第三話 立て続けに口説かれた。

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 俺は本だけ部屋から取ってきて、食堂の隅に陣取った。泉の森ではまず手に入らない、オークの手による書だ。とあるオークの村の生活を描いたものらしい。彼らの暮らしはエルフの暮らしとは全く違って面白い。たとえばこうだ――彼らの戒律は比較的ゆるいが、犯さざる掟としてもっとも厳しいものは「年長者を敬うべし」というものである。また、普段はおおらかに暮らしている彼らも、一年に一度の祭りでは厳かに儀式を行う。すべての灯りを消し、魔神ウリルに祈りを捧げるのだ。  ゴグが帰ってきたら、彼の村ではどうだったのか聞いてみたい。それとも、話すのは嫌かな。故郷を追われているというし……。  食堂の人は増えたり減ったりしている。昼時になると少し増えて、過ぎると減る。食事を売りにした宿ではないから、満杯になるということもない。少なくとも、ずっと陣取っていても邪魔にはならなさそうだ。こうなることを見越して、主人も俺に食堂にいろと言ったんだろう。  唐突に視界が暗くなった。文字が読みづらい。そんな時間だったっけ? ――と思って見ると、そこに長身の……。  俺は本を取り落としそうになってしまった。同胞だった。ただし、泉の森のじゃない、見たことのないエルフだ。眉間に深い深い皺を刻み、ものすごく険しい顔で俺を見下ろしている。 「あのう……。わたしが何か、しましたか?」  おずおず尋ねると、同胞は威厳のある声で答えた。 「『何か、しましたか?』ではない。泉の森の同胞よ、(けが)らわしいオークとひとつ床に過ごしているというのは本当か?」  いや、そんな回りくどい言い方しなくても、「オークと寝ているのか?」とでも訊けばいいんじゃないのかな。 「ええと……、おっしゃりたいことは、わかります」 「何がだ。穢らわしいオークに身体を許しておいて、何がわかると?」  だから、なんでそんな言い方なんだ。 「オークではなくあなたと寝よとおっしゃるんですよね? 同胞の申し出を断るのは非常に心苦しいのですが、私は彼を愛しておりますので……」 「誰がそのようなことを言った!」  うわ。怒鳴られた。  てっきり、さっきの人間と同じかと思ったのに。まあ、考えてみれば、相手はエルフだからそれはなかった。  同胞の頭越しに、俺は厨房に視線を走らせた。宿の主人は肩をすくめるだけで、出てきてくれない。こういう時こそ助けにきてくれないと困るのに、エルフならば危険はないとでも思っているんだろうか。 「いいか、泉の森の同胞よ。私は都のレイエードだ。ここに穢らわしいオークと交わる不届き者がいると聞き及んで確かめにきたのだ」  そうですか。  都とは、「世界の中心」(そういう地名)にあるエルフの都市だ。エルフには生まれた場所によって序列めいたものがあり、最上位に位置するのが都のエルフである。泉の森のエルフは、「辺縁」(これもそういう地名)よりは上、都よりはずーっと下。都から見れば田舎も田舎、野暮な土地といえよう。  向こうが名乗ったので、こちらも名乗らなければならない。これはエルフの掟のひとつ。 「私は泉の森のアルノリアです。確かに私の伴侶はオークですが、穢れてなどおりませんし、臭くもありません」 「匂いはどうでもよい」  レイエードのこめかみに青筋が浮いている。 「アルノリアか。アスダインの子だな。狂っているという噂は聞いていたが、お前がそうか。なるほど」  ひどい言い草。さすがの俺もむっときた。 「都の同胞もご存じとは、私って有名なんですねえ」 「喜ばしいことは何もないぞ、泉の森のアルノリアよ。いますぐ穢らわしいオークから離れて麗しき故郷へ戻るがよい。その穢れた身を清めるのだ」  この人は「穢らわしい」って形容詞をつけないと「オーク」って言えないのかな。それに、やっぱり言い回しがくどすぎる。「くどいのでわかりやすくお願いします」って朱書きしたい。  なんだか、だんだん、腹が立ってきた。  父さんの名前を出されたのが余計に嫌だった。親不孝なことをしているという自覚は、まあ、あるけれど、それでも俺は俺なりに精いっぱい生きているつもりだ。それを、初対面の相手にどうこう言われたくない。  言い負かしてやる。 「都でもオークはそういう扱いなんですねえ。私はてっきり、都ってもっと先進的で、生きとし生けるものすべて分け隔てなく慈愛を注ぐ同胞ばかりと思っておりましたのに」 「なんだと?」  レイエードが顔色を変えた。よし。 「だって、おかしいじゃありませんか。ずーっとずーっと遅れた泉の森ならいざ知らず、都の方が、何百年も前からの価値観に囚われているだなんて。いまだにオークが許せないとおっしゃるんですか? 先の大戦で和平を結んだのは都の王ではありませんか。それとも、なおも争いをお望みなんですか? 都の方なのに?」  オークとエルフの最後の大きな戦役は、いまから数百年前だ。その時に和議を結び、争いを避け平和な関係を築こうと宣言した都の王は、いまでも王である。なんたってエルフは長寿だから。  俺はその頃まだ生まれていないので、本で仕入れた知識だ。  レイエードは恐ろしい顔つきになっていた。  都はエルフ文化の中心地であり、そこに住む者は控えめにいっても大変自尊心が強いという。レイエードの態度を見てもわかるよね? こういう人がゴロゴロいるらしくて、だから俺はそっち方面にはあんまり行きたくない。  自尊心の強い者は、遅れているだとか、差別的だとか言われるのをひどく嫌う。きっと否定してくるはず。そう思った俺の読みは、ちゃんと当たった。  レイエードは鼻息荒く笑って、長い髪をかき上げた。 「はは! もちろん、そのようなことあるはずがなかろう。お前が穢らわしいオークとどのような間柄であろうとも、私には関わりの薄いことよ。祝福はできぬが、望むようにするがよかろう」  だから、回りくどいんだってば。でもって、どうしても「穢らわしい」って言いたいんだな。  俺はにっこり笑った。頬に怒りを浮かべつつ。 「ありがとうございます。あなたからの祝福なんてそもそもいりませんが、好きにさせていただきますね」  レイエードは俺を睨んでいたが、くるりと(きびす)を返した。そうしたら、大きな塊にぶつかりそうになった。都のエルフと俺が叫んだのは、ほぼ同時だった。 「うわ! オーク!」 「ゴグ!」  彼はレイエードをじろりと見下すと、のしのし俺の方に歩いてきた。 「終わったぞ」 「おかえり! おとなしく待ってたよ」 「どこがだ」  ゴグは都のエルフがいた方に目を走らせる。レイエードは姿を消していた。意外と逃げ足が速かった。
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