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 布の上をサイコロが転がる微かな音。  それが命を賭けたゲームの静か過ぎる幕開け。 「あたしが先攻、つまり親でやすね」  サイコロの目を見た『猛禽の女郎』が厳かな口調で言った。 「では第一ゲームの賭け金を決めさせていただきやす」  『猛禽の女郎』の手元には三十枚の銅銭があった。  ダグボルトの手元には、ウォズマイラのものと合わせた二十四枚。  そして『猛禽の女郎』の決めた賭け金は――。 「二十四枚」 「なッ!?」  驚くダグボルト達を見て、『猛禽の女郎』は口元に妖艶な笑みを浮かべる。 「まだるっこしいゲームをだらだらと続けても仕方ないですからね。ここは一気に勝負を決めさせていただきやすよ」  ダグボルトは眉間に皺を寄せ、しばらく悔しそうな表情を浮かべていた。  そして無言のまま、自分の銅銭を一枚指で押し出す。 「おや、降りるンですかい。図体が大きい割に、意外と意気地が無いンですねえ」  だが何と言われようと、ダグボルトに挑発に乗る気など全く無かった。 (あいつの実力が分からない今の時点で、大勝負に乗るのはあまりにリスクが大きすぎる。こっちは命を賭けている以上、慎重に慎重を重ねて行動しなきゃならん) 「……じゃあ俺が親だな。賭け金は一枚だ」 「まあ、こっちの手の内を知りたいってンなら、それもいいでしょう。受けてあげやすぜ。だけど降りられるのはあと二回。そいつを忘れねェで下せえよ」  しかしダグボルトが最初のカードを引こうとした瞬間、急にウォズマイラが申し訳なさそうにこう言った。 「済みません。少しだけ待ってもらえますか?」  手には『猛禽の女郎』から借りた紙と羽ペン。  ウォズマイラは紙に一から十の数字と、キングを三列分書き込んでいる途中であった。  場に出たカードの数字に×をつけていけば、山に残された数字をほぼ把握する事が出来るからだ。  『猛禽の女郎』は場に出たカードを全て暗記出来るが、ダグボルト達はミスの無いように、こうして記録しておく事にしたのだ。 (確かに相手に勝てるカードが多い山から引くのが、普通ならセオリーになりやすね。だけどそンな戦法はあたしには無意味なンですぜ)  『猛禽の女郎』の仮面の下の瞳孔が僅かに細まる。  すると瞳に映るダグボルト達の身体からは、緑のオーラが放たれて見えた。 (フフッ。見えますよ、あンた達の運気が) ――運気を視覚化する。それが『猛禽の女郎』の眼に秘められし能力、『鴻鵠(こうこく)の心眼』なのだ。 (オーラの量を見れば、あンた達の現在の運気は丸分かりなンですよ。運気の最大値を百とした時、魔女殺しの兄さンは七十。聖女のお嬢さンは六十。そして赤毛のお嬢さンは……に、二十!? ゲームに参加してないとはいえ、いくら何でも酷過ぎやしませンかねえ……)  『猛禽の女郎』は危うく笑い出しそうになるのを堪える。  そして今度はカードの山の方を見る。  すると『鴻鵠の心眼』によって、彼女には三つの山の一番上のカードが、それぞれ別の色に光って見えた。 (カードの色は運気の増減を示す。青く光るカードを引けば運気が上昇し、黄色なら現状維持。しかし赤を引いてしまうと運気が下降する。運気が上がればカードの引きも良くなりやすが、逆に下がってしまうと引きが悪くなってしまいやす。つまりあたしが青を引き、魔女殺しの兄さンに赤を引かせていけば、おのずと勝利に近づいて行くンですよ)  先程の『ハイ・アンド・デッド』で、『猛禽の女郎』がサイコロを一個ではなく二個振ったのは、実は青く光っていたのが二個だったからであった。  七が出やすい、などという理由は後付けに過ぎない。  だからもし青く光ってたのが一個だけだったとしたら、素直に一個振ったであろう。 (……とは言ってもこの能力はカードを透視したり、サイコロの目を操作したりするもンじゃありやせん。だからイカサマには当たらないンですよ) 「準備完了しました。始めてください」  ウォズマイラの言葉を受けて、ダグボルトは少し迷ったのち、黄色く光る『熊』の山から引いた。  そして『猛禽の女郎』は迷う事無く、青く光る『鷲』の山から、一番上のカードを引く。  第一ベット――先攻はダグボルト。  ダグボルト――『熊』の『五』。  『猛禽の女郎』――『鷲』の『四』。 「おや、初手は負けてしまいましたねえ。残念です」  言葉とは裏腹に『猛禽の女郎』はさして悔しそうでもなかった。  しかし第二ベット、第三ベットと、彼女は青か黄色を引きながらも連敗を重ねていく。  ダグボルト達の表情に僅かながらに安堵の色が現れる。  運が向いて来ているのかも知れない。  だがそう考え始めていた第四ベット――先攻はダグボルト。  ダグボルト――『狼』の『十』。  『猛禽の女郎』――『熊』のキング。  ダグボルト達の顔が一瞬で引き締まる。  これで互いのポイントはゼロ。  ここに来て、勝負は振り出しに戻ってしまった。 (……あたしの能力は、決して絶対の勝利を約束するもンじゃありやせン。だけど運気の流れをコントロールする事で、ゲームを完全に支配出来てしまうンですよ。それこそがこの『猛禽の女郎』を、ゲームの達人たらしめてきた理由!)    **********  瞬く間に第四ゲームまで終了した。  ダグボルトが第一ゲームと第三ゲームを降りたため、実質的には二ゲーム。  だがまさかの二連敗――いずれも惜敗であった。  血が滲む程、唇を強く噛むダグボルト。  第四ゲームも賭け金一枚だったため、これまでに失った賭け金は、降りた分と合わせても僅か四枚。  だが勝ちが見えない。 「あたしの親ですね。賭け金は……」 「待ってくれ。少し作戦を考えたい」  ゲームを中断させたダグボルトは、『猛禽の女郎』から少し離れた場所で、ウォズマイラ達とひそひそと話し合う。 「ダグボルトさん。これを見てください」  ウォズマイラは差し出した紙には、ベットごとの勝敗やポイントの推移が書き込まれていた。  ダグボルトの指示で、『猛禽の女郎』の戦術を見極めるために密かに記録していたものだ。 「『猛禽の女郎』のカードの引き方に、戦略性はないように見えます。どちらかといえば無作為というか……」 「運任せに近い?」 「ええ。そんな感じです。二ゲーム合わせたベットごとの勝敗を見ると、ダグボルトさんの十七勝十五敗。引いたキングの枚数が、ダグボルトさんが三枚、『猛禽の女郎』が二枚です」 「ほぼ拮抗してるな。二ゲームとも惨敗ではなく惜敗だから、負けたのはたまたま俺達の運が悪かっただけなのかも知れんが……」 「いえ。相手がゲームの達人を自負する『猛禽の女郎』である以上、たまたまなんてありえないと思えます」 「そうだな。もう少し、ゲームの内容を詳しく見てみよう」  二人は再び記録を調べ、『猛禽の女郎』の手の内を探ろうとした。  だがやはりそこには、いかなる規則性も法則も見いだせない。  すると今まで黙ってゲームを見ていたアルーサが口を開いた。 「さっきまでのゲームを見てたら、ダグと戦った時の事をちょっと思い出したわ」 「どういう意味だ、アルーサ?」 「アンタはアタシの攻撃をけっこう食らってたけど、致命的な攻撃だけは防いでたでしょ。それと同じように、アイツも半分近いベットで負けてるけど、致命的な負けだけは避けてるって感じ」  ダグボルトの頭に何かが閃いた。  再度、ベットごとの勝敗を見て、それは確信へと変わる。 「確かにお前の言うとおりだ! 俺が勝った時はカードの点数が少なく、『猛禽の女郎』が勝った時はカードの点数が大きい時が多いぞ!」 「まさか『猛禽の女郎』は、カードの中身を透視しているんでしょうか?」  その疑問にダグボルトは首を横に振る。 「いや、この部屋のルールは『猛禽の女郎』自身にも有効なはずだ。イカサマをしていたら今頃は首を失っているはずだ」  だがアルーサは納得のいかない様子でこう言った。 「それって『猛禽の女郎』がそう言っているだけでしょ。あの魔女は私達に嘘のルールを教えて、イカサマしてんのかも知れないわよ!」  そう言うや否や、つかつかと『猛禽の女郎』の元に歩み寄る。 「ねえ。最初からずっと気になってたんだけど、何でアンタ、左手にだけ手袋嵌めてんの? それって怪しくない?」 「あたしがイカサマしてると言いたいンですかい? それなら中を見せてさせあげやすよ」  『猛禽の女郎』は左手に嵌めた手袋をするりと一気に脱いだ。  そこにあったのは四本の繊細な指を持った手。  そして小指のある場所で銀色に輝く、一本の義指であった――。 「見ての通り、あたしは小指を失ってやしてね。見苦しいと思って、普段はこうして手袋で隠してるンでやすよ」  そして『猛禽の女郎』は義指を捻って外すと、畳の上に置いた。 「こいつにイカサマの種でも仕掛けてると思うンでしたら、じっくり調べて下せえ。何でしたら次のゲームからは外しても構いやせンよ」  アルーサは義指を手に取ってじっくりと観察した。  魔力は秘められておらず、滑らかな表面を撫でてみても特に怪しいところは無い。 「この指を失ったのは『ユビツメ』のためか?」  『猛禽の女郎』の近くに来たダグボルトが聞いた。 「さあ? あたしが魔女になった時には、すでにこうなってやしたからね。他の魔女と同じように、あたしは人間だった頃の記憶を、『黒獅子姫』姐さんに封じられてるンですよ。まあ知ってたとしても、それをあンた達に教える義理はありやせンがね」  済まし顔で答える『猛禽の女郎』。  だがダグボルトには、その言葉に僅かに焦燥の響きがあるように感じられた。  二人のやり取りが飲み込めないアルーサは、ダグボルトに小声で尋ねる。 「……ねえねえ、『ユビツメ』って何?」 「『ユビツメは』東方諸島に伝わる古いしきたりだ。あそこには西方では考えられないような独自のしきたりがいくつもあってな。たとえば『ハラキリ』。これは主に不名誉な行いをしたサムライが、自らの腹を短刀で切り裂いて死ぬ事で、主君に謝意を示すというものだ」 「えっ? それ、冗談よね?」 「冗談なんかじゃないぞ。これは本当にあるしきたりだ。しかも腹の裂き方も、真一文字に裂いたり十文字に裂いたりと、色々な形式に分かれている。そして美しい『ハラキリ』で潔く散ったサムライは、汚名をすすがれ、勇敢なる者として歴史に名を残す事が出来るんだ」 「はあ……。アタシには理解しがたい話だわ」  世界の広さを知って、頭がくらくらするような感覚に捉われるアルーサ。 「それとは対照的なのが『ユビツメ』だ。『ハラキリ』と同じように不名誉な行いをした者が、目上の人間に謝意を示すためのしきたりだが、『ユビツメ』では汚名をすすぐ事は出来ない。その代わり、指を一本――主に小指を切り落とすだけで済むがな。だが『ユビツメ』を行った者は、『ハラキリ』を選ばなかった事を恥と考えて、傷痕を隠す事が多いんだ」  しかしダグボルトの脳裏には一つの疑問が生じていた。 (人間だった時の記憶を完全に封印されているのなら、別に『ユビツメ』の痕を隠す必要は無いはずだ。もしかしたらあいつも、今まで出会ってきた魔女達と同じように、人間だった時の記憶が断片的に蘇っていて、過去のトラウマに囚われているのかも知れん。その具体的な内容さえ分かれば、動揺を誘ってゲームを有利に進められるんだが……)  ダグボルトは無意識の内に、懐の中にしまってある宝玉に触れていた。  中に囚われた『黒獅子姫』に助けを求めるかのように。 (ミルダさえここにいてくれれば……。あいつならきっと、『猛禽の女郎』が『ユビツメ』した理由を知っているだろうに……) 「さて、大分時間も経ちやしたし、そろそろゲームを再開いたしやしょう。第五ゲーム、あたしの賭け金は二十枚でやす」  『猛禽の女郎』は無情にも告げる。  第一ゲーム目、第三ゲーム目同様、ダグボルト達の種銭と同じ額を。  顔を強張らせたダグボルトは、振るえる指で銅銭を一枚、前へと押し出した――。    **********  第六ゲーム――またしても『猛禽の女郎』の勝利。  次のゲームで親となる『猛禽の女郎』は、間違いなくダグボルト達の現在の種銭と同額の十八枚を賭け金とするであろう。  だがすでにダグボルト達はゲームを三回降りている。  もう降りる事は出来ない。  このままでは、次が事実上最期のゲームとなるのだ――。 「……ところで魔女殺しの兄さン。こういう話をご存知ですかい?」  『猛禽の女郎』は急に語り始めた。 「とある賭博場にボロボロの身なりをした男が現れやした。男は全財産と思われる少額の銀貨を賭けてゲームに挑みやした。すると驚くほどの大勝利。男が賭けた金は何倍にもなって返ってきやした。ところが男はそれに満足せず、さらに手に入れた金を全てつぎ込んで、次のゲームに挑みやした。するとそのゲームも大勝利。そんな感じに全財産を何度も賭けては、次々とゲームに勝ちまくって、瞬く間に十連勝。男はほンの僅かの時間で莫大な金を手に入れたンですよ」  緊張のために無表情なダグボルトに向けて、滔々と話をまくし立てる『猛禽の女郎』。  勝ちを確信したせいか、今までになく饒舌になっていた。 「そして迎えた十一ゲーム目。当然、周りの観衆は男の勝利を疑って止みませンでした。……ところがこれが大外れ。男は一瞬にして、手にした莫大な金を全部失ってしまったンです。観衆は落ち込む男に口々に言いました。どうして勝っているうちにゲームを止めなかったンだ、適当なところで止めておけば良かったのに、ってね。すると男はこう答えやした。『次も勝つと思った』ってね」 「……………………」 「二回、三回の連勝は別に珍しくありやせん。単に運が良かっただけと言えるでしょう。ですが十連勝となると話は別です。人はそこに幸運以上の何か――運命的なものを見出してしまうンですよ。自分は他の人間とは違う、天から授けられし宿命の持ち主なンだってね。……でもね。実際にはそんなもン、ただのまやかしンですよ。ただの偶然の悪戯。たまたま偏った確率の産物に過ぎないンです」 「……一体何が言いたい?」 「まだ分からないンですかい? 今のたとえ話はあンたの事を言ってるンですよ」  『猛禽の女郎』の口調が急に厳しいものになった。 「あンたは北の城で出会った『黒獅子姫』姐さんに協力して、あたしの同族(はらから)を次々と撃破していきやしたね。『金蛇の君』、『緋蠍妃』、『石動の皇』、『翠樹の女王』、そしてシュベレク回廊を支配していた『紫炎の鍛え手』と、その姉、『碧糸の織り手』……。しかしあまりにも事が順調に進み過ぎたために、運命が自分に味方してくれてるンだと思い込んでしまったンじゃないですかねえ。だからこそ勝ち目の無い相手に、のこのこと会いに行ってしまったンでしょう? あの『白銀皇女』にね」 「貴様、どうして俺達の事をそこまで知ってるんだ!?」 「今じゃあ、あたしだけでなく、他の魔女もあンた達の事を知ってますよ。あたし達には友人がいるンです。共通の友人がね。その人が色々と教えてくれるンですよ」  共通の友人と聞いて、ダグボルトの脳裏にガーネットブレイズの言葉が思い出される。 ――殿下はさる者に『黒獅子姫』殿を引き渡すという取引に応じたのです。 ――あなたが『黒獅子姫』殿と行動を共にしていたら、いずれはその者に消されていたでしょう。相手は非常に狡猾で恐るべき存在なのです。 (やはり『黒の災禍』の裏で、ミルダでさえ知らない何かの計画が動いている。それを知るためにも、ここで負けるわけにはいかない!) 「次のゲームまでもう一度作戦を練りたい。待ってくれるか?」 「ええ、いいですよ。急ぎはしませンから、ゆっくり考えてください」  『猛禽の女郎』の余裕の口ぶりを苦々しく思いながらも、ダグボルトはまた少し離れた場所に三人で集まった。 「三ゲーム戦ったがどうしても『猛禽の女郎』の手の内が分からない。お前は分かるか、ウォズ?」 「済みません。私にもさっぱり……。でも正攻法では勝てない相手だという事は分かります。だから……」 「だから相手のミスを誘うしかない。そうだろう?」 「ええ。問題はその方法ですね」 「そうなると方法は一つしかない。奴に強いプレッシャーを与えて、心理的余裕を失わせる事だ。鍵になるのは奴の『ユビツメ』の傷痕。あれが奴のトラウマになっているのは間違いない。だがそれを利用するにはあと一押しが必要なんだ」  実はダグボルトの頭の中には、すでに最後の一押しのためのアイデアが浮かんでいた。  だが今までそれを口に出す事が出来なかったのだ。  なぜなら――。 (このアイデアはアルーサにまで犠牲を強いる事になる。俺は今までの戦いで、多くの人間を犠牲にしてきた。この上、ウォズマイラだけでなく、アルーサまでも勝利のための生贄にはしたくはない。何か別の方法は無いか? 別の方法は……)  緊張でズキズキと痛むこめかみを指で押さえ、何とか他のアイデアを考えようとした。  新しいアイデアが現れては消えていく。  しかしいつまでたっても、最初に考えたアイデア以上のものは浮かばなかった。  ふと顔を上げるとアルーサと目が合った。  ダークブルーの瞳には、柄にもなく心配げな光が宿っている。  だが後ろめたい気持ちのあるダグボルトには、視線を合わせている事が出来ず、思わず目を逸らしてしまう。 「……その目、アタシに頼みたい事があるんでしょ。いいわ。言ってみなさいよ」  事情を察したかのようにアルーサが言った。  いつもの軽口のように聞こえるが、覚悟を決めたような響きだ。  ダグボルトは少し躊躇った後、アルーサの耳元で自分のアイデアを囁いた。  顔に驚きの色を浮かべるアルーサ。  だがそれはほんの一瞬で、すぐに落ち着いた表情に戻る。 「それ、もちろん本気よね」 「ああ。だが無理にとは言わん。俺に何かを強制する権利は無い。後はお前が決めてくれ」  アルーサは、ダグボルトとウォズマイラの顔を交互に何度も眺める。  そこにあるのは、死期を悟った人間が必死に絶望に耐える表情であった。  だがそれでも二人の瞳には、絶望に抗う闘志の炎がまだ残っていた。  まだ戦いは終わってはいない。  このままでは終わらせない。  二人の瞳はそう物語っている――。  アルーサはゆっくりと口を開いた。  そして静かな口調で語り始める。 「ねえ、ダグ。ウォズはアンタの勝利を確信したからこそ、このくだらないゲームに自分の命を賭けたんでしょ。それはここまで船を出したボイドも同じ。それなのに、ここでアタシだけゲームを降りるのは莫迦らしいわよね」  それからニヤリと不敵に微笑むとこう告げる。 「……だからアタシも、アンタの勝ちに賭けてやるわ。どうせならアタシも勝ち馬に乗りたいもん」  アルーサはつかつかと『猛禽の女郎』の側まで歩み寄った。 「ねえ、アタシもゲームに参加するわ。アタシの命の分のコインをダグのに加えてよ。いいでしょ?」  『猛禽の女郎』は頬に手を当てて考え込む顔をする。 (……こちらの種銭は三十六枚。向こうは赤毛のお嬢さンの分の十二枚追加しても三十枚。このゲームで賭け金を三十枚にすれば、どっちにしろ一気にケリをつける事ができやすね。しかも三人纏めて片付けられるンだから、こっちも願ったり叶ったりですよ) 「いいでしょう。特別に認めやしょう」  『猛禽の女郎』が指を鳴らすと、ジャラジャラと銅銭が十二枚落ちてきてダグボルト側の種銭に加えられる。 「ではそろそろゲームを始めやしょうか。今度の賭け金は――」 「待って。まだ話は終わってないわよ」  アルーサは話を中断させると、その場にどっかと腰を下ろした。  刺々しい視線が『猛禽の女郎』の仮面の奥に突き刺さる。 「さっきから見てたけど、アンタの態度ムカつくのよねえ」 「はあ。どういったところがです?」 「くっだらないたとえ話を偉そうにベラベラ語ってたじゃん。ダグやウォズと違って、アンタは何も賭けてない癖に、よくあんなご立派な口利けたもんね」  『猛禽の女郎』の目に僅かに困惑の色が浮かぶ。 「あンた、一体何を言ってるんです? あたしが負ければ、『黒獅子姫』姐さんの封印を解くって約束してるじゃないですか」 「違うッ!! アタシが言いたいのはそういう事じゃないの!!」  アルーサは怒りに任せて、拳を畳に思い切り叩きつけた。  振動で銅銭の山が崩れる。 「ダグやウォズは自分の命を賭けてんのよ!! もちろんアタシもね!! それなのにアンタだけが、何のリスクも犯していないじゃん!! ミル何とかを元に戻したところで、アンタには何のダメージもないでしょ!! 命を賭けてる人間に向かって偉そうな口利くなら、アンタもそれ相応のリスクを負ってみなさいよ!!」 「……それはつまり、あたしにも命を賭けろと言いたいンですかい?」  だがアルーサは首を横に振る。 「いいえ。命なんかいらないわ。アンタが負けたら、ミル何とかを元に戻すのに加えて、右手の小指を貰うわ」 「小指? それってまさか……」 「そう。『ユビツメ』よ!」  絶句――。  言葉を失った『猛禽の女郎』の口がパクパクと動く。  それを見てアルーサは、ダグボルトに教えられたアイデアがうまくいったと確信した。  『猛禽の女郎』のトラウマを抉り、プレッシャーを与えられたのだと。  だが、次の瞬間――。 「プッ。アハハハハハハハハハハ!!」  傲岸不遜な『猛禽の女郎』の高笑いが部屋中に響き渡る。 「プフフッ。そんなやり方でアタシを動揺させて、ミスを誘えるとでも思ったンですか? だけど要は負けなければいいだけじゃないですかい。いくら策を練ったところで無駄な足掻きなンですよ、お嬢さン」 「じゃあ賭けんのね?」 「ええ。賭け――」  そこで急に言葉を詰まらせる『猛禽の女郎』。  仮面の下の切れ長の目が大きく見開かれている。  その視線は自分の右手――赤々と輝いている小指に向けられていた。 (まずいッ!! この指を賭けるのは凄くまずいッ!! これを賭けてしまったら、あたしの運気は大きく下がってしまうッ!!)  『猛禽の女郎』は冷静を装いつつも、脳内で必死に打開策を組み立て始めた。 (だがここで小指を賭けなければ、こっちの動揺を悟られてしまいやす。いっそ赤毛のお嬢さンの途中参加を認めないというのは? いや、それも駄目ですね。すでに参加を認めている以上、いきなりキャンセルするというのはあまりに不自然過ぎやす。だとすれば、もはや選択の余地などありやせンね……) 「どうしたの? 何で急に黙っちゃうのよ?」 「済みません。ちょっと声が擦れちまいやしてね。では改めて、この小指を賭けさせて貰いやす」  『猛禽の女郎』は何事も無いかのように微笑みかける。  しかし心中は穏やかでは無かった。 (今の選択で、あたしの運気は大きく下がってしまいやしたね。ですが問題は、それがどのくらいかってことでやす。『鴻鵠の心眼』の重大な欠点、それは自分自身の運気だけは見られないって事ですからね……) 「……さて、あたしも賭ける物を増やしましたんで、その分種銭が加算されやす」  『猛禽の女郎』が指を鳴らすと、種銭に新たに六枚が加算された。それを見てアルーサは信じられないという顔をする。 「ちょっと!! こっちは命を賭けて十二枚なのに、何でアンタは指一本で半分の六枚なのよ!! 納得いかないわ!!」 「いや、これでいい」  激高するアルーサの肩を、後ろにいたダグボルトがポンと叩く。 「これで『猛禽の女郎』にとって、あの指が重要な価値を持っていると証明されたようなものだからな。あいつが何と言おうとそれだけ『ユビツメ』を恐れてるって事だ」  的確な指摘を受けた『猛禽の女郎』の眉間に大きな皺が寄る。  仮面のおかげで表情が表に出ないのが、彼女にとって幸いであった。  自分の作戦がうまくいった事に満足したダグボルトは、アルーサの隣に腰を下ろした。 「こっちの作戦会議は終了だ。もうゲームを始めてもいいぞ」 「そうですかい。では今回の賭け金を決めさせていただきやす」  だがその前に、『猛禽の女郎』は念のため、『鴻鵠の心眼』でダグボルト達の現在の運気を量っておこうとした。 (魔女殺しの兄さンは五十、聖女のお嬢さンは四十ってところですか。二人とも、今までのゲームでの選択によって、運気が大分下がってやすね。これならあたしの運気が下がっていても、十分に勝てるはず……)  だが何気なくアルーサの方を向いた瞬間、あまりの衝撃に思わず瞬きを忘れる。  彼女の全身からは、先程の倍以上のオーラが立ち昇っていた。 (何イイイイイイイイッ!? さっきは二十くらいだったのに、今はどう見ても七、八十はあるじゃねえですか!! まさかあたしに小指を賭けさせた事で、一気に運気が跳ね上がったってわけですかいィ!?) 「今回の賭け金は…………六枚」  苦々しげにそう告げる『猛禽の女郎』。  ダグボルト達は一斉に驚きの喘ぎを漏らした。  こちらの種銭と同額を賭けて、一気に勝負を決めてくると、全員が思っていたからだ。 「何で急に弱気になったの? そんなに『ユビツメ』が怖いの? ねえ? ねえ?」  からかうような口調でアルーサが尋ねる。  煽られた人間の、百人中百人が苛立ちを覚えるような声と表情。  さすがの『猛禽の女郎』も、殺気の籠った眼差しでアルーサを睨み付ける。 「ピーチク、パーチク、五月蠅いお嬢さンですねえ。単に気が変わっただけでやすよ。一気に勝負をつけるのも面白くないと思いやしてね。ここからはじわじわと攻め殺して差し上げやすぜ」  そう言うと『猛禽の女郎』は青く光る『鷲』のカードを引いた。  残された山の内、『熊』のカードは赤く輝き、『狼』のカードは黄色く輝いている。  ダグボルトは少し考えた後、『熊』の山に手を伸ばす。だがその手が急に止まった。 「アルーサ。悪いがここからはお前が引いてくれないか? 戦術なんかは一切気にせず、お前の引きたいカードを引いて行けばいい」 「ん? うん。分かった」  だが隣でそれを聞いていたウォズマイラは渋い顔ををする。 「……なぜ急にそんな雑な戦い方をするんですか?」  耳元で小声で尋ねられたダグボルトは、ひそひそ声で返す。 「……『猛禽の女郎』に正攻法は通用しない。だから今までのような戦い方はもう止める」 「でもよりにもよって、あのアルーサに任せなくても……」 「俺やお前は理詰めで物事を判断するが、アルーサは逆だ。直感で判断し、思いつくままに行動する。そういうタイプの方が、この状況では、俺達よりも遥かに役に立つだろう。だから今は、あいつの直感に全てを託した方がいいと思うんだ」 「そ、それってただの運任せじゃないですか! そんな無茶な……」  思わず頭を抱えるウォズマイラ。  耳を澄ませて二人の会話をこっそり聞いていた『猛禽の女郎』は、口元に微かな笑みを浮かべる。 (大きな過ちを犯しましたねえ、魔女殺しの兄さン。運気が見えるあたしに、運任せで勝負を挑むほど愚かな事はありませンよ)  一方、なぜかアルーサは『熊』と『狼』のカードの山に、交互に何度も手をかざしていた。 「……何をしているんですか?」  呆れ顔のウォズマイラが尋ねる。 「見て分かんないの? こうやって手をかざした時に熱を感じるのが、あいつに勝てるカードなのよ」 「はああ?」  ウォズマイラは泣き出しそうな顔になって、またも頭を抱えてしまう。  ダグボルトも、正直失敗だったかもしれないと言いたげな表情を浮かべていた。  そんな状況を見て、必死に笑いを堪える『猛禽の女郎』。 (プフフッ! あの年頃の小娘にありがちな、よく分からないオカルト頼みですかい。これはもう勝ったようなもンですねえ……) 「よし、これよ!」  アルーサは黄色く輝く『狼』のカードを引いていた。  第一ベット――先攻は『猛禽の女郎』。  『猛禽の女郎』――『鷲』の『二』。  アルーサ――『狼』の『四』。 「やった!! 見て!! 見て!! 勝ったわよ!!」 「へえへえ。たった一回の勝利で、そんなにはしゃがないで貰えますかねえ」  『猛禽の女郎』が冷めた口調で言った。  アルーサはむっとした顔をすると、またカードの山に手をかざし始めた。 「まさかそれ、毎回やるンですかい?」 「うっさいわね。集中力が途切れるから邪魔しないでよ!」 (まあ、青のカードを引けたからと言って、必ずそのベットで勝てるわけじゃないですから仕方ありませンね。ここから確実に青のカードを引いて運気を高めて……) 「次はこれよ」  その瞬間、『猛禽の女郎』の顔色が変わる。  アルーサは青く輝く『熊』のカードを引いていた。  残された二つの山のカードはどちらも赤く光っている。 (こ、このお嬢さン、まさか運気が見えてるンですかいィ!?)  『猛禽の女郎』はじっとアルーサの目を見て、瞳に何らかの力が宿っていないかと観察した。 (……いいや、違いやすね。あれは明らかに何も考えていない人間の眼です。今のは、たまたま正解のカードを引いたに過ぎやせンね。ですが偶然はいつまでも続くもンじゃありやせンぜ、赤毛のお嬢さン)  だが偶然は続いた。  どんどんとベットが進むも、アルーサは青や黄色のカードをひたすらに引き続け、赤のカードはほとんど引いていない。  手札のポイントは一進一退の状態で、中盤を過ぎても勝敗は見えない。  『猛禽の女郎』の心に動揺が生まれ始めていた。  カードを引こうとした時に、赤く輝く右手の小指が視界に入り慌てて目を反らす。 (くッ! 絶対に負けるはずがない! この『猛禽の女郎』はゲームの達人なンですから――)  その瞬間、『猛禽の女郎』の脳裏に鮮明な光景が現れる。    ********** 「どういうつもりだ、てめえッ!!」  薄暗い小さな賭場にどすの効いた怒号が轟く。  そこには二人の人間の姿があった。  頬に傷のある禿頭の大男が、美しき女博徒――カグラ・スドーの頭を何度も柱に打ちつける。  女の広い額が割れて、畳に血が飛び散った。 「大金の掛かった大勝負の時は、こいつを使えと言っておいたはずだぞ!! なンでまともに勝負しやがった!?」  大男はカグラのキモノの帯に手を入れて、二つのサイコロを引っ張り出した。  それは内部に重りが仕込まれ、振り方によって自由に出目を操作できる代物であった。  カグラはぜいぜいと喘ぎながら、息も絶え絶えにこう答える。 「今日の相手は……今まで勝負してきたチンピラ共とは……わけが違いやす……。達人級のサムライ……サブーロ・クリバヤシですぜ……。そんな安っぽい……イカサマなんざ……すぐに見抜かれちまいまさあ……。それに……」 「それに?」 「それに……あれ程のしのぎを削る熱い戦いは……生まれて始めてでやした……。そンな神聖な勝負を……イカサマなんかで……穢したくなかったンでね……。負けて悔いなしでやすよ……」  すると大男は、またもカグラの頭を柱に叩きつけた。 「莫迦か、てめえはよォォッ!! 博打に神聖もヘチマもあるかッ!! どんな手を使ってでも勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ!! それをくだらないプライドのせいで、負けて大損こきやがって!! これじゃボスに顔向け出来ねえじゃねえかよ、この間抜けがああッ!!」  大男は、東方諸島では名の知れたニンキョー・クラン(闇社会を取り仕切る結社)の幹部であった。  サムライの夫に先立たれて、路頭に迷っていたカグラを拾って自分の愛人とし、博打の技を仕込んで賭場で働かせていたのである。 「まさかてめえ、あのサブーロを見て、死んだ亭主を思い出したんじゃねえだろうなァ?」  するとカグラは口元に微かな笑みを浮かべた。  それを見た大男の顔が、激しい怒りで赤黒く染まる。  今度はカグラの身体を畳に転がし、腹部を蹴りつけ始めた。  肉を打つ鈍い音が執拗に響く。  そして腹を押さえて呻くカグラに向けて、ペッと唾を吐きかけた。 「もういいッ!! てめえはもう用済みだ!! だがここ出て行く前に、ケジメだけはきっちりとつけて貰うからなあ!!」  大男は短刀を投げつけた。  畳に切っ先が刺さり、刀身がブルブルと震える。  光沢を放つ刃を見てカグラの顔色が変わった。 「今この場で『ユビツメ』しやがれ!! それが出来ねえンなら、売春宿に叩き売ってやるからな!!」  カグラは震える手で短刀の柄を握り締めた。  一瞬、大男の心臓に短刀を突き立ててやろうかという、どす黒い考えが頭に浮かぶ。  だがそんな事をすれば、たとえこの場を逃げ出せても、ニンキョー・クランから刺客のニンジャを送り込まれ、死ぬまで追われる身となるだろう。  覚悟を決めたカグラは、短刀の刃を自分の左手の小指に当てた。  悔しさで切れ長の目に涙が溜まる。  短刀を持つ手に力が入り、鋭い痛みと共に、小指の骨に刃が食い込む感覚が伝わってきた――。    **********  その生々しい感覚が、『猛禽の女郎』を現実へと引き戻した。 (まさかあれが人間だった時のあたし……?)  だがすぐにそんな心の声を否定する。 (いいや、何を考えてるっていうんですかい!? あれは断じてあたしなんかじゃありやせン!! あンなのは、運が足りなかったばかりに小指を失った、ただの哀れな女じゃねえですか!!)  『猛禽の女郎』は心の中で葛藤と戦いながらも、表面上は何事もないようにゲームを続けて行った。  次々とカードが引かれ、様々な思惑を巻き込んでベットは進行していく。  そしてついに『熊』の山のカードが尽きた。  それは第七ゲームの終了を意味する。 「あたしのポイントは十四です」  手札のポイントを数えていたアルーサは、それを聞いて驚きの表情を浮かべる。 「ちょっと待って!! こっちも十四点よ!! こういう場合はどうなんの!?」 「同点の時は手札の枚数が多い方が勝ちとなりやす。それも同じの場合は、引き分けでノーゲームになりやすがね」 「えーと……。アタシの方は五枚よ。アンタは?」  『猛禽の女郎』の瞳孔が僅かに細まった。 「……四枚」  沈黙、そして――。 「勝ったあああああああああッ!!」  雄叫びと共に立ち上がり、何度もガッツポーズを決めるアルーサ。 「まだ一勝しただけですよ。ゲームは終わってないのに喜び過ぎです」  だがそう言いながらも、安堵の表情を浮かべているウォズマイラ。  ダグボルトもようやくひと息ついた。  これでダグボルト側と『猛禽の女郎』側の種銭は、三十六枚で同数。  だがこの勝利の意義は、それ以上のものがある。  あの『猛禽の女郎』も、敗北する事があると証明されたのだから――。
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