第三話 立て続けに口説かれた。

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 そこへ、不意に影が落ちてきた。見上げると、鎧を着た人間の男が立っていた。 「やあ。俺はアズールというんだ。よろしく」  馴れ馴れしさと親しみの中間くらいの態度だ。不快じゃない。快でもないけれど。  俺は笑顔で答えた。 「私は泉の森のアルノリアです。どうぞよろしく」  アズールは周りを見回した。 「さっきまで一緒にいたあのオークは、どこかへ出かけたのかい?」 「ええ。仕事です。夜までには戻るでしょう」 「へえ、そうか。よかった」  アズールは俺の向かいに腰を下ろす。俺はちょっと眉をひそめる。そこはゴグの席だから。 「なあ、アルノリア。ずっと見ていたんだが、君はあのオークにいったいどんな義理があって一緒にいるんだい?」 「義理などありません。彼は私の愛する伴侶です」  言っちゃった。いいよね、別に。すぐ本当になる(はずだ)し。  アズールは絶句していた。かなり長いこと。どうしたのかなと俺が首を傾げるまで。  たっぷり時間が経ってから、アズールは言った。 「ええと……、オークとエルフが? 伴侶?」 「はい!」 「あ、そ、そう。まあ、確かに、ほとんど毎晩だなとは思っていたが……」  こいつ、俺とゴグのあの《・・》時の声を聞いているんだな。いえ、あの、壁の薄い宿で毎晩のようにヤっているのがどうかっていう話だよね。すみません。 「君とあのオークが伴侶だとして……、なぜそうなったんだい? 生贄(いけにえ)に差し出されたとか?」  はあ? 「同胞をオークの生贄に差し出すエルフなどいないと思いますが」 「言われてみれば、そうだね」  加えていうなら、エルフとオークは長年の敵ではあっても生贄を差し出せだの人質を寄越せだのという関わり方をした記録はない。バッチバチに戦争しているか、全く関わらないかのどちらかだ。 「俺はどうにも信じられないんだよ。君のような美しく純真なエルフが、あんな粗暴なオークと……」  美しくはともかくとしても、純真かどうかなんてどうしてわかるんだろう。変な人間だなあ。 「粗暴ではないですよ? そりゃあ、言葉は乱暴な時もありますが、いつもとても優しいですし、痛い思いをしたこともありません」 「……いや、そうじゃなくて」  じゃあ、なんなんだよ。 「媚薬を飲まされているのかい? 魔法にかけられているとか、そんなことは?」 「ありません」 「自分で気づいていないだけかもしれないよ。ここはひとつ、治癒師の元へ行って治してもらおう」 「私が治癒師なんですが」  アズールは黙ってしまった。  治癒師は医者の別の在り方とでもいえばいいのか、魔法を使って傷や病を癒す職業だ。仕事のひとつとして、身体や心に影響する魔法、いわば呪いを解くというものがある。健康管理の一環である。  アズールはこめかみを押さえつつ、頭を振った。 「君は騙されている。いいかい? あんなオークなんて、美しい君にふさわしくないんだよ。君にはもっとまともな相手がいい」  まともな相手って、なんだ。 「よくわかりませんが、私は彼が好きなんです。愛しているんです。彼以外は考えられません」 「いや、だって、オークだよ? オークとエルフが愛し合っているなんて聞いたことないよ」  意外だ。人間は種族の違いなんて気にしないのかと思っていた。だって、俺が読んだ人間の恋物語では、エルフと愛し合ったり精霊と愛し合ったり果てはリザードマンと愛し合うなんていうのもあったよ? 「いけませんか?」 「いけないよ。君のような美しいエルフが、あんな粗暴なオークに好きなようにさせているなんて、間違っている」  だから、粗暴じゃないってば。  アズールは顎をしゃくった。 「ちょっと歩かないか? 外で話そう」 「いえ、私は今日は宿で休むつもりです」  というか、この人間はなぜ他人のことに口出ししてくるんだろう。  アズールが俺の手を握った。 「少しでいいんだ。君とふたりで話したい。ふたりきりでね」  嫌です。 「ご忠告はありがたいのですが、私と彼は本当に愛し合っておりますので、ご心配には及びません。お話は済みましたよね? 手を離してくださいませんか」  アズールは信じられないというように俺を睨んだ。 「わかったよ。君はおかしなエルフだ」  行ってしまった。何をしにきたんだ。おかしいのはお前だ。  俺も部屋に戻ろうかな。  腰を浮かしかけたところ、宿の主人と行き会った。 「おはようございます」 「ああ、おはよう。あんたのオークは大事な恋人をほっぽってどこ行ったんだ?」  大事な恋人だなんて。もっと言って。 「仕事です。そんなにかからないとは言っていました」 「へえ。大丈夫かねえ。さっきのあの男、あれは『エルフがオークにヤらせるくらいなら、俺にもヤらせてくれよ』ってところだね」 「えっ! 怖い!」  口説かれているのかなとは、なんとなく感じていたけれど。 「あんたの方が押しかけ女房してるみたいだし、べったり恋人に張りついてた方がいいんじゃないのかね? 自分で自分の身を守れるってんなら別だが」 「え? 私の身ってそんなに危険ですか?」 「そりゃあ、あんだけ色っぽい声響かせてりゃムラムラする奴もいるさ」  うう。否定できない。 「でも、私には伴侶がいます」 「そう、その伴侶がいない時が危ないって言ってるんだよ。あんた、弓は使えるんだろうが、使える(・・・)って程度だろう?」  おっしゃる通り。  それに、屋内での立ち回りに弓がどれほど役に立つか。城とか砦とか、ある程度広さのある建物ならまだしも、街の宿だ。 「あんた、今日は食堂にいたらどうだ? ここなら俺も見ていてやれるし」 「本当ですか?」 「まあな。あんたはうちのによくしてくれてるから」  主人は厨房を振り返った。おかみさんが俺に軽く会釈する。 「もちろん、鍵をかけて部屋にこもるってのでもいい。好きにしな」  俺は少しの間考えた。 「わかりました。ここにいることにします。よろしくお願いします」 「引き受けた」
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