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消えゆく世界
ちゃんといつも通りに笑えていただろうか。
雨の中に消えていく幸恵の姿を見送り、1人残された孝志は胸ポケットからタバコを取り出し静かに火をつけた。
幸恵に2つ、嘘をついた。
まず1つ。彼は元の世界には帰らない。帰れないのだ。
この世界から出られるのは創造主と、許された者だけ。
孝志はこの世界を管理することはできたが、創造はできない。そこまでの力は無いのだ。せめて幸恵を元の世界へ返すよう、管理人として「許す」ことしかできなかった。
もう1つは、幸恵が「たまたま」この世界に来たと言ったこと。
幸恵のような普通の人間が、たまたま異世界に迷い込むことなどまずありえない。
孝志はこの世界と共に消えるつもりだった。彼の父親が死んでから、幸恵と離れることは承知の上で、覚悟も決めたつもりだった。
しかし、最後の最後に顔が見たいと思ってしまった。あわよくば俺と一緒に消えて──なんて。
「50も過ぎたオッサンにはそんな感情似合わねえよなぁ」
自嘲気味に笑い、空に向けて煙を吐く。
ちりちりとタバコが燃える。指に火が当たりそうなほど短くなったところで、ぽとりと地面に落とす。
「ああ、もう時間だ」
空の赤さは更に増し、彼を包み込んでいく。
「…じゃあな」
聞こえるはずもない、彼女に向かって小さく呟いた。
空に手をかざすと、ざぁっと雨が降ってくる。
真っ赤な空と雨は、彼の姿も世界も何もかも飲み込んでいった。
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