18

2/5
前へ
/153ページ
次へ
 *  頭がぽわんとして集中できなかったが、何とか宙の決勝になったときには気持ちを切り替えることができた。頑張る。応援頑張るから、頑張れ。  彼の両親が来たかどうかはわからないが、朱里は決勝戦に集中した。私の大好きもプールの宙に伝わるといいなと思いながら。ほとんど念じるみたいな気分だった。  宙は魚になったみたいに泳いでた。  あの人、お魚なの?と小さい子なら言いそうなぐらいに。  水を切るように体がしなり、鰓呼吸できないから仕方なく息をしている。他の人もすごくきれいだったけど、朱里には宙が一番きれいに見えた。  それぞれの泳法はあっという間だった。見とれているうちに最後のクロールになり、朱里はまた拳を握りしめた。どれもきれいだけど、クロールは最後に力強くなるから好き。きっと本人は最後で一番大変なんだろうけど。  息継ぎのときにちらりと見える横顔にキュンとしてしまい、朱里は我ながらちょっと変かもと恥じらった。そしてついでに「大好き」も思い出してしまう。ギュッと目を閉じてしまって、油断した。  あっという間に宙がゴールしていた。  前の方で二人がパチパチパチパチと手が痺れんばかりの拍手をしている。  ご両親だ。と思ったら、宙が水中でそれに応えるようにピースした。その後、破顔する。  朱里も思い切り拍手を送った。  会場でもレースが終わるとみんなだいたい拍手してくれるから、そう大盛りあがりはせずとも、それなりに拍手があった。ピーッとどこかから指笛が鳴り、朱里は思わずそちらを見た。  そこには知らない男の人がいた。宙に手を振っているみたいだったから、きっと水泳関係者か他の種目の選手だろう。ちょっと外国の人っぽかった。  すぐに表彰式があって、ささっと優勝も告げられる。すごいことなのに、簡単に終わってしまうようで勿体ないなと朱里は思う。でも楽しそうに写真に収まる宙は満足そうだった。  退場のときに宙はまた待っていた窪田に走り寄っていて、今度は窪田がタックルするみたいに迎えるところまでは見えた。そこから先は奥に入ってしまって見えない。  もういいかな。決勝終わったし。  朱里は小走りに観覧席の外に出た。選手専用の部屋は関係者以外立ち入り禁止だから、そこには朱里は入れないのだが、それでも近くにいたくて廊下でうろうろした。  宙が出てくるまで、何時間も過ぎた気がした。  ものすごくものすごく待って、他の選手をたくさん見送り、そして見覚えのある小塚高校の水泳部のジャージが見えたときには身も心も浮き立った。 「宙!」  待ちきれずに朱里がほんの少しだけ声を出すと、宙は手を上げた。 「ちょっと待っといて。閉会式もあんねん」  朱里はそう言われてうなずいた。そうか。そういうのも出るんだ。 「連絡するけ」  宙が言い、朱里はまたうなずいた。 「わしらは帰るでな!」  背後から声がして、朱里はびっくりした。見ると彼の両親が手を振っていた。  おー、と宙が答えていて、朱里は振り返ってペコリと頭を下げた。 「もうちょっと東京観光して帰るわ。宙には内緒ね」  お母さんが内緒話をするように言って、朱里は「はい」と答えた。 「おめでとうって言っておいて」 「はい」  もちろんうなずく。  じゃぁねと別れ、朱里は観覧席に戻った。一人でしみじみと宙の二つの勝利を味わう。すごかった。ホントにすごかった。  ちょっと前まで、勝てんって悩んでた人じゃないみたいだった。  スマホを見ると、宙から、さっき下で会うより前に連絡が入っていた。 『閉会式も出なあかんから、待っといて』と。朱里はしまったと思った。これに反応がなかったから、廊下に出てきてくれたのかもしれない。全然見てなかった。もう夢中で。本人に伝えたくて。  見逃していたことを詫びると、宙からすぐに返事が来た。 『ホンマにお父さんと会うん? 考えてみたら俺ジャージやった」  朱里は思わず笑った。  もう彼は次のことで頭がいっぱいのようだ。  朱里はクスクス笑いながら、どう返事しようか考えた。
/153ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加