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 それから、東京の試合まではほとんど会えなかった。宙自身がとても集中しているようだったので、朱里もあまり声をかけずに見守ることが多かった。  だからこそ、東京で会えることにはとても意味があった。母も父の文句は言っていたものの、朱里がいない間、母自身も本田氏との旅行に行くようで、機嫌が良かった。  朱里も一人で長距離の旅行は初めてだったから、新幹線も緊張はしていたが、母と距離が離れていくに従ってリラックスできた。何だか母から早く自立することが大切な気がして、ぼんやりと未来を考えた。  もし、宙が水泳で大学に推薦入学とかしちゃったら。それが東京とかだったら。私も東京の大学とか通うってのはアリなのかも。  そう考えて、朱里は自分で恥ずかしくなった。何妄想しちゃってるんだろう。  大学生か。いいな。  朱里は自由にどこにでも行けるような気がして、窓の外を眺めた。  *  父は朱里たちがもともと暮らしていたマンションに今も住んでいて、だから朱里は久々に自宅に戻ったような気分で部屋に入った。父は仕事で夜に晩ごはんを一緒に食べようと言っていたから、それまでしばらく時間があった。  宙は今頃、明日の試合に備えて練習をしているはずだった。窪田コーチも一緒だから、今日と明日は会えないのはわかっていて、明後日の夜は会う約束をしている。  明日は応援に行くつもりだった。父にもそれは伝えてある。大きな大会に出る友だちがいて、その子の応援をしたいから、と。父は朱里にそんな友だちができたことを喜んでおり、そのために東京に来たのか、と少しすねたぐらいだった。  宙からは今日も時々メールが来ていた。きっと練習の前後に短い時間を捻出してくれているのだろう。東京にでかけた初日は『駅で迷子になった』というメールが来ていて焦ったのだけど、その後に『コーチと合流できた。東京、マジ怖い』と来て、朱里は笑ってしまった。きっと宙はあちこちに興味を惹かれて、キョロキョロしてるんだろう。 『スカイツリー見た。三センチぐらいやった』 『青いドーナツもらった!』 『皇居走った』  と、宙は次々に送ってきていたので、朱里もマンションに着いたのを知らせようと思って、マンションの自分の部屋の写真を送った。父は朱里が使っていた部屋をそのままにしていて、もちろん荷物の多くは引っ越しで移動していたが、カーテンや古い本棚、置いていった大きなぬいぐるみはそのままあった。中学校のときの鞄も置いてあって、朱里は苦笑いした。  クローゼットを開いてみると、中学校の制服がそのまま残っていた。いくつか服もある。こんなの流行ってたなと思いながら、朱里はそれらを見つめた。  ブルっとスマホが机の上で震え、朱里は手にとった。 『いや、顔見せてや』  宙がそう返してきていて、朱里は慌てて首を振った。自撮り? 自撮りを送れって言ってる?  確かに宙は自分も含めた写真を送ってきていた。が、それはおそらく窪田コーチが撮影したもので、全身だったり距離があったりした。  朱里はどうしようか迷ったが、自撮りなんて慣れてなくて何枚撮影してもうまく撮れなかった。それでタイマーを使って、ソファに座っている緊張気味の写真を辛うじて合格と判断して勇気を出して送った。  が、宙からは反応がなく、朱里は消去したい衝動にかられた。  すぐ見られないなら、見せてとか言わないでよぉ。  恥ずかしくて死にそうだったが、朱里はスマホを伏せて、もう忘れようと思った。  反応が来たのは、その何時間も後だった。  父と合流してちょっといいレストランに食事に入ろうとしていた時に着信があった。宙もおそらく午後からの練習が終わって食事に出るぐらいのタイミングだったのだろう。 「今、家?」  宙は何かをしながら電話しているのか、後ろで摩擦音みたいなものが聞こえた。着替えたり靴を履いたりしているのかもしれない。 「ううん。夜ご飯、食べに来てて。お父さんと」 「ああ、そうやんな。俺も今から飯で。何か腹が立ってきて」 「え? どうして?」  私、何かミスした? 朱里は焦った。 「新幹線で何時間もかけて東京まで来てさぁ、すげぇ人がいっぱいおって、そやのにそこに朱里もおるわけやろ。すごいやん? そやのに、なんで会えんねんって腹立ってきて」 「あぁ…」わか…る気もするけど。 「このエネルギーを明日、ぶつけるわ」 「う…ん、頑張って」 「頑張る。明後日は会えるんやんな?」 「うん、明日も応援に行くよ」 「うちの親、おったらごめんやで。あの人ら、突然来よるねん。何も言わんと」  朱里は笑った。それは先に行くって言っておくと宙が嫌がるからでしょ。 「いや…でも来るんやったら昼からかな」 「予選は楽勝だから?」 「楽勝ちゃうけどな。残らんとな。ゴールはここやないけ」 「そうだね」 「去年俺と同じクラスで優勝した人が今年もおって、相変わらずめちゃくちゃ速かったわ。その人、青森の人で練習のこと聞こうと思ってんけど、俺らどっちも話があんまり通じんかった。日本人同士やのにな」  宙らしい。仕方がないから、明日頑張ろうなと笑って握手してそう。 「ほんじゃぁ元気出たから行くわ」 「うん、あ…」 「何?」  朱里は口ごもった。が、勇気を出して言う。 「写真…送ったよ」 「あぁ」宙が電話の向こうでふやけるのがわかった。「見たで。待受に設定した」 「嘘、やめて。恥ずかしい」 「大丈夫や、俺以外、誰も見ん。ほんじゃぁまた連絡するわ」  宙が言って電話を切り、朱里は赤面してギュッと目をつむった。 「彼氏か」  ちょっと離れて待っていた父が言い、朱里はハッと気づいてまた赤面した。
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