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 雷混じりの豪雨の音が、窓ガラス越しに薄暗い寝室に響き渡る。  ベッドに寝転んだダグボルトは、天井の仄かなランプの明かりを頼りに古びた本を読んでいた。  ウォズマイラが昨晩持ってきてくれた、モラヴィア大陸の歴史書である。  ベッドの下には、読み終えた本が小高く積み上げられている。  一通りざっと目を通して見たが、残念ながらどの本にも『黒衣の公子』に関する新たな情報は無かった。 (正直、手詰まりだな……)  ダグボルトは本を閉じ、窓の外を見た。  昼過ぎにも関わらず、分厚い雨雲に覆われた空は真っ暗で、まるでこの世の終わりを思わせるような光景だ。  それは『黒の災禍』を思い出させた。  昨日まで平和だった街並みが業火に包まれ、人々は逃げる間もなく瞬時に命を奪われる。  消える事の無い恐怖と絶望を、人々の脳裏に植え付けた魔女達の狂宴を――。 (そうだ。ここであきらめるわけにはいかない。お前がどこにいようとも、絶対に見つけ出してやるぞ、ジェミナイ。この世界を破滅に導いたツケを、必ず支払わせてやるからな)  ダグボルトは、サイドテーブルに本を置いて立ち上がった。  活字に疲れた目を、指で軽くほぐすと部屋を出る。  曲がりくねった複雑な構造の廊下を抜けると、『黒獅子姫』の部屋の前に、なぜかウォズマイラとアルーサの姿があった。二人は何やら言い争いをしているようであった。 「こんな所で何してるんだ?」 「あ! ちょうどいいところに来てくれました。アルーサがミルダさんの部屋に勝手に入ろうとしてて、困ってるんですよ」 「だってさあ。魔女がどんなとこに住んでるか気になるじゃん! でもノックしても全然返事ないし、鍵掛かってんのよね、この部屋」 「そうなのか。俺もちょうどミルダに会いに来たところなんだがな。いないなら出直すか」 「そうですよ。ここは素直に出直すべきです。さあ帰りましょう」  アルーサの上着の裾を引っ張り、強引に扉の前から引き剥がそうとした。  だがその瞬間、アルーサの身体が眩い神気の光に包まれる。 ――『神鳴槍(しんめいそう)の戦具』。  アルーサは、神気によって具象化された、洗練されたデザインのプレートメイルを纏っていた。  驚いたウォズマイラは手を離してしまう。 「とうッ!」  気合の入った声と共に放たれた回し蹴りが、鋼鉄製の扉を大きくへこませる。  続けざまに撃たれた正拳突きで、鍵が壊れた扉は易々と開いた。 「開いたわよ。さ、中に入ましょ」  『神鳴槍の戦具』を解除したアルーサは、何事もなかったかのように言った。  そして唖然とする二人を無視して、部屋の中に入って行ってしまった。 「何これーっ!?」  入るなりアルーサは驚きの声を発した。  仕方なく中に入った二人は、眼前の光景に釘付けになる。  部屋の壁や床や天井は、得体のしれない植物の蔦に覆われていた。  それはまるで、『翠樹の女王(イグドラシル)』の膏血城の内部のようであった。  さらに部屋の戸棚やテーブルには、何やら見た事も無いような奇怪な生物や植物が入った瓶がたくさん置かれていた。寝室に続く扉には、人体解剖図が描かれたタペストリーが張られている。 「ねえ、これ凄くない?」  目をキラキラと輝かせたアルーサは、近くの壁に生えている、人間の頭ぐらいの大きさのハエトリグサに指を近づけた。 「それに触ったらいかんのじゃ! 噛みつかれると指を喰いちぎられるぞ!」  突然、警告の声が飛んだ。  いつの間にか寝室の扉から『黒獅子姫』が顔を出している。  慌ててハエトリグサから指を離すアルーサ。  それを見て、他の者は苦笑いを浮かべる。 「な、何よ! 何回もノックしたんだから、いたんなら返事ぐらいしなさいよ!」 「今までずっと眠ってたんじゃよ。ドアを壊された音で目が覚めたがのう」  『黒獅子姫』は腫れぼったい目を擦りながら答える。 「勝手に入ってしまって済みません。止めようとしたんですが、どうしても聞かなくて」  ウォズマイラは申し訳なさそうに言った。  それを聞いたアルーサは憮然とした顔をする。 「ほーら、始まった。この腹黒女ときたら、隙あらばアタシを悪人に仕立てようとするんだから」 「だから誰が腹黒女ですか!! 仕立てるも何も、事実を客観的に述べてるだけじゃないですか!!」  そして二人は、いつもと変わらぬ言い争いを始める。  ダグボルトにとっては見慣れた光景なので、特にどうという事は無いが、『黒獅子姫』は興味深げにその様子を眺めていた。 「たった一人増えただけなのに、ずいぶん賑やかになったものじゃのう」 「賑やかというか、うるさいだけだがな。ところでこの部屋は、煉禁術か何かの実験施設なのか?」 「そんな大げさなものではないのじゃ。ここで育てとる薬草を使って、医薬品を精製しとるだけじゃ。鎮痛剤とか、止血剤とか色々とのう。常にウォズの癒しの秘跡が使えるとは限らんじゃろ? じゃから一応用意しておいた方がよいと思っての」  そして『黒獅子姫』は一呼吸おいてこう続ける。 「……わしは人間だった頃、医者だったのやもしれん」 「やもしれん?」 「うむ。はっきりと覚えとる訳ではないんじゃがな。じゃが医者だったとすれば、わしが医学の知識を持っとる理由も説明できるじゃろ?」  今まで負傷した時に、何度も手当てを受けていたダグボルトからすれば、納得出来る話であった。  しかしアルーサが横から口を挟む。 「自分の過去なのに覚えてないってどういう事? 他の魔女みたいに記憶を封印されてんの?」 「いやァ、そうではない。正直言うと、ド忘れてしもうたのじゃ」  『黒獅子姫』は気まずそうに頭を掻いた。 「あのさあ。それじゃあホントに医者かどうかなんて分かんないじゃん。もしかしたら医学の知識を悪用して、患者を毒薬の実験台にしてた殺人鬼かも」 「一体何を言ってるんですか、あなたは!」  思わずギョッとするウォズマイラ。 「だってミル何とかって、悪の導き手なんでしょ。そんな仕事に選ばれるぐらいなんだから、昔は相当悪い事をしてたんじゃないの?」  ずいぶんと酷い言われようであったが、『黒獅子姫』は気分を害したりはしなかった。  それどころか口元に笑みさえ浮かべている。 「わしの事はミルダでよいぞ。わしが女神に悪の導き手として選ばれたのは、別に悪人だったからではないのじゃ。ただ単に、魔力に強い耐性を持ってたってだけなんじゃよ」 「へ? そんだけ?」 「うむ、それだけじゃ。じゃが、それが何よりも大きな理由なんじゃ。魔力に耐性の無い人間じゃと、大量の魔力を与えられた時に、精神に干渉して正気を失ってしまうからのう。じゃからわしが『偽りの魔女』を生み出す時には、人間だった時の記憶を消す必要があったんじゃよ。そうでないと過去のトラウマなんかが増幅されて、暴走してしまう危険性があるからのう。じゃが、わしにはそういう事は無いから、人間だった時の記憶もちゃんと持っとるという訳じゃ」 「そうだったのか。全然知らなかった」  初めて知る事実に、ダグボルトは思わず呟いていた。 「えっ? アンタって、ずっと一緒に旅してたんじゃないの? それなのに、この程度の事すら今まで知らなかったわけ?」  呆れたようにアルーサが言った。  それを聞き捨てならないとばかりに、今度はウォズマイラが食って掛かる。 「あのですねえ。あなたは知り合って日が浅いから知らないんでしょうけど、ダグボルトさん達は幾多の戦いを経て、強い絆で結ばれてるんですよ。だけどお二人だって、触れられたくない過去が色々とあるはずです。だから今までは、互いに深入りしないようにしていたんですよ、たぶん」 「は? 深く知り合わないで、どうして強い絆が得られるわけ? それっておかしくない? なくなくない?」  はっと息を飲む音。  アルーサにとっては他愛の無い一言であったが、ダグボルトには確信を突いた言葉であった。  無論、『黒獅子姫』にとっても。 「……こいつは痛いところを突かれたな」 「そうじゃのう。確かにアルーサの言う事も一理あるのじゃ。今まで、お互いに遠慮し過ぎだったかもしれんの」  二人が納得した顔をしているのを見て、アルーサは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 「でしょ、でしょ! だったらアタシからもミルダに色々聞いていい?」 「そうじゃな。答えられる範囲の事なら、いくらでも教えてやるのじゃ」 「じゃあミルダって歳いくつ? かなり忘れっぽいみたいだし、結構いってると思うんだけど」  余りにも無邪気、かつ天真爛漫な質問。  ダグボルトは、くらくらと眩暈のような感覚に襲われる。 (いきなり厳しいところを攻めすぎじゃないか……?)  顔を強張らせながらも、『黒獅子姫』の方をちらっと横目で見る。  しかし意外な事に、彼女は平然としていた。  そして躊躇う事無く答える。 「確か四、五百歳ぐらいじゃったかのう」 「えええっ!? それじゃアンタって、ババ――」 「待つのじゃ! 誰でも歳をとるのが当たり前じゃし、わしはその事実を粛然と受け入れとる。じゃからといって例えば、『婆さん』とか『年増』とか、素直な感想を口にされると凄く傷つくし、それはおぬし自身にとってもためにならんじゃろう。おぬしは思った事を素直に口に出しとるだけなんじゃろうが、時にはそれで余計な敵を作ったり、命を失う破目に陥るかも知れん。じゃから発言には十分に気を付けてほしいんじゃ。おぬしも子供じゃないんだから分かるじゃろ?」  『黒獅子姫』は、一息でそう言い切った。  そして彼女の瞳には、見る者をぞっとさせるような、恐ろしい何かがあった。 「う、うん……」  恐れ知らずのアルーサも気圧されてしまい、そう呟くのがやっとであった。  気まずい沈黙が部屋を支配する。  そんな中、ダグボルトは無意識のうちにぼそりと呟いていた。 「今のを聞いてたら、セオドラと喧嘩して、うっかり『ババア』呼ばわりした時の事を思い出したよ……」  だが全員の視線が自分に集まっているのに気付き、己の迂闊さを呪う。 「何よ。早く続きを言いなさいよ」  黙ってしまったダグボルトに、続きを促すアルーサ。  やむなくダグボルトは重い口を開いた。 「――そうしたらセオドラは、無言で部屋を出て行ってな。重い花瓶を抱えて戻って来て、いきなり俺の足の上に落としたんだ。その一撃で足の甲の骨がぽっきりと折れた。……まあ、その後すぐに癒しの秘跡で治してくれたがな」 「うわ、ひどっ!! それってホントに聖女のする事!?」  さすがのアルーサも衝撃の事実に顔を引き攣らせていた。  ウォズマイラも信じられない、出来れば聞きたくなかったという顔をしている。  だが『黒獅子姫』だけは平然としていた。 「いやいや。むしろ聖女じゃから、そのぐらいで済んだんじゃよ。魔女のわしなら、頭の上に落としとったろうからな」  そして全員が絶句する中、こう付け加える。 「じゃがセオドラは、わしより遥かに年下じゃよ。もちろん人間としては高齢ではあるがのう」 「じゃあこの世界には、初めは魔女――悪の導き手しかいなかったのか?」 「むう? 言われて見れば、そうなるのう。聖女――善の導き手としてセオドラが選ばれたのは、聖天教会が設立された少し後くらいなのじゃ」 「だけど善と悪のバランスを保つという観点からいえば、ずっと悪の導き手しかいなかったっていうのはおかしくないか?」  ダグボルトの素朴な疑問に、『黒獅子姫』は考え込むような顔をする。 「……確かに不思議な話じゃな。じゃが本来は善の導き手などおらんでも、善と悪のバランスは保てておったのやもしれん。しかし女神ミュレイアは教会の暴走を予見して、それを止めるために善の導き手が必要になったんじゃろう」 「教会の暴走を……。そういう事か……」  ダグボルトは感慨深げに呟いた。  皆がそれぞれの思いに浸っていると、急に『黒獅子姫』はポンと手を叩いた。 「ところでいつまでも立ち話も何じゃし、座ってゆっくりしていかんか?」  得体のしれない植物に囲まれた落ち着かないテーブル席に、『黒獅子姫』が淹れたお茶の入ったティーカップが並べられる。 「これ、私達でも飲めるのでしょうか?」  青い顔をしたウォズマイラが尋ねる。  複雑な臭いを発する、ドロリとした濃い緑色のお茶からは、ブクブクと白く濁った泡が絶えず噴き出している。 「むしろそれは人間のためのお茶じゃよ。栄養価の高い薬草を一杯入れとるから、滋養強壮にとってもよいのじゃ」  仕方なく二人は恐る恐るティーカップに口をつけた。  そして中身を一口飲むと一斉に顔をしかめる。 「うええええ……。栄養だけじゃなくて、ちょっとは味にも気を使ってよ……」  緑色に染まった舌をハンカチで拭いながらアルーサがぼやく。 「そうじゃな。今度からはその辺も意識するのじゃ」  悪びれもせずにそう言うと、『黒獅子姫』は今度はダグボルトの方を見た。 「ところでおぬし、アルーサ達とは別の目的でここに来たのではないか?」 「ああ。実はジェミナイについて色々と調べててな。ブラックタワー家の人間、つまり奴の子孫なら何か知ってるんじゃないかって思ったんだ」 「もしかしてバーティスの事を言っとるのかのう?」 「ああ、そうなんだ。俺が審問騎士だった時に聞いた話だが、『黒の災禍』の直前、魔女の軍勢が教皇庁を襲撃したそうだ。もしお前が、その時にバーティスを殺してないのなら、奴から話を聞き出せるかもしれないって思ってな」  『黒獅子姫』は顎に手を当て、考え込むような顔をする。  そして思慮深げな面持ちでゆっくりと口を開いた。 「教皇のクレメンダールなら、あの時、この手で殺したのじゃ。じゃが、あそこにバーティスの姿は無かった。いや、あやつだけでなく枢機卿全員がおらんかったのじゃ」  そう語る彼女の脳裏には、当時の光景が生き生きと蘇っていた――。    **********  全長四ギット(メートル)の、石造りの巨大な全身鎧を纏った魔女が、同じく石造りのグレートソードを横に薙いだ。  ぶんと風を切る大きな音と共に、プレートメイルを身に着けた聖堂騎士達が、教皇庁の外壁に叩きつけられる。  鎧と骨がぐしゃりと砕ける音。  そして苦痛の呻きが、寒空の下をこだまする。  襲いくる聖堂騎士を剣の平で次々と薙ぎ倒していくと、ついに向かって来る者はいなくなった。  魔女は全身鎧の中で口元を緩める。 「見事なお手並みじゃな、『石動の皇(コロッサス)』」  全身鎧を纏った魔女――『石動の皇』の足元には、黒き獅子に跨った『黒獅子姫』がいた。  『石動(いするぎ)の闘器』を解除して、白いプレートメイルと青のマントを身に着けた本来の姿に戻ると、『石動の皇』は主に向かって深々とお辞儀した。 「お褒めいただいて光栄です」 教皇庁を守る聖堂騎士団は、急襲された直後こそ動揺したものの、すぐに体勢を立て直して『黒獅子姫』達を迎え撃った。  これには、さすがの彼女も訓練が行き届いている事を認めざるを得なかった。  しかし険阻なレオルム山脈の地形や、外部からの敵を阻む高く堅牢な城壁も含め、どれも魔女の力の前には完全に無力であった。  まるで卵の殻を割る様に、教皇庁は半刻も経たぬうちに容易く制圧されてしまった。 「後はここだけじゃな」  教皇庁の中心部に聳え立つ荘厳な大聖堂を見上げて、『黒獅子姫』は言った。  精緻な装飾を施された純白の建造物はどことなく儚げで、暴虐な侵略者に抱かれる残酷な運命を受け入れた生娘のようでもある。  獲物であるクレメンダール教皇と、バーティス率いる枢機卿団は、もう目の前にいるのだ。 「司教の一人から聞き出した話によると、枢機卿達はこの大聖堂にはいないらしいです。どうやら教皇庁の外れにある、バーティスの別荘で開かれた食事会に参加しているようですね」  『石動の皇』は、木々の生い茂る小高い丘の方を指差して言った。 「それならすぐに、そっちにも味方を差し向ける必要があるのう」 「いえ、心配には及びません。すでに『緋蠍妃(パビルサーグ)』と『金蛇の君(アンフィスバエナ)』を送っておきました。あの二人なら、速やかに目標を始末してくれるはずです」  手際の良さに思わず口笛を吹く『黒獅子姫』。  『石動の皇』は戦闘能力の高さと、作戦立案並びに遂行能力を買われ、今回の襲撃作戦で『黒獅子姫』の副官となっていた。どうやらその人選に間違いはなかったようである。 「そうなると残りはクレメンダールだけじゃな」  復讐の瞬間を迎えた『黒獅子姫』は、ぞくぞくするような歓喜の感覚にか細い身体を震わせた。  しかし大聖堂に入ろうとする彼女を、『石動の皇』が引き留める。 「クレメンダールの所には、すでに 『闇蠅の女帝(ベルゼビュート)』が向かってます」  その言葉を聞いた『黒獅子姫』の顔がさっと曇る。 「まずかったでしょうか?」 「いや、まずくはないのじゃが、あやつは情緒不安定なところがあるからのう。ちょっと心配じゃ……」  『黒獅子姫』がどうすべきか迷っていると、遠くから二人の魔女がやって来た。  一人はぴったりとした黒のボディースーツを身に纏った緋色の髪の美女。  もう一人は白いドレスの可愛らしい金髪の美少女――『緋蠍妃』と『金蛇の君』だ。 「ずいぶん早かったですね。枢機卿達はもう片付けたのですか?」  しかし『石動の皇』の問いに、二人は戸惑ったような顔をしていた。  少しして意を決したように『緋蠍妃』が口を開く。 「いいえ。バーティスの別荘には誰もいませんでしたわ。枢機卿達だけじゃなく、使用人も含めて皆、姿を消してましたの」 「逃げられたのでしょうか? それとも食事会が違う場所に変更になったとか?」 「いえ、逃げられたというより、まるで神隠しにあったような感じというか……。それと別荘の近くにいた者の話だと、枢機卿達がバーティスの別荘に入ったのは間違いないですわ。中もよく調べましたけど、食堂に並べられた料理はまだ温かかったですし、つい先程まで誰かがいたような形跡が色々と残されてましたの」 「うん。みんな消えちゃってたよ。不思議だね~」  『金蛇の君』も可愛らしく小首を傾げて同意する。 「だとすると、別荘に秘密の脱出路が隠されていたのかも知れませんね。今度は三人で周辺を手分けして探しましょう。……あなたはどうされますか、『黒獅子姫』様?」  尋ねられた『黒獅子姫』は、一瞬迷った後、大聖堂の方を見た。 「そっちはおぬしらに任せるのじゃ。わしは 『闇蠅の女帝』を見てくる。あやつを一人にさせるのは、やっぱり不安じゃからな」    ********** 「――教皇庁を襲撃した後、わしは雲隠れした枢機卿達を見つけ出すために、『偽りの魔女』を増やしたのじゃ。じゃが結局、あれからいくら探しても、誰一人として見つけられんかった」 「そうだったのか……。それなら、今からバーティスを探し出すのは至難の業だな。何か他に手がかりを得る方法は……」  その時、『黒獅子姫』の頭に突如として閃きが生まれる。 「おお、そうじゃ! カレンテ大学の大蔵書庫を漁ってみるのはどうじゃ? あそこなら一般の目に触れる事のない禁書の類も保管されとるし、ジェミナイについて詳細に研究した歴史書もあるやも知れんぞ」  オシモドゥス王国の辺境にある大学都市カレンティアは、かつては大陸中の叡智が集まるとまで言われた場所であった。  カレンティアの中核を成すカレンテ大学の地下には、ありとあらゆる書物を保管している大蔵書庫があり、そこには聖天教会が禁じていた煉禁術の魔道書(グリモア)などもあったと言われている。  またオシモドゥス王国で唯一自治が認められた都市でもあり、在学生によって構成された最高権力機関である学生自治評議会が、教授の雇用や講義の方針、さらには学食のメニューに至るまで、カレンティア内のあらゆる決定権を握っていたという。  しかしダグボルトは、そのアイデアに納得がいかない様子で、難しい顔をしていた。 「確かカレンティアは、『黒の災禍』が起きる一年くらい前に、学生の間でたちの悪い疫病が流行ったとかいう理由で閉鎖されたんじゃなかったか? 今じゃあそこは、人の住まない廃墟になってるはずだ。だから蔵書庫に本が残ってるかどうか分からないぞ」 「本なんて嵩張るし、売っても大した金にならんから、盗賊も盗まんじゃろ。じゃからあそこに、まだ残っとるはずじゃ。それにわしは昔、何回かあそこに行った事があるから中を案内できるのじゃ」 「そいつは有り難いが、もう一つ問題があるぞ。オシモドゥス王国があるのはこの大陸の北東部だ。ここからだと赤竜砂漠を越えたさらに先になる。行って帰って来るとなると二、三ヶ月はかかるぞ」 「それなら、こやつに乗って飛んでいけば大丈夫なのじゃ」  『黒獅子姫』の足元には、いつの間にか黒き獅子が寝そべっていた。  魔力で生み出された蟻の集合体だが、まるで本物の獅子が呼吸しているかのように、腹の部分が上下している。 「だけど魔力は大丈夫なのか?」 「途中で何回か休憩を入れれば大丈夫なのじゃ。今回は魔女と戦うわけではないから、魔力の残量に気を遣う必要はないしの。ただ魔力は太陽の光で弱まってしまうから、長時間飛ぶとなると夜の間だけになるじゃろうがな」 「分かった。それなら行ってみるか。ここでぼーっとしてても、どうにもならんしな」  ダグボルトがようやく納得すると、今度はアルーサが手を挙げた。 「それならアタシもついてくわ! 北には、まだ魔女が残ってるかもしんないでしょ。今度こそアタシの本気を見せてやるわ」  しかしすぐにウォズマイラが異議を唱える。 「これは魔女退治の旅じゃないんですよ。情報収集なんて、あなたが最も苦手とする分野じゃないですか。一緒に行っても、ダグボルトさん達の邪魔になるだけです」 「うっさいわね! アンタは偉そうに会議とか出て、色々働いてるけど、アタシはここにいたって暇なのよ!」 「暇だと思うなら、自分で仕事を見つけてくださいよ。義勇兵に戦い方を教えるとか、やる事は一杯あるでしょうに」 「やだ。だって教えるの苦手なんだもん」  そう言うとアルーサは向こうを向いてしまった。  二人のやり取りを見ていたダグボルトは苦笑する。 「どうする?」 「まあ、よいではないか。あそこには本が沢山あるから、人手が多い方が探し物が見つかりやすいじゃろう」  それを聞いたアルーサは、ぱっと顔を輝かせる。 「そうこなくっちゃ! 早速準備してくるわ!」  そう言うなり部屋を飛び出して行ってしまった。  残された三人は、思わず肩をすくめ合う。 「別に、今すぐ出発するってわけじゃないんだがな……」  ダグボルトは、ぽつりと呟く。  だが残された時間が少ないのも事実であった。  彼らには、乗り越えなければいけない問題が山積していたのだから。  『黒衣の公子』の謎。  行方をくらませた『白銀皇女』。  そして残りの『偽りの魔女』との戦い――。 (焦っても仕方がない。とにかく一つずつ片付けていくしかないんだ。一つずつ……)
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