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 次の日はとても緊張した。 「昨日勝ってまうとはな。連続はないな」  と残念がる遠藤夫妻の姿があったからだ。二人は空き時間には東京見物をしたいと言って、朝早めの予選が終わるとさっさと出ていってしまった。決勝までには戻るから、と言っていたが、その軽さは遅刻しそうな勢いだった。  朱里はご両親が来たんだったら、宙はそっちに行くんじゃないのかなと心配になった。朱里の父と、遠藤夫妻を会わせるのは大げさすぎる。ということは、お互い、ちょこっとペコリとして、別行動、ということになるのかなぁと朱里は残念に思った。  東京の街は、朱里がいた頃よりもずっと優しくなっているように見えた。それはきっと自分の見え方や気分の違いで、街が大きく変わったわけじゃないんだろうけど、それでも夏の街が、こんなに穏やかだったかなと朱里は思った。  会場では記念グッズも少しだけ販売されていて、その販売利益は障害のある人も含めていろんな人がスイミングをできるように活動しているNPOに寄付されると書いてあった。だからシャツやタオル、ピンバッジなんかも売れていた。朱里もいくつか買って、活動を紹介したチラシももらった。  プールボランティアも募集してます、とあって、泳げたらなぁと朱里はふわりと思った。  宙の個人メドレーの決勝戦はお昼過ぎだったから、朱里はお昼は終わってからにしようと思って、グッズ販売の端にあった『浮き輪クッキー』を買った。近くの作業所のおやつです、体にいいおさとうを使っていますと書いてあった。  それを買ってベンチかどこかで食べようと廊下を歩いていたら、会ってしまった。  ゼリー飲料をチュウチュウ吸いながら、ぶらぶら歩いていた宙に。  宙は『決勝終わるまで会えん』と頑なに言っていたから、ぷいと向こうに行ってしまうのかと思ったら、満面の笑みで手を振り、走ってきて朱里はびっくりした。  * 「いや、キセキやて。こんなに人おるのに会えるって。運命やて」  とうのが笑みの答えだった。  いや、同じ会場だし、あなたの出場スケジュールに合わせて私も行動してるし。でもそんなことはどうでも良かった。宙がすごく嬉しそうで、朱里も心が暖かくなった。 「うちの親も来とるらしくて」 「さっき、会ったよ。決勝までに戻るって出かけたから、そろそろ戻ってるかも」 「マジで。緊張するなぁ。買い物してたん?」  宙はもともと朱里より背が高くてがっしりしていたが、何だか水泳会場で見る彼はもっと大きく見えた。 「うん、寄付になるって書いてたし。あとお土産にもなるかなって」 「ああ、ええな。あ、このTシャツ、知っとる? 翠の好きなプール漫画や。原作、ものすご格好ええのに、あいつすぐBLにしよる」  朱里は微笑んだ。日本一の決勝前でも家族と一緒にいるみたいで面白い。 「昨日、俺が手ぇ振ったん、わかった?」 「あ…うん」  朱里は赤面した。やっぱりあれは私にだった。 「見えてたかなーと思って。今日、勝ったらピースするわ。見といて」  朱里はうなずく。言葉が出ない。ずっと見てる。 「負けたら見んといてな」  宙が言い、朱里は目を上げた。笑っていた宙に、ちょっとだけ不安そうな表情が交じる。 「今日の方が自信があるって…」 「自信はある」と宙はまた胸を張った。「そういうときのほうが、不安やねん」  わからなくもない。  朱里はどう励ましたらいいかわからず、言葉を探した。 「あ、膝は大丈夫?」  悩みすぎて出た言葉はこれだった。弾けるように宙が笑う。 「見て。塗る絆創膏にしたから大丈夫や。ほんまやな。負けたらこのせいにするわ。気が楽になった」  あははと宙は笑った。  良かった。よくわかんないけど、楽になったんなら。 「最高や。大好きや」  さらっと彼が言って、ほんじゃぁと踵を返し、朱里は廊下に残された。  大好き、と言われた。かもしれない。
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