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 遠藤(そら)は小塚市の北端にある大池中学では少しだけ名の通った生徒だった。とはいえ、学年に生徒が百人未満、全体でも三百人ちょっとの小さな学校なので、名が通るといっても大した規模ではない。そもそも、上に姉と兄がいて、妹もいるわけで、地元にいれば知り合いも多いから、自分がどういう立場なのかよくわかってなかった。  高校を選ぶとき、宙は初めて自分の価値に気づいた。水泳の入賞経験などが考慮されて、場合によっては私学でも推薦で学費が減免されるかもしれないという情報を掴んだからだ。進路指導の教師は、宙によく考えるように言い、家族とも相談しなさいと言った。  宙は小学校一年生のときから、地元の市営プールでやっている水泳教室に通っていた。四年生まで通い、四泳法をマスターした時点で他にも興味のあることが尽きなかったので一旦辞めた。サッカーチームに入ってみたり、野球チームに入ったり、冒険クラブと称してみんなで遊び呆けたりしていたが、中学生になってから再び水泳部に入った。数ヶ月で顧問と合わずに退部し、市営プールに戻って育成クラスで頑張った。市営プールの教室から大会に出て、同じ中学の奴を押しのけて優勝をかっさらったこともある。それで水泳部に目の敵にされたり、水泳部の顧問だった数学教師に嫌味を言われたことも数知れないが、宙は結果をいくつか残した。  進学先を決めるとき、宙は当然公立高校に行くつもりだった。が、私学が入試もほとんどなしで入れてくれ、しかも学費も全額免除になる可能性もあるとなれば話は別だった。両親に相談したら、彼らはおまえが決めろと言った。学費のことを考えないでいいならどこに行きたいんだと聞かれ、宙は一晩悩んだ。  家から近い北高を選んだとき、両親は本当かと疑った。本当は私学に行きたいんじゃないかと。宙は否定した。確かに水泳のトロフィーで進学できるなら、それに甘えたい気持ちもある。高校三年間、水泳三昧ってのも悪くないかもしれない。しかし宙は将来を考えると、北高がいいと思った。宙の父は鉄工所をやっていて、小塚実業高校には機械科があった。メジャーリーグに行くと豪語している野球バカの兄が鉄工所を継ぐことを家族の誰も想像できず、宙はなんとなく自分が継ぐ方がいいんだろうなと小さい頃から思っていた。そして宙自身、鉄工所の機械オイルの匂いは嫌いじゃなかった。子供の頃から、何かというと作ったり修理してくれる父を尊敬もしていた。遠藤家にある鉄製品の多くは父の手が入ったものだった。
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