた方が親ですぜ。早く賭け金を決めて下せえ」
「ずいぶん勝負を急ぐのね? もしかして焦ってんの?」
その言葉に凍てつくような視線を返す『猛禽の女郎』。
しかしまるで動じないアルーサは、今度はダグボルトに尋ねる。
「……ねえ、賭け金どうする? ここは攻め時だし、思い切って半分ぐらい賭けちゃう?」
だがダグボルトは、静かに首を振った。
そして落ち着いた声で、こう宣言する。
「俺達の賭け金は全額の三十六枚だ。お前にとっても全額だがな、『猛禽の女郎』」
「全額ううッ!?」
仰天したアルーサとウォズマイラは同時に叫ぶ。
『猛禽の女郎』も、信じられないという目でダグボルトを見ている。
「本気なンですかい、魔女殺しの兄さン? たまたま一勝出来たからって、ちょいとばかりあたしを舐め過ぎなンじゃないですかい?」
「いいや。むしろ逆だ」
「逆?」
「正直、ゲームの達人であるお前に、こんな手で何度も勝てるとは思えん。だからこのチャンスに、俺は全てを賭ける。どちらがゲームを制し、勝者となるか。全ては、この一戦で決まるんだ」
ダグボルトの目には、もはや恐怖の色など無い。
代わりにあるのは、己の勝利を信じる強い意志を持った人間の眼差し。
そしてアルーサとウォズマイラも、同じ目をしていた。
だから二人は、ダグボルトの提示した賭け金に驚きはしても、異議を唱えようとはしなかった。
だが『猛禽の女郎』は、口元に禍々しい笑みを浮かべると、種銭の内の一枚を指で押し出した。
(莫迦莫迦しい。こちらはまだ、三回もゲームを降りる事が出来るンですよ。少額の賭け金でゲームを重ねて、あンた達の運気が下がったタイミングで勝負を仕掛ければいいだけの話です。リスクを冒してまで、ここで決着を付ける義理なンざありやせン)
「この勝負、あたしは降り――」
「……そう言えばさっきあの人、勝つか負けるかのギリギリの状況で味わう、ヒリつくような感覚が、博打の最大の楽しみとか言ってませんでしたっけ?」
ウォズマイラは不意に、隣のアルーサに尋ねる。
「えっ? そんなわけないでしょ? だって、こんな大勝負を降りようとしてんのよ。ただのビビリじゃん。大体、そんなにヒリつくような感覚を楽しみたいなら、辛い物でも食ってりゃいいのよ。お尻の穴がたっぷりヒリついて、トイレに行くのが楽しみになるわよ」
「プフッ!」
こんな深刻な状況にも関わらず、ダグボルトは思わず噴き出した。
笑顔を見られまいと顔を背けるが、肩が小刻みに震えている。
ウォズマイラの挑発は明らかに計算であったが、アルーサのものは明らかに素であった。
それゆえに破壊力も大きい。
『猛禽の女郎』の黒い瞳に、凄まじい殺気の炎が燃え上がる。
「…………黙らンかい。こン雌豚共がァ」
形のいい唇から、憎悪に満ちた言葉が漏れる。
囁くような小さな声ながらも、凄みに圧倒されたウォマイラとアルーサは、一瞬で言葉を失う。
この状況に危険なものを感じたダグボルトは、慌てて宥めようとした。
「落ち着け、『猛禽の女郎』。確かに今のは二人が言い過ぎた。俺が代わって謝ろう。すまん」
素直に頭を下げるダグボルト。
だが顔を上げた瞬間、『猛禽の女郎』の視線が『おぼろ残月』に向けられたのを見た。
白く繊細な手が、畳に置かれた刀を奪い取ると、殺気を帯びた刀身が露わになる。
「莫迦な真似はよせッ!!」
しかしその言葉は、空しく響くだけであった。
ほんの一度のまばたきの間に、すでに一閃が放たれていた。
虚空にぱっと血の華が咲く。
鮮血が畳を濡らし、鉄臭い匂いが辺りに漂う――。
「プッ。アハハハハハハハハハ!!」
またも『猛禽の女郎』は、豪放な笑い声を上げた。
だが今度の笑いには、不快な狂気の響きが含まれている。
ダグボルト達は、慌てて自分達の身体を見た。
しかし斬り付けられた形跡は、全くない。
「驚きましたかい? だけど最初にルールを説明したでござンしょ。ここでは他者への物理攻撃は、全て無効化されるンですよ。……ただし自分への攻撃は別ですがね」
鮮血に塗れた小指。
その長い爪が畳に刺さっている。
『猛禽の女郎』の右手の傷口からは、赤黒い血が規則正しく噴き出していた。
「お前、指を……」
「なまじ、こンなもンがあるから、プレッシャーに押し流されちまうンです。だったらゲームに関係なく、初めから切ってしまえばいい。ただそれだけの話ですよ」
そう言って『猛禽の女郎』は、また笑い出した。
「ちょっと!! ゲームの結果が出てないのに、勝手に『ユビツメ』するなんてズルいわよ!! 反則よ!! 反則っ!!」
今度はアルーサが怒り出した。
だが『猛禽の女郎』は涼しい顔をしている。
「あんたは勝負に勝ったら、あたしの小指を貰うって言っただけじゃねえですか。だったら、いつ『ユビツメ』したって別に問題ねえでしょう。もちろン勝ったらこいつを差し上げますよ。幸運のお守りとして、ずっと持ち歩いて下せえ」
そう言うと『猛禽の女郎』は、懐から取り出した半紙に小指を包んで、畳の上にそっと置いた。
そして着物の裾を裂いて、傷口に巻き付け止血する。
「いやいやいや!! あれは言葉のあやだってば!! いらないわよ、そんなの!! 気持ち悪い!!」
アルーサは鳥肌が立ってきたらしく、身体をブルブルと震わせている。
「それで結局どうするんだ? このゲーム、受けるのか? それとも降りるのか?」
話が妙な流れになってきたので、元に戻そうとダグボルトが尋ねる。
「もちろん受けますとも。賭け金三十六枚で問題ありやせン」
『猛禽の女郎』は即答した。
ダグボルトはすぐに気付く。
彼女の声には、普段の冷静さが戻っていた。
小指一本を犠牲にしてでも、プレッシャーを跳ねのける。
それが、この『猛禽の女郎』のやり方なのだ、と。
**********
第八ゲーム。
二刻に渡る死闘も、ようやく終わろうとしていた。
どちらが勝っても、これが最期の勝負となるのだ。
第一ベット――先攻はアルーサ。
アルーサ――『鷲』の『六』。
『猛禽の女郎』――『熊』の『四』。
最初のベットはアルーサの勝利。
ポイントも『六』と悪くない。幸先は上々であった。
だが『猛禽の女郎』に焦りは無かった。
アルーサが引いたのは赤のカードだったからだ。
そして次のベットでも、また赤のカードを引いてしまう。
(……やはりさっきのゲームでの幸運は偶然の産物。ビギナーズラックのようでしたね。これなら少しずつ運気を高めていけば、すぐに逆転できるはずでやす)
一方で『猛禽の女郎』は、順調に青のカードを引いていった。
ポイント差などまるで気にしない。
己の勝利を確信していたからだ。
そして第三ベット――先攻はアルーサ。
アルーサ――『鷲』の『四』。
『猛禽の女郎』――『狼』の『キング』。
「どうやら流れは、あたしの方に傾いて来たようですねえ」
暗い顔をして手札を捨てるアルーサを、ここぞとばかりに挑発する『猛禽の女郎』。
「ま、まだゲームは始まったばっかりよ!」
しかし威勢の良さとは裏腹に、『猛禽の女郎』の優勢でベットは進んでいく。
点差はなかなか縮まらない。
だんだんと自信を失っていったアルーサは、不安げにちらりとダグボルトを見た。
そしてハッとする。
彼女を見つめ返す緋色の瞳。
そこには確固たる信念と、自信が満ち溢れていた。
煌々と輝く瞳を見ているだけで、アルーサは勇気を与えられる気がした。
(そうよ。今更迷ってても仕方ないわ。絶対に勝てるって気持ちが無きゃ、せっかくの幸運も逃げてっちゃうもん。ここは腹をくくらなきゃね!)
迷いを断ち切ったアルーサは、カードの山に手をかざし、勝利への道を開こうとする。
そして少しずつ、少しずつ、刻むように点数を重ねていく。
まるで亀の歩みのように、迂遠だが着実に。
第八ベット――先攻は『猛禽の女郎』。
『猛禽の女郎』――『狼』の『一』。
アルーサ――『鷲』の『キング』。
「来たああッ!!」
アルーサは思わず快哉の雄叫びを上げる。
ゲーム中盤での『キング』。
これで一気に形勢は逆転し、ポイント差が大きく開いた。
だがダグボルトは厳しい顔のままだ。
「落ちつけ、アルーサ。まだ『熊』の山に『キング』が残ってる。それが引かれるまで、ゲームの行方は分からんぞ」
「う、うん。そうだね」
珍しくアルーサは、すぐに冷静さを取り戻した。
この勝負が人生の分かれ道になっている事を、さすがに理解していたからだ。
『猛禽の女郎』もまた、全く諦めてはいなかった。
執拗に青のカードを引き続け、さらに第十ベットからのエクストラベットを制し、ポイント差をどんどん詰めていく。
そして終盤の第十二ベットが終了した時点で、ついにポイントが並んだ!
しかし最後の『キング』は、まだ表に出ていない――。
第十三ベット――先攻は『猛禽の女郎』。
『猛禽の女郎』は迷う事なく、青く輝く『熊』のカードを引いた。
(さっきのエクストラベットで、『熊』のカードを引いたおかげで、この山の中に『キング』が眠ってる事は分かりやした。そして、こいつが青く光ってるって事は、『キング』を引き当てる可能性が高いって事でやすよ!)
一方、アルーサは二つの山に何度も手をかざした後、黄色く輝く『狼』のカードを取った。二人は一斉にカードを表に返す。
『猛禽の女郎』――『熊』の『キング』。
アルーサ――『狼』の『十』。
「『キング』ですよ、魔女殺しの兄さん。『キング』……グククク……。アーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ヒーッ!! ヒーッ!!」
もはや笑いを堪える事が出来ない『猛禽の女郎』。
何の遠慮も無く笑い転げる彼女を、ダグボルトは何も言わずに見つめていた。
「……次もお前の先攻だぞ。さっさとカードを引いたらどうだ」
ようやく『猛禽の女郎』の笑いが収まると、ダグボルトが冷静な口調で言った。
「は? 何を言ってるんですかい? もう勝負は決したんですぜ。今更カードを引く必要なンか無いでしょう」
「ああ。確かにそうだな。お前には、もう引けないからな」
その言葉は、棺桶の蓋に打ちつけられた釘のように、『猛禽の女郎』の胸に突き刺さった。
驚いた『猛禽の女郎』は、慌ててカードの山を見る。
そして一瞬の内に、顔が真っ青になる。
カードの山が、三つとも真っ赤に輝いていた。
そして山に残されたカードは、全て一枚――。
「『ベット・エンド』。お前の負けだ」
**********
「運気の増減に気を取られ過ぎて……カードの山の残り枚数を見落とすなんて……。よりにもよって、こんな初歩的なミスを……ゲームの達人のあたしが……」
抜け殻のようになった『猛禽の女郎』は、虚ろな目をしてぶつぶつと独り言を呟いていた。
しかし勝者の側のウォズマイラとアルーサも、ぐったりと畳の上に倒れ伏していた。
勝利を喜ぼうにも、精神的疲労が大き過ぎて、もはや言葉を発する気力も無い。
精神の削り合いともいえるゲーム対決は、二人にとってある意味、今までのどんな戦いよりも過酷なものだったのだ。
そんな中、ダグボルトだけはカードの山をじっと観察していた。
顔には疲労の色が濃いが、今までの人生で何度も修羅場をくぐり抜けてきた分、他の二人よりも気力を残していたのだ。
「十二ベット終了の時点で残されていたカードは五枚。『熊』と『狼』の山にそれぞれ二枚。『鷲』の山に一枚。つまり十三ベットで誰かが『鷲』のカードを引いていれば、そのベットでゲーム終了。十四ベットの『ベット・エンド』は起きなかったわけだ」
冷静に先程のゲームを分析しているダグボルトを見て、『猛禽の女郎』はようやく正気を取り戻した。
そして同じようにカードの山をしげしげと眺める。
「そうでやすね。山の残り枚数を考えれば、あたしは『鷲』のカードを引くべきだったンでしょう」
「いや、そういうわけでもないようだぞ」
ダグボルトは山に残っていた、最後の『鷲』のカードを『猛禽の女郎』に見せた。
あの時、彼女には赤く輝いて見えたカードだ。
そこには『二』とあった。
「……つまり、あたしがそいつを引いてたとしても、やっぱり負けてたンですね」
「そういう事だ。だからお前が『熊』のカードを引いたのは、別に間違いじゃない。だがお前の引きの良さが、今回ばかりは逆に仇となったんだ。あの状況、あのタイミングでだけは『キング』を引いてはいけなかった。次のベットで先攻になってしまうからな」
「負けたあたしが言うのもなンですが、勝利をもたらす『キング』が逆に敗北をもたらすなんて、何とも皮肉な話ですねえ。ゲームの世界ってのは本当に奥が深いもンだと、改めて気付かされやしたぜ」
そう言うと『猛禽の女郎』は笑い出した。
今度は、負けて悔いなしと言いたげな、邪気の無い澄み渡るような笑いだ。
ダグボルトも思わず微笑んでいた。
今まで戦ってきた『偽りの魔女』達とは違い、この『猛禽の女郎』にだけは、不思議と憎しみを覚えなかった。 フェアな条件の下で、互いに全力を尽くして戦ったという、すがすがしい感覚だけが心に残っていた。
ひとしきり笑うと、『猛禽の女郎』はさっぱりとした顔でこう言った。
「では約束通り、あンたの望みを叶えやしょう。とは言っても、叶えるのはあたしじゃなくて『おぼろ残月』ですがね。さあ、その刀をお取りなせえ。今のあンたの運気なら、『黒獅子姫』姐さンの封印を断ち切る事が出来るはずですぜ」
その言葉に従って、ダグボルトは懐から取り出した琥珀色の宝玉を、畳の上にそっとおいた。
そして太い指が『おぼろ残月』の鞘を握り締めた。
片膝を立てて、見よう見まねで『居合』の構えを取るダグボルト。
東方諸島の刀を使うのは初めてだが、まるでずっと使い込んできたかのように手に馴染む。
「はッ!」
ダグボルトの身体は、ひとりでに動き出していた。
腹から息を吐き出すと同時に、青みがかった輝きを放つ刃が抜き放たれる。
魔力を秘めた刀身が空間を滑る様に走り、次の瞬間には、また鞘の中に収まっていた。
――ピシッ。
宝玉に一筋の亀裂が入る。
亀裂は瞬く間に広がっていき、そして――。
「ミルダ!!」
ダグボルトは叫んでいた。
宝玉の細かい破片がキラキラと舞い散る中、黒髪の少女の青白い裸体が畳の上にぐったりと倒れ込む。
ダグボルトはすぐに、彼女の裸体をマントで包むと、両腕に抱き抱えた。
少女の青ざめた唇から、微かな声が漏れる。
「ダグ……?」
「そうだ! 俺だ! 良かった……。本当に良かった……」
ダグボルトの視界は、涙でぼやけて何も見えない。
鎧越しでも、小さな身体から柔らかな温もりが感じられた。
決して夢などではない。
確かにこの腕の中に、あの『黒獅子姫』がいるのだ。
「わしは……確か『白銀皇女』の城におったと思うんじゃが……。ここは……?」
『黒獅子姫』に、今まで起きた事を簡単に説明する。
話を終えると、今度は『猛禽の女郎』が声を掛けてきた。
「お久しぶりです、『黒獅子姫』姐さん」
「うむ……。久しぶりじゃな、『猛禽の女郎』……。おぬしが、わしを元に戻してくれたんじゃな。すまんのう……」
すると『猛禽の女郎』は、その場に正座して、畳に額をぴったりとくっ付けた。
「礼を言われる資格なんざ、このあたしにゃありやせン! 姐さんは教会の魔女狩りで捕まってたあたしを助け、魔女にしてくださったンでしょう? それなのにあたしは、他の連中と一緒に姐さンを裏切って、あンな狭い地下にずっと閉じこめてたンですから……。むしろ恨まれて当然でやす!」
「もうよい。頭を上げるのじゃ……。わしは別に、おぬしらの事を恨んではおらん……。その代わり……わしが貸した魔力を返して……くれんかのう?」
だが頭を上げた『猛禽の女郎』は、首を横に振った。
「いいえ。たとえ姐さんの願いであっても、それは出来やせン。望みを叶えたいのであれば、あたしとのゲームに勝っていただきやせんと。ルールはルールですから」
『黒獅子姫』は深々とため息をついた。
「……そう言うんじゃないかと思っておったわ。じゃが生憎と、今は……立ち上がる気力すら無いんじゃよ……。とてもゲームなんて気分にはなれんのう……」
それに同調するようにダグボルトも頷く。
「そうだな。俺達もさっきのゲームで気力を使い果たしてる。しばらくはゲームって言葉すら聞きたくないくらいだ。ここは一旦、レウム・ア・ルヴァーナまで帰ろう。……お前達、歩けそうか?」
声を掛けられたウォズマイラとアルーサはゆっくりと起き上がった。
精神的疲労で、顔は酷い土気色だが、船まで帰る力は残っているようだ。
「ウォズ……すまんのう……。おぬしには……どれだけ感謝したらいいか……分からん……」
「礼なんて、とんでもありません。あなたとダグボルトさんには、命を救われたご恩がありますからね」
『黒獅子姫』は、今度はアルーサの方に顔を向ける。
「それと……名前は知らぬが、おぬしも……。見ず知らずのわしのために……命まで賭けてくれるとは……」
だがアルーサは、ぷいと顔を背けてしまう。
「フン! アタシは別に、アンタなんか助けたくなかったけどね! だってアンタは、『黒の災禍』を引き起こした諸悪の根源じゃない! 他の奴が何と言おうと、アタシは慣れ合うつもりなんかないわよ!」
それを聞いたダグボルトの顔が厳しいものになる。
だがダグボルトよりも先に口を開いたのは、ウォズマイラであった。
「それは言い過ぎですよ、アルーサ! ミルダさんは、決して悪意があって『偽りの魔女』を生み出したわけじゃありません。あくまでも暴走した聖天教会を倒すためだったんですよ。それに『黒の災禍』を招いてしまった自分の判断を悔いているからこそ、今は我々と共に戦っているんです」
「へえ。悪気が無ければ、何をしても許されるってわけ?」
その言葉に再度反論しようとするウォズマイラを、『黒獅子姫』が制する。
「よいのじゃ、ウォズ……。その娘の……言うとおりじゃ……。どんな理由であっても……この世界を崩壊させたのは事実なのじゃから……」
「いいえ、そいつは違いやすぜ」
突然、『猛禽の女郎』が会話に割り込んできた。
驚いた四人の視線が集まる。
「話の邪魔をしちまってすいやせン。だけど『黒獅子姫』姐さンの名誉を守るためにも、ここは一言言っておかなきゃいけねえと思いやしてね」
そして一呼吸置くとこう続ける。
「『黒の災禍』は、姐さんの失態で起きたわけじゃありやせン。教会を滅ぼそうとする姐さんの意図に、別の意図が介在してきたせいで、あンな大惨事になったンです。そう。あれは決して偶発的な事故ではなく、全てが周到に仕組まれてたンですよ」
「どういう事だ、『猛禽の女郎』!? 『黒の災禍』を引き起こした黒幕が、何処かにいるとでも言うのか!?」
血相を変えて叫ぶダグボルト。
『猛禽の女郎』の黒い瞳には、深い苦悩と葛藤が現れていた。
真実を語るべきが、語らざるべきが迷うような目。
そして――。
「……『黒衣の公子(ブラック・プリンス)』の仇名を持つ男。そいつこそが、この世界を崩壊に導いた真の元凶です。あたしら『偽りの魔女』の、人間だった頃の記憶の一部を蘇らせて正気を失わせ、『黒獅子姫』姐さんに反逆するよう仕向けたのは、そいつなンですよ」
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
衝撃の余り、四人は言葉を失っていた。
『黒の災禍』を巡る秘密。
その一部が、ついに明かされたのだから。
長い長い沈黙を破って、ようやくダグボルトが尋ねる。
「……その『黒衣の公子』ってのは、まさかブラックタワー家の開祖、ジェミナイ・べルドニャックなのか?」
『猛禽の女郎』は無言のまま頷いた。
だが、さらに質問を投げかけてくるダグボルトを手で制する。
「これ以上は、あたしの口からは申し上げられやせンね。もし聞きたいのであれば、あたしとのゲームに勝っていただかないと。黒幕の名前を教えたのは、あくまでも『黒獅子姫』姐さんの名誉のためですから」
そして声を潜めて忠告する。
「ですがご用心を。北の城を脱走した『黒獅子姫』姐さンを、『黒衣の公子』はどんな手を使ってでも捕えようとしてやすからね」
「分かったのじゃ……『猛禽の女郎』……。気を……付 ……け……」
そこまで言ったところで、『黒獅子姫』の重そうな瞼が閉じられる。
どうやら完全に気力を使い果たしたらしく、ダグボルトの腕の中で、すやすやと寝息を立てていた。
安らかな寝顔を見て、ダグボルトの顔も思わずほころんだ。
「……ねえ、『黒衣の公子』って誰?」
アルーサに尋ねられたウォズマイラは呆れ顔になる。
「そんな事も知らないんですか? 遥か昔、モラヴィア大陸全土を支配せんとしていた北狼帝国(ノーザン・ウルブス・エンパイア)を、『聖賢の王(ホワイト・ロード)』と共に打倒した伝説的英雄ですよ。少しでも歴史を学んでいたら、このぐらい常識じゃないですか」
「うっさいわね!! 歴史なんて勉強する暇なかったのよ!! 『黒の災禍』のせいで、生きるのに精いっぱいだったんだから!!」
「じゃあこれからは、日々の暮らしの中で、もっと読書に励んで知識を高めたらどうですか?」
「大きなお世話よ、莫迦っ!! 腹黒女っ!!」
「ば、莫迦はあなたでしょう! それに私は腹黒じゃ――」
「お前らいい加減にしろ!」
見かねたダグボルトが、二人を一喝する。
ここまで共に試練をくぐり抜けてきたにも関わらず、残念ながら親交は深まらなかったようだ。
「……ところで赤毛のお嬢さン。あンた、まだゲームの報酬を受け取ってませンね」
『猛禽の女郎』が半紙に包まれた小指を持ってきたのを見て、アルーサはギクリと体を震わせた。
「えっ? 何のこと?」
「とぼけねえで下せえ。こいつを貰うって言ってたじゃないですか」
そう言うとアルーサの上着のポケットに、無理やり小指を突っ込んだ。
「こいつには永続的な魔力を籠めておきやしたから、未来永劫腐る事なく今のままの形を保つでしょう。そして常に肌身離さず持ち続けてれば、あンたに幸運をもたらすはずでやす。ただし手放そうとすれば、その時は……」
「そ、その時は?」
「逆に祟られて不運に見舞われやすからご用心下せえ」
「はあ!? ふざけないでよ!!」
アルーサは慌てて小指を返そうとポケットに手を突っ込んだ。
だがその瞬間、指先に強い静電気のような痛みが走る。
「痛あーーいいッ!!」
涙目になったアルーサは、火傷を負ったように真っ赤に腫れた指先を、しゃぶって痛みを鎮めようとした。
「小指に籠められた強力な魔力が、あなたの身体に流れる神気に干渉したんでしょう。これからは素手で触らない方がいいですよ」
ウォズマイラが他人事のように解説する。
「何よそれ!? これのどこが幸運をもたらす小指なの!?」
「それはあンたが手放そうとしたからですよ。」
「うっさい!! もういいわよ!! アンタの顔なんか二度と見たくないわ!!」
そう言うとアルーサは、不機嫌な顔のまま部屋を出て行った。
ウォズマイラも、『猛禽の女郎』に一礼すると、その後に続く。
残されたダグボルトは、『黒獅子姫』を抱き抱えて部屋を去ろうとした。
だが入り口の前で急に振り返る。
「今日のところは帰るが、近いうちにまた来るからな。今度はミルダと一緒に、お前から魔力を取り返すためにな」
『猛禽の女郎』はニヤッと不敵に笑った。
「ええ。いつでもお待ちしてやすよ、魔女殺しの兄さン。今回は不覚を取りやしたが、次こそは必ずあたしが勝ちやすからね」
**********
四人が去った後の和室は、しんと静まり返っていた。
先程までの騒々しさが嘘のようだ。
一人きりになった『猛禽の女郎』は、カードを片付けると、部屋の隅に置いてあった呼び鈴を三度鳴らした。
少しすると、入口の扉の窓にぼうっと影が浮かび上がる。
「入りなせえ」
『猛禽の女郎』が声を掛けると、湯呑の載ったトレイを手にした『梟の異端』が入ってきた。
湯呑からは、ほのかに白い湯気が立ち昇っている。
「お茶をお持ちいたしました」
『異端』は羽先で器用に湯呑を掴み、『猛禽の女郎』の前に置いた。
だが彼女は湯呑には手を付けず、代わりにこう答える。
「……おかしいですねえ。『異端』は魔力によって変生した者のはず。ですが、お前の身体からは、まるで魔力が感じられやせン」
その瞬間、『梟の異端』と『猛禽の女郎』の視線が合った。
『異端』の丸い瞳には、ほのかに意志の光があった。
魔女に盲従する『異端』には、あるはずのない、自由な意思の光が。
すると不意に、『梟の異端』の身体からバサバサと羽根が剥がれ落ちていき、丸裸の半人半鳥の姿となる。
続いて『異端』は自分の身体の骨を、力ずくでボキボキと変形させていった。
貧相な身体は徐々に筋肉の膨らみを増していき、羽先も人間の指へと変わっていく。
身体の変形を終えた時、そこにあったのは、小柄で痩せてはいるが鋼のような筋肉のついた、鍛え上げられた人間の身体であった。
今度は顔面の骨と筋肉を、素手で強引に変形させて組み替えていった。
嘴は鼻の骨に変わり、丸い目は東方諸島特有の一重の鋭い目となり、やがては年齢不詳の無表情な黒髪の男の顔となる。
いつの間にか、肌の色も浅黒く変色していた。
最後に『異端』は、部屋の隅の暗闇に足を踏み入れる。
そこから出てきた時には、あたかも影を身に纏ったかのような黒き姿となっていた。
目の部分以外の全てを覆う黒装束の出で立ちは、まるで闇の化身のようであった。
「お見事としか言いようがありやせンねえ。まさか『異端』にまで変装出来るとは驚きですよ」
だが賞賛の言葉を受けたニンジャ――『影の手』は不満げに首を振った。
「いえ。こうも簡単に見抜かれるようでは、拙者もまだまだ未熟。外見を真似るのに力を注ぐあまり、魔力にまでは思い至りませんでした」
『影の手』の言葉には、『猛禽の女郎』のような東方訛りは無く、西方での暮らしが長い事を窺わせる。
「さすがに魔力だけは、人間のあンたにゃどうしようもないですからねえ。ところでそいつは『黒衣の公子』に貰ったンですかい?」
『影の手』の左腕を指差して尋ねる。
彼の左肘から先は、氷の結晶のような透き通る輝きを放つ、銀の義手となっていた。
「ええ。これは拙者が、ダグボルトとの戦いで不覚をとって失った左腕の代わりに、あのお方が下さったものです。煉禁術で生成された生体金属で出来ているので、この通り変装も問題なくこなせるのです」
そう言うと『影の手』の銀の腕がぐにゃりと歪み、『猛禽の女郎』の左腕そっくりの形へと変形した。彼女の滑らかな白い肌や、長く鋭い爪が完全に再現されている。
そして次の瞬間には、また元の銀の腕に戻っていた。
「煉禁術がそこまで凄いもンだとはねえ。だけどその腕を自慢するために、わざわざここに来たわけじゃないでしょう? 今日はどういったご用ですかい?」
すると急に『影の手』の目つきが厳しいものになる。
「用件というのは他でもありませぬ。『黒獅子姫』を捕えたら、我が主君に渡すという取引を交わしていたはずです。それなのになぜあなたは、あの魔女の封印を解いて解放したのですか?」
「そりゃあゲームに負けたからですよ。他に理由がありますかい?」
「あの魔女はあなたの敵です。そもそもそのようなゲームなど、すべきではなかったのでは?」
すると『猛禽の女郎』は弾けたように笑い出した。
「ハハハハハ! あたしにゃ敵も味方もありやせンよ。どンな方であれ、ゲームの相手になるのなら大歓迎なンですから。あたしがこういう性格なのは、あンたもよく知ってるでしょう? だったら『白銀皇女』姐さンと取引しておけば良かったでしょうに」
「実は『白銀皇女』殿とは、ずっと交渉を行っておりました。しかし残念な事に、あの方はダグボルトの身の安全が保障されるまでは取引に応じないと言って、なかなか『黒獅子姫』を引き渡そうとはしませんでした。しかも交渉が纏まる前にヴィ・シランハを消滅させて、いずこかへと姿を消してしまう始末。我が主君でさえ、あの方の行方は未だに掴めていないのです」
「それは残念でしたねえ。だけどあたしにゃ、もう関係の無い話です。あとはあンたらだけで勝手に何とかしたらどうですかい」
冷たくつき放つように言うと、『猛禽の女郎』は湯呑のお茶を一口啜った。
『影の手』が自分でたてたお茶らしく、渋みと甘みが絶妙に入り混じった、実に見事な『オテマエ』であった。
「いやいや、話はまだ終わってないぜ、『猛禽の女郎』君!」
不意に『影の手』の銀の腕の内部から、快活な青年の声が流れてきた。
突然の出来事に、『猛禽の女郎』はお茶を喉に詰まらせてしまい、ゴホゴホとむせかえってしまう。
「い、今の声はなンです?」
「実はこの腕の内部には交信装置が組み込まれていて、オニキスタワーにいる我が主君といつでも会話が可能なのです」
暗い目をした『影の手』が答える。
「おいおい、『影の手』君! そんなに嫌がらなくてもいいだろう? 上司に常時監視されてるようで落ち着かんだろうが、この腕は俺の最高傑作とも言える出来栄えなんだぜ。……まあ本当は擬態(ミミック)デーモンの腕を流用して、ちょっと改造を加えただけなんだけどさ。アハハハハハハ!」
『黒衣の公子』ことジェミナイは高らかに笑い出した。
爽やかな好青年風の笑いだが、それが余計に不気味でもあった。
『猛禽の女郎』は用心するような口調で尋ねる。
「あンた自ら出てくるとは驚きやしたね。あたしが『黒獅子姫』姐さんを解放したのが、そンなに気に障ったンですかい?」
「いや、それは別にどうでもいいよ」
軽い口調で答えられ、肩透かしを食らう『猛禽の女郎』。
だがジェミナイはさらに続ける。
「問題なのはそこじゃない。俺の名前をミルダに教えてしまったのが問題なんだよ」
「へえ、それの何が問題なンです?」
「しらばっくれるのはやめた方がいいぜ。ずっと前に、君達と取り決めをしたじゃないか。俺の事は絶対にミルダには教えないってね。もし教えたら、厳しい罰を与えるとも言っておいたはずだぜ。それなのに、なぜ教えたんだい? 君のおかげで、ミルダのために用意してたサプライズパーティがすっかり台無しじゃないか」
静かな口調ではあったが、同時に聞く者に威圧感を与えるような、ずっしりと重みのある響きがあった。
『猛禽の女郎』は気圧されないよう、腹に力を籠めて答える。
「あンたはずっと、あたしらの影に隠れてこっそりとゲームに参加してやしたね。だけどそンなのはフェアじゃないって、常々不満に思ってやした。だからここで、あンたがゲームに参加している事を明かして、対等な条件で正々堂々戦って貰いたかったンですよ。その結果、あンたが勝とうが、姐さンが勝とうが、それはどうでもいい話ですけどね」
一瞬の沈黙。
そして銀の腕から、爽やかな笑い声が大音響で放たれる。
「アーハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
だがその笑い声は、始まったのと同じように急に収まった。
「フェア? フェアだって? この世界の揉め事を中立の立場で裁く、全知全能の神にでもなったつもりかい、『猛禽の女郎』君? ミルダにちょっとばかり魔力を借し与えられただけの、魔女もどきの分際で、この俺にフェア精神を求めようって言うのかい? 本当に面白いなあ、君は。だけど取り決めを破った以上、罰は受けて貰うぜ」
次の瞬間、『影の手』の銀の腕がひとりでに動き出した。
光り輝く指先が何もない空間をなぞり、精緻な魔方陣を描いてゆく。
やがて魔方陣は、虚空に穿たれた大きな穴へと変わり、そこから一人の青年が部屋に飛び込んできた。
年は二十代半ば程。瑞々しい赤銅色の肌。細身だが、程よく筋肉のついた長身の身体の持ち主だ。
彫りの深い整った顔立ちで、ウェーブのついた黒髪を少し長めに伸ばしている。
口の下には、切り揃えられた優雅な髭を生やし、耳には銀のピアスをつけている。
胸元の大きく開いた、動きやすい黒の衣服を着ていて、武具の類は一切身に着けていない。
顔には、余裕を感じさせる笑みを浮かべている
「やあ。君とこうして直接会うのは『黒の災禍』以来だね」
青年は、にこやかに『猛禽の女郎』に微笑みかける。
ジェミナイ・べルドニャック。
これが『黒衣の公子』と仇名される男。
そして『黒の災禍』の黒幕とも言える男――。
ジェミナイは、次いで『影の手』にも微笑みかける。
だが『影の手』は不服そうな目をしていた。
「このような機能を義手につけているのなら、先に言っておいて貰いたかったのですが」
「まあまあ。そうカリカリするなよ、『影の手』君。全ての機能を先に説明してしまったら、面白みがないじゃないか。乾き切った日常生活に潤いをもたらすためにも、多少のサプライズは必要なんだよ」
そう言って無邪気に笑うジェミナイ。
『影の手』は不承不承頷いた。
「……腕の件については了承しました。それよりオニキスタワーを離れて大丈夫なのですか?」
「いや、実は全然大丈夫じゃないんだ。だからさっさとこの問題にケリをつけるとしよう。……そういうわけだから、今ここで君には死んでもらうぜ、『猛禽の女郎』君」
ジェミナイは傲然と『猛禽の女郎』に指先を突きつけた。
だが当の『猛禽の女郎』は、平然とこう答える。
「ああ、そうでやした。あたしに罰を与えるンでしたね。ですがそれなら、あたしとのゲームに勝っていただきやせンとね」
「ゲーム?」
「ええ。当然でしょう? ここはあたしのルールが支配する世界。たとえあンた程の男でも、それに従わざるを得ないンですよ」
ジェミナイは、きょろきょろと周りを見渡す。
静謐な和室を形成する魔力の力場。
今では、その力をはっきりと感じる事が出来た。
「あー、それと一応言っておきやすが、あンたがゲームに負けたら逆に命を貰いやすからね。それもまたルールですから」
それを聞いたジェミナイは、ハッとした顔をする。
「そうか。始めからそれが狙いだったのか。俺をこの部屋に誘い出すために、わざとミルダに俺の名前を教えたんだな」
してやったりと言わんばかりに、口元をほころばせる『猛禽の女郎』。
「フフッ。ようやく気付きやしたか。あンたの力に屈服して姐さんを裏切った事を、ずっとあたしは悔いてやした。だから姐さンに顔向けできるように、密かにあンたを倒す機会を窺ってたンですよ」
「成程な。東方諸島には忠義を重んずる文化がある。魔女になっても、そいつは変わらないってわけか」
『猛禽の女郎』は重々しく頷いた。
たとえ人間だった時の記憶を封じられていても、『黒獅子姫』への恩は心の中に残り続けていたのだ。
「さあ、どうします? 尻尾を巻いて逃げ帰っても、あたしは別に構いやせンぜ」
挑発するような口調。
だがジェミナイは、ふてぶてしい笑いを返す。
この程度の事では、まるで動じないと言わんばかりに。
「もちろん受けるとも。部下の手前、ここですごすごと帰るわけにもいかないからな」
そう言うと、白い布の前に勢いよく腰をろした。
自分の作戦がうまくいった事に内心安堵しつつ、『猛禽の女郎』も反対側に腰を下ろす。
「それで何のゲームで勝負しやす? さっき魔女殺しの兄さン達と遊んだ、『キングス・ベット・ハート』なんかもありやすが……」
「いや、面倒臭いゲームは御免だね。さっさと切り上げたいから、すぐにケリのつく単純なやつにしよう。ああ、それとコインもいらないぜ。俺の命と君の命とじゃ、価値に差があり過ぎるが、面倒だから一回勝負にしよう」
『猛禽の女郎』は、一瞬驚いた顔をする。
「もちろん、あたしはそれで構いやせんよ」
天と地ほどの力の差がある相手である。
本来ならば、たとえゲーム対決でも『猛禽の女郎』の勝機は限りなく薄いはずだ。
それなのに、わざわざ自分から対等な条件を出してきたのだ。
それだけ自信があるのだろうが、『猛禽の女郎』にとっては大きなチャンスであった。
「ゲームはあれにしよう。サイコロを一個振って、奇数か偶数かで勝敗を決めるやつ。ほら、前にカンタローとかいう奴とやっただろ?」
「……それを言うならガンダーロでやすよ。では、それにいたしやしょう」
『猛禽の女郎』は『ハイ・アンド・デッド』で使ったサイコロの中から一つを選び、白い布の上にそっと置いた。
それから精神を集中させ、『鴻鵠の心眼』を発動させる。
だがジェミナイの身体からは、何のオーラも感じられない。
(あたしの能力をもってしても、あいつの運気までは見えやせんか。やはり恐ろしい相手ですね)
『猛禽の女郎』は、仕方なく能力を解除した。
(……ですが、それも面白うございやす。サイコロの目一つで、あたしの命はおろか、このモラヴィア大陸の命運が大きく変わっちまうんですからね。しかも確率は半々ときてる。勝つか負けるか、どちらに転んでも、この『猛禽の女郎』一世一代の大勝負でござンす!)
背筋にぞくぞくと震えが走る。
だがそれは恐怖からでは無く、真剣勝負に逸る、心からの武者震いであった。
「最期にもう一度確認しておきやす。あンたが勝てば、あたしの命は差し上げやすが、その代わりあたしが勝ったら、あンたの命を貰いやす。それでよござンすね?」
「ああ。よござんす、だぜ」
ジェミナイは、からかうように言った。
自分の命が懸かっているのに、まるで他人事のような口調だ。
そして何も言わずにサイコロを取り上げると、手の中で弄ぶ。
「賽を振る前に、奇数と偶数のどちらに賭けるか決めて下せえ」
『猛禽の女郎』が尋ねると、ジェミナイは気だるげな顔をして、首を横に振る。
「いや、そんな賭け方じゃサプライズがなくてつまらないね。奇数と偶数のどっちが出ても、君の勝ちでいいよ」
「は?」
「その代わり、ゼロが出たら俺の勝ちだ。じゃあいくぜ!」
ジェミナイは無造作にサイコロを放った。
サイコロは白い布の上をころころと転がり、やがてひとつの面を上にして止まる。
出た目は――――ゼロ!
六面に刻まれていた、全ての目が忽然と消え失せていた。
表面がつるつるの、ただの白い六面体と化している。
「イカサマだッ!!」
『猛禽の女郎』は叫んだ。
同時に『おぼろ残月』を掴み、『居合』の構えを取る。
「あー、バレたか。ごめん。君のルールではこういう場合、『ユビツメ』だっけ?」
堂々とイカサマをしておきながら、ジェミナイはまるで悪びれない様子であった。
だが『猛禽の女郎』は、情け容赦なく宣告する。
「いいえ、あたしのルールでは首をいただく事になってやす。――斬り捨て御免ッ!!」
鞘から抜き放たれた凍てつくような刃が、旋風となってジェミナイの首を吹き抜ける。
そして死をもたらす光は、瞬く間に元の鞘に納まった。
だがジェミナイは、首筋に息を吹きかけられたかのような、くすぐったそうな顔をしていた。
「悪いが全然斬れてないぜ。その刀、なまくらなんじゃないか?」
「なッ!?」
目を丸くする『猛禽の女郎』。
ジェミナイの首には傷一つついていない。
確実に『居合』の間合いに捉えていたはずなのに。
「君は常々、その『おぼろ残月』なら、ミュレイアすら斬り伏せる事が出来る、とかぬかしてたよな。だけど俺程度の存在も斬れないのに、どうしてミュレイアを斬れるんだい?」
「お黙りなせえ!!」
怒りの雄叫びと共に、再度放たれる斬撃。
だが乾坤の一撃も、ジェミナイの身体をすり抜けてしまう。
先程、サイコロを持っていたのだから、目の前のジェミナイが幻のはずはない。
しかし今は、蜃気楼を相手しているかのような不可解な状態であった。
「ルールを制する者が世界を制する」
今までとはうってかわって、峻厳な口調でジェミナイは言った。
もはや先程までのような、道化じみたトリックスターを演じてはいない。
そこにいるのは、冷徹な悪の権化そのものであった。
「いつの時代も世を統べるのは、ルールを守る側ではなく生み出す側だ。その点において、君はいい線をいっていた。だけど君が創り出したちっぽけなルールなんて、この世界を統べる神のルールの前では塵屑同然なんだよ」
「だ、だけど神でもないあンたに、そんなルールを生み出せる力なんてないはずッ!!」
「もちろんそうだとも」
ジェミナイはあっさりと認めた。
「だがルールを生み出せなくても、書き換える権限ならある。だから今の俺は、いかなる攻撃も無効化できる一方、逆にいかなる相手への攻撃も、無効化される事は無い。君達のような『偽りの魔女』には、本来は魔力や神気を帯びた攻撃でしかダメージを与えられないが、俺にはそんなルールは一切適用されない。もちろん君がこの部屋に設定したルールも、全て無効なんだよ」
ジェミナイの右手の指先が『猛禽の女郎』を指した。
「さて、茶番はもう終わりにしよう。俺のゲームからご退場願おうか」
不意に『猛禽の女郎』の全身に、外部からの強力な圧力がかかる。
白く美しい肢体がどんどんと押し潰され、内部へと圧縮されていく。
全身の骨が砕け、筋肉が裂け、脂肪が破裂し、ぞっとするような耳障りな音を立てる。
「あたしを……倒したぐらいで……。必ず姐さんがあンたを――」
『猛禽の女郎』は、それだけ言うのがやっとであった。
なぜなら次の瞬間には、握り拳大の肉塊へと変わり果てていたから――。
『猛禽の女郎』が死んだため、魔力によって創り出されていた和室は忽然と消え失せた。
ジェミナイ達がいるのは、がらんとした、ただの殺風景な船室であった。
浮いていた肉塊が、ごとっという音を立てて床板に落ち、血の跡を残しながらジェミナイの足元に転がった。
死した『猛禽の女郎』の魔力が、青いオーラとなって肉塊から滲み出す。
だが本来の所有者である『黒獅子姫』の所に還ろうとする魔力を、ジェミナイが両手ですくい取ってしまった。
「これは何かの役に立つかもしれないから、俺が預かっておこう」
ジェミナイは魔力のオーラを、まるで綿か何かのようにぎゅうぎゅうと両手で押し固めていった。
やがてそれは、虹色の飴玉のような小さな塊に代わる。
満足げな顔をしたジェミナイは、魔力の塊を口に入れ、ごくりと飲み込んだ。
「我が君、お身体が……」
今まで主君のする事を、無言のまま見守っていた『影の手』が、急に深刻な口調で言った。
ジェミナイが自分の右手を見ると、まるで陽炎のようにおぼろげな半透明の状態になっていた。
「……早く残りの権限を手に入れないと、おちおち外を出歩く事も出来やしないな。仕方ない。来たばっかりだが、もう帰るとしよう」
『影の手』の左手が、またもひとりでに動きだし、何の無い空間に魔方陣を描き出した。
そして現れたゲートの向こう側へと、ジェミナイは姿を消した。
「用は済んだし、君もオニキスタワーに戻ってきていいぞ」
銀の腕からジェミナイの声が響く。
「いえ。ダグボルト達をこのまま放っておくのは危険です。我が君の存在を知られてしまった以上、奴らは遅かれ早かれオニキスタワーに辿り着くでしょう。ですから暗殺の許可をお与えください。さすれば一人ずつ確実に葬ってご覧にいれますゆえ」
『影の手』の黒い瞳には、暗い憎悪の炎が宿っていた。
左腕を奪ったダグボルトへの憎しみの炎が。
だがジェミナイは、無情にもこう答えた。
「その必要は無いよ。彼らにはモイライ三姉妹をぶつける予定だからね」
「ならば拙者も、あの魔女達に協力いたします」
「いいや、駄目だね。君にはもっと重要な任務があるんだ」
ジェミナイは、にべもなく言った。
『影の手』の口から、微かな歯軋りの音が鳴る。
それを耳聡く聞いたジェミナイは、慰めるように声を掛ける。
「そうカッカするなよ、『影の手』君。君には名無き氏族の指揮を執って、『原初なるものの揺り籠(オリジンズ・クレイドル)』の完成を急がせて欲しいんだ」
一瞬、『影の手』の目に驚きの光が宿る。
「あの者の協力抜きで、計画を先に進めてしまってよろしいのですか?」
「ああ。彼女が約束を守るにしろ、守らないにしろ、『原初なるものの揺り籠』は完成させておく必要があるからね。そういうわけだから、よろしく頼むよ」
「了承いたしました。ではすぐに帰還いたします」
そこで交信は終わった。
真っ暗な部屋の中で『影の手』はひとり呟く。
「……ダグボルトよ、おぬし程の男なら、三姉妹に殺される事はあるまい。拙者自らの手で倒すその日まで、決して死ぬでないぞ」
そして彼の身体は、闇に溶け込むかのように消え失せた。
完全なる静寂だけを後に残して――。
カラドリウスのゲーム 完
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