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 *  それでも非情なバスが来て、バスで二十分走ると、朱里の家の近くのバス停に着いた。宙も当然のように一緒に降り、そしてマンションを見上げた。 「明日、夕方ぐらいに会えるんやけど」  宙は少し遠慮気味に言った。いつもなら、図書館に迎えに行くわ、とか何時頃やったらどこにおる?とか言うのに。 「図書館で宿題しよう」  朱里が言うと、宙は嬉しそうにうなずいた。 「お昼ごはんはプールの近くで食べる?」 「うん、いつもどおり」 「じゃぁおかず作って持っていくね」 「食費、払わんとやな」 「勉強代だからいいよ。もともとは私の水泳教室代だし」 「ああ、ほんまや。また練習しようや」 「晴斗君が来る時に一緒に」 「ええよ。都合聞いとくわ」  朱里はうなずき、小さな沈黙が流れた。  セミが遠くで鳴いている。向こうの運河で子どもたちが遊んでいる歓声も聞こえた。マンションのどこかで、赤ちゃんが泣いているのも聞こえる。  太陽は二人の影を濃く地面に映し出していた。かすかに風が吹いて、うなじの汗を冷やし、そして宙が一歩近づく。  朱里は後ろに下がりそうになって、辛うじて留まった。意識を失いそうだった。 「嫌?」  宙がすぐ近くで聞き、朱里は身を引きながらもスーツケースのハンドルを強く握り、そしてギュッと目を閉じた。  唇に触れた感覚はあった。でも本当に一瞬で、それよりも肩に置かれた宙の手の方が気になったぐらいだった。 「じゃぁまた明日」  宙が唐突に言い、くるりと背を向けたのが目を閉じていてもわかった。  朱里は目を開き、息を吸い込んだ。呼吸困難で倒れるかと思った。  少し先の坂のところで、ずんずん歩いていた宙が転び、朱里は思わず「あ」と駆け寄ろうとした。宙が逃げるように走っていき、朱里は背中を見送った。  *  その夜は恋人との旅行から戻った母も上機嫌で、朱里は幸せだった。  母とはまだ揉めるだろうし、きっとお互いに傷つけあうこともあると思う。でも朱里は少しずつ自信を持ち始めていた。母には母の人生を、私は私の人生を生きよう。  夜遅く、宙は『緊張した。ごめん。おやすみ』と送ってきて、朱里は『私も。おやすみ』と書いた。最後に勇気を出してハートマークをつける。  しばらくして、宙から返信があった。 『あかん。寝れん』  私も。  朱里は幸せで、のたうち回りたい気持ちをギュッと我慢しながら、宙が一人でのたうち回っているのを想像して笑った。 end.
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