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腹が減った。エルフの奴は飯より休息かもしれないが、俺は休息より飯だ。
部屋を後にして、食堂に向かった。
ここの飯はまあまあ上手い。とか言うと、宿の主人には「オークの舌基準で言われても嬉しくないね」とか返されそうだ。オークは悪食で有名。なんでも食うことでも有名。
俺は飯を食った。主人が寄ってきた。
「おらよ。その分じゃあ、あんたの恋人はまだ寝てるんだろう。持っていってやりな」
カゴにパンと果物が入っている。
俺はしかめっ面になる。
「恋人じゃない」
「あれだけ毎晩乳繰り合っててか? 無理があるね。エルフの方はあんたに惚れ込んでるようだし、あんたの気持ち次第ってことかね?」
「いや、そもそもオークとエルフが恋人なんてあり得ないだろ」
「ははは」
主人は笑って行ってしまった。なんなんだ。
だが、飯はもらう。いくらエルフでも、起きたら飯くらい食うだろう。
階段を上がる。そういえば部屋の鍵をかけ忘れた――と気づいたのは、扉が少し開いているのを見た時だった。
最初はバカエルフが起きたのかと思った。だが、扉をさらに開けると、黒い影がベッドに乗っていたんだ。
そいつの陰から、アルノリアの白い腕が見える。
なんだ?
ぽかんとした後、全身の血が逆流した。
でかい体躯、俺と同じ濃い緑色の肌。オークだ。そいつはアルノリアの上に屈み込んで、ゆらゆら動いている。
この野郎!
俺はカゴを放り投げた。一歩で距離を詰め、オークの首根っこを掴んで引きはがす。一発。二発。拳がきれいに頬に入った。だが、相手は頑強なオークだ。二発殴られたくらいじゃ倒れない。
相手のオークは獣じみた声を上げ、反撃してくる。
掴みかかる手をかわし、俺は膝を蹴り上げた。腹に命中。相手の口から唾液が垂れ、そいつはよろよろと後ずさった。
追撃する。真正面から顔に拳を叩き込み、そいつの足が部屋を出たところでもう一発。胸倉を掴んで、血だらけの顔に迫る。
「二度とこいつに手を出すな」
殺してやったってよかった。オークにとって他者の生命は軽い。だが、宿に迷惑はかけたくなかった。死体の始末なんて嫌なものだ。
クソオークはどうにか立ち上がり、よたよた去っていった。
あの野郎は俺が食事に下りた隙を狙って侵入したんだろう。鍵をかけ忘れたのはつくづくまずかった。
アルノリアは無事か?
俺は部屋に戻った。枕元でオークふたりが殴り合っていたというのに、エルフはまだ眠っていた。こいつ、案外図太いな。待て、俺のせいか? 眠いところをさっき起こしてヤったから、オークが部屋に入ってきても気づかなかったのか?
と、いうことは、鍵と朝のアレで、二重に俺のせいだということになる。
くそっ。
こいつ、どこまでされた? 俺はそれも気がかりだった。掛布はかかっているから下半身は無事だと思うが、上は……触られるとか、キスされるくらいのことはされたと思った方がいいだろう。
くそ! くそ! くそ!
どうにも頭に来る。あのオーク、やっぱり殺してやればよかった。切り刻んで捨ててやればよかった!
俺はアルノリアの口を布で拭いてやった。
アルノリアが身じろぎする。
「ううーん……ゴグ……」
笑う。ヤる前に見た、ふにゃんとした笑い方だ。
起きてはいない。夢を見ているんだろう。
俺の夢か?
俺はアルノリアの首や胸も拭いてやった。
アルノリアはそれからしばらく眠っていた。俺はといえば、だめにしてしまったこいつの食事を取りにいった方がいいとはわかっていても、部屋を出られなかった。鍵をかければいい。あいつは痛めつけたから大丈夫だ。そう思うのに、ためらう。こいつから離れられない。
諦めた。俺はひとつしかない椅子に腰を落ち着ける。机にはエルフの持ちものである本が乗っていた。ぱらぱらめくってみると、どうもオークについての本のようだ。俺も字は読める。書く方はだいぶ怪しいが。
俺は最初から読み始めた。ある村での暮らしが書かれている。豊かとはいえず、厳しい序列と年に一度の祭事によって成り立っている村だ。ちょうど俺の育った村のような。
帰りたくはない。あんなところ。だが、読んでいると思い出すのも確かだった。たとえそれが、嫌な気持ちと結びついているとしても。
兄貴があんなじゃなかったら、俺はいまもあの村にいたかもしれない。いや、それともいずれにせよ出ていただろうか。外の世界を知りたいと思っただろうか。
俺はアルノリアの寝顔を見つめる。こいつは確か、人生を変えるために旅に出たとか言っていたな。
そんなことをしているうちに、二時間が経った。
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