第1話「夢を乗せて走る車道」

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    真新しい住宅が建ち並ぶ路地の一角     フェンス沿いに植えられた瑞々しい緑のソヨゴとドウダンツツジ   その向こう側の適度な広さのグラウンドには、ジャングルジム、タイヤ跳び、ゾウの滑り台などの遊具がゆったりと置かれている 明るい昼の日射しが差し込む小ぶりの正門   そこには、木製のプレートに【あおぞら保育園】と、記されている     《キィーーーッ・・・》     『おっととっと・・・と』     効きすぎたブレーキに、前のめりになりながら、二輪の車体を抑え込む     『はぁ・・・はぁ・・・』     止まった途端に熱を実感するようにジワッと流れる汗ーー   おでこの辺りから手で拭い終えると、耳にあてがったイヤホンを片方ずつ慌てて外す     『しょっと・・・』   その場に、自転車を止めて、正門の前に駆け寄る     園内をひょいと覗くが、正面に見える事務所内や、保育室内の様子は、よく分からない     『おはようございま~す!』   呼び掛けてみるが     『・・・・・・』     応答はない     『・・・・・・・あっ』   正門のインターホンに気が付く     『・・・ハハハ・・・』     ひとり苦笑い・・・     《ピンポーン》     『おはようございまーす、茅崎ですー』     すると、間をおいて     『おはようございます、茅崎先生。すみません、すぐに行きます』   あどけない可愛いらしい声   でも、やけに落ち着いた声   その声の主は、言葉どおり、ものの数秒で駆けてくる     『すみません、茅崎先生』     一礼しながら、門扉を開ける       『いやぁ、いいの、いいの、大丈夫』     恐縮そうにする彼女の態度に、茅崎 海は、少し面食らいながらも、笑って首を横にふる     『“ほたる”ちゃん、今日仕事だったんだぁ~』   『えぇ、急な預かり保育が入って、今、安奈先生と一緒なんです・・・でも、まだ、どうしても、慣れなくって・・・』     おっとりな口調で、えくぼを見せる彼女ーーー蛍原(ほとはら) 由比(ゆい)   ポニーテールに、小さくて控え目なハイビスカスの髪止め   黄色いエプロン姿には、クマモンのアップリケ   胸には、【ほとはら】という文字が刺繍されている     『そっかぁ~まだ4ヶ月目だしね、安奈先生にしっかり教わってね』   『ありがとうございます。あっ、茅崎先生、どうぞ』   招き入れようとする     『“ほたる”ちゃん、ごめん!ちょっと、私、待ち合わせの約束があって、時間が無いんだぁ~。立ち話でもいい?』   『えっ?そうだったのですか!?すみません!!茅崎先生!!』     責任を感じ、慌てて頭を下げる由比     またも、面食らう     『いや、だから、いいの、いいの』   『でも、すみません・・・本当は、もしかしたら、電話でも済んだ用事かもしれませんが・・・』   『“ほたる”ちゃん、若いのに固いねぇ~、だから、これは私の性分なのっ!、ハハハ、分かった?』   『・・・はい、分かりました』   『あれ、やけに素直じゃ~ん、ハハハ』   『えぇ・・・ハハハ』     照れて笑う顔も、あどけなく可愛い   『ハハハ・・・それで、何?用事って』   『あっ・・・それが、あのー・・・』     たちまち、遠慮がちな顔に戻る     『・・・・・?』   『え~と・・・・』     言い出しにくそうに、そわそわと目が泳いでいる     『・・・何?仕事のこと?』   『いえ、そうじゃないんです』   『じゃあ~プライベート?』   『・・・・・』     『・・・・・?』     『あぁ~っ!“うみ”せんせいだぁ~~』   園内から、園児の声   海は、黙ったままの由比を気にしつつ、笑顔を向ける     『うみせんせぇ~~!』   『タケルく~ん、やっほ~』   『うみせんせい、いっしょに、あそんで~』   『タケルく~ん、ごめんねぇ~!せんせい、忙しいんだ~、またあそぼ~ねぇ~!』     『わかったぁ~~』     手を振りながら笑う海     『・・・・・・』     そんな海を見つめる由比     『なぁ~んだ、今日は、タケルくん、だったんだぁ~・・・ん?』     由比の視線に気付き、お互い目が合う     『あっ、いやいや、そのー・・・』   『まだ、私、何も言ってないし』   『・・・・・』   『・・・・・』   いよいよ腕を組み始める海   表情も段々と険しくさせて、足も仁王立ちにしていく     『・・・・・・・』 『・・・・・・・』     視線を落としたままの由比     『・・・・・・・』     と、     『・・・・ぷっ・・・』     海が、こらえきれず吹き出す     『冗談、じょ~~だん!気楽に言っていいよぉ~~』   『・・・・・・・』   なおも視線を落としたままの由比     『・・・・あれ?・・・ちょっと・・・・やりすぎ・・・ちゃった?・・・かなぁ???』   顔色をうかがう     『・・・・・・・』   『・・・・・・・』   『あのー・・・・』     やっと視線を向ける由比     『・・・・?』   『茅崎先生は・・・好きなんですよね・・・』   『・・・えっ?なっ、何?だっ・・誰を?』     思いもよらぬ言葉     『そのぉ~・・・』   『う、うん・・・』   予期せぬ展開に、ゴクリと、唾を飲む     『サザンオールスターズ・・・好きなんですよね』   『・・・・・・え?』     ポカ~ンと呆気にとられる     『たしか・・・サザンのファンクラブに入ってるって聞いた気がしたんですけど』   『・・・あっ、うんうん、たしかに好き!サザン大好きだよ!私、サザン大好き・・・』     我に返り     『・・・大好き・・・うんうん・・・・』   『・・・・・・・』   『・・・・・・・』     次なる言葉をじっと待つ   実はもっともっとさらなるインパクトな展開があるのではないか、と・・・     『今度、ライブがあるんですよね・・・』   『えっ?うん、野外ライブあるよ・・・』     『茅崎先生、ライブに行かれますか?』   『まだ、これから抽選だし、エントリーまだ決めてないし・・・・あっ、もしかして・・・』     海の問いかけにうなづく     『もしも、迷惑じゃなかったら・・・』   『なぁ~んだ、そういうことかぁ~、始めからそう言ってくれればいいのにぃ~』     妙に安堵する海     『いいよ、もちろん!・・・で、2枚分取ればいいの!?』   『あっ、あのー・・・』     また伏し目がちになる     『・・・・・・ん?』   『彼も・・・一緒に・・・お願いしていいでしょうか?』   『えっ!?』     今日一番のサプライズ発言に、       『うわぁ~~』     海の目が輝く   由比は、恥ずかしそうに目を逸らす   『もぉ!!大っ!大っ!大っ歓迎ー!!!』   『ほんとですか?』   曇り空に薄日が射したような由比の顔     『“ほたる”ちゃん、彼氏いたんだぁ~、いやぁ~知らなかったなぁ~、えっ、ナニナニ、付き合って長いの?』   『えぇ・・・高校時代からなんです・・・』   『えぇ~!?すっごーい』   『それに、彼、名前が、“けいすけ”って言うんですよ』   『うそ!?』   『ご両親が、サザンの大ファンで、桑田佳祐さんから、名前をつけたんですって』   『へぇ~』   保育園では、およそ見た事がないくらい、嬉しそうに夢中で話す由比の表情     生き生きと彼女らしい自然な笑顔   “・・・・・・・”     眺めているだけで、清々しい気持ちになってくる     『私の名前も、親がサザンファンだったから、サザンの曲名から「海」ってつけたんだよ』   『そうなんですか!?』   『うん』   『いいなぁ~』   『なにそれ?ハハハ』   『ハハハ』     お互いに笑い合う   “ちょっとよそよそしいと思ってたけど、案外、いい感じじゃん”     『・・・・・あっ!もうこんな時間!私、行かないと!』     安心すると同時に、ふっと思い出す     『あっ、茅崎先生、すみません!!』     自転車のほうへ向かい、またがる   『じゃあ、また申込んどくから』   『ほんと、すみません・・・でも、嬉しかったです』   『私もなんか嬉しい♪』     ニコっとし合う     『あっ、そうだ!“ほたる”ちゃん、今夜時間、空いてる?』   『えっ、今夜ですか!?一応予定は空いてますが・・・?』   『じゃあ~ご飯行こっ♪』   『えっ?』   『彼氏も連れてきてさ、一緒にどう?』   『い、いいんですか?』   『もっちろん!』   『ありがとうございます、茅崎先生』   仰々しいいつもの一礼     『いや、だから、いいの、いいの、これは私の性分だ・か・ら・ねっ!』   『はい!』   『じゃあ、またあとで場所と時間、連絡するから!』     ペダルに足をかけ、漕ぎだそうとする、とーーー     『・・・・・・あっ、茅崎先生!』   『ん、何?』   『あの・・・』   『・・・・・?』   少し真顔に戻る由比   『・・・・・・・・』   『・・・・・・?』 『何でもないです、すみません』     また笑顔に戻る     “・・・・・・?”     『・・・・・・う、うん、じゃあ、行くね!』 『はい、すみません』     気を取り直し、何気なくイヤホンを耳に着けて、ペダルを漕ぎ出す   とーーー   『・・・・あっ!!茅崎先生!』   『・・・・!』   今度は何かと、振り向くと   両耳に手を添えて、外すジェスチャーをしている     『・・・・・あっ、あぁー・・・ハハハ・・・』   チラッと園内に目を向けると、園児がこちらを見ている     『ハハハハ・・・・』   イヤホンを外して、片付けながら、苦笑いを浮かべる   『じゃ、じゃあねー・・・』     遠慮がちに、由比に小さく手を振る   『・・・・・・』     【改めまして、茅崎 栞 様・・・】         ペダルの足に力が入る     【新人の後輩に注意される、茅崎 海、本日、24歳です】         『・・・・・・』                 正午を過ぎ、高度を大きく増している太陽     熱せられたアスファルトに吸い付きそうになるくらいの革靴の底が       《ジャリ・・・・》       ようやく、待ちに待った砂地に着地する     しかしながら、そんな砂も容赦ない熱さを身に纏っている     『あちぃ~~』     口をついて出てくる決まり文句には、一向に飽きがこない   バッグを持つ左手は、汗だくで、空いた右手には、うちわ代わりのハンカチ     ビジネスタイプのカッターシャツは、長袖でいることをあきらめ、袖口を肘まで捲られている   《ザァー・・・ザァー・・・》   波音と     『キャーキャー』   『アハハハ』     見渡す限り、おびただしいほど浜辺に溢れかえる人々       そして       スピーカーから流れる、この日をずっと待ちわびていたかのように響く、解放感に満ちたBGMーー  
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