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第一話 うん、わかる。初手を間違えた。
始めから説明しよう。
俺の名はアルノリア、泉の森に住むエルフのひとりだ。つい数週間前、故郷を出て旅を始めた。同胞たちには止められたけれど、泉の森では俺の望みはどうしたって叶わないから、旅に出るしかなかったんだ。
俺の望みはただひとつ。理想の伴侶を見つけること。
エルフの中には俺の伴侶はいない。絶対に、絶対にいない。だって、俺は同胞の顔が苦手だ。つるりとしたきれいな顔を見ると、なんとなく萎えてしまうんだ。ついでにいえば、自分の顔も嫌いだ。金色の長い髪も嫌い。旅に出てすぐ切ろうとしたけれど、理容師に泣いて止められた。
「こんなに美しい髪を切ってしまうなんてとんでもない!」
俺としては、こんな髪邪魔なだけだ。切り落としてせいせいしたかったのに、どこの理容師に頼んでも泣かれるばかりだったから、もういい加減うんざりだった。
「わかった。じゃあ、鋏を貸して。自分で切るから」
「何をおっしゃいます! いっそ私の頭を剃ってください!」
なんでだ。理容師がハゲになることと、俺の髪と、なんの関係が。
そうまで言われると、切ってやると思っていた俺の決意も揺らいだ。とりあえず毛先をちょこっと整えることにして、ばっさりいくかどうかは先送りすることにした。
ちなみにどうしてわざわざ故郷を出てから切ろうとしたかっていうと、これも周りに止められたから。長く美しい髪はエルフの象徴だって。
話が逸れた。
まあ、そんな感じで、俺は故郷を後にして旅を続けていたんだ。
いくつか町や村を通り過ぎて、大きな街に辿り着いた。デヴォンという名前の街だった。
新しい場所についたら、まず寝床を確保することにしている。俺はそこそこよさそうな宿を見つけて、扉を開けた。すると、そこに――。
オークがいた。
その昔、彼らはエルフだったという。闇に身を売ったがゆえに醜い容姿になった――と、エルフにはいわれている種族だ。
断っておくけど、大昔ならいざ知らずいまではオークも絶対悪とはいえない。せいぜい「ちょっとワルい隣人」程度だ。この世界にはさまざまな種族が暮らしていて、時に争い、時に交友しながら、なんとか世界のバランスを保っているような状態である。
ただ、そうはいってもエルフとオークには長い長い戦いの歴史があって、いまでも仲はあんまりよくない。
彼は宿代の交渉をしていたようで、身振りを交えて主人とやり合っていた。待つこと数分。話がまとまったらしく、彼がこちらを向いた。
大柄な逞しい身体つき。深い緑色の肌と、たっぷり生えた黒い髪、眉間の皺、鋭い眼光、大きく張り出した頬骨、口からちらりと覗く牙。
俺の心臓は、感じたこともないほどの早鐘を打っていた。
あのてらてら光る筋肉。武骨に盛り上がった肩や胸板、腕、実に太い太腿。強靭さと憤怒を秘めた、精悍で狡猾そうな顔。目立つ鼻。それに、牙。まさしくオークらしいオークだ。全部が全部、俺の同胞なら顔を歪めて嫌がるであろうもの。
俺は呟いた。
「かっこいい……」
彼が俺を見た。小さく舌打ちをして、言った。
「エルフか」
地響きのような、野太い声だった。耳より腹に感じる。
彼だ。俺が探し求めてきた相手は。
俺は彼に駆け寄り、その手を取った。
「結婚してください!」
「はあ?」
うん、わかる。初手を間違えた。
俺は慌てて言い直した。
「一緒に旅をしませんか? 私は治癒魔法には自信がありますし、弓も使えますので!」
彼は眉をひそめた。ただでさえ眉間には皺が寄っているので、そうすると俺を食おうとしているかのような険しい顔になった。
これも、イイ。
俺はちょっと天に召されそうになってしまったが、どうにか気を取り直した。
「申し遅れました。私は泉の森のアルノリアと申します。旅はまた始めたばかりでして、ともに行く仲間を探しているところなのです」
前半は真実、後半は嘘。余談だが、本来エルフは嘘を忌み嫌っている。俺も幼い頃から嘘はつくなと厳しくしつけられてきた。でも、俺は書物からもうひとつのことも学んでいる。「嘘も方便」だ。
彼は呆れたように首を振ったが、
「俺は岩谷のゴグだ」
その名を口にした時、彼の喉はごろごろ鳴った。本来はもっと濁った、オーク以外には難しい発音なのだろう。エルフの耳では「ゴグ」としか聞き取れず、その発音ですらも危うい。
岩谷とは、オークの居住区のひとつ。文献では、ごつごつした岩山の間にある、名前そのままの土地だ。
「変な奴だな。初対面の相手にいきなり一緒に旅をしようとは」
あ、よかった。「結婚してください」はなかったことにしてくれた。
俺はエルフらしく、優雅に答える。
「ここでお会いしたのも、聖神のお導きです」
が、これは失敗だった。エルフは聖神サフィロトを信仰しているし、その加護を得てもいるけれど、オークの神は魔神ウリルである。サフィロトとウリルは兄弟であり、引き裂かれた恋人同士であり、さらに仇敵でもあるという難しい間柄だ。
ちょっと興味が湧くよね? わかる。俺もサフィロトとウリルの激しくも痛ましい物語は大好きだ。いつか機会があったら、サフィロトとウリルが愛し合い、別れ、敵となる経緯も話したいとは思う。でも、いまはだめ。彼との出会いの話の最中だから。
オークの彼はふんと鼻を鳴らした。
「それならなおさら、あんたとは関わりたくないね」
「いえ、あの、つまり、魔神のお導きでもなんでもいいのですが」
これは、同胞に聞かれたら胸倉掴まれて詰め寄られるレベルの発言だ。
「とにかく、せっかく出会えたことですし、まずはお食事をおごらせてください。詳しいお話はそれからでも」
宿代を値切っていたところから見て、懐は寂しいに違いない。この推測は正しかったようで、彼は態度を改めた。
「いいだろう。俺も腹が減っている」
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