雨宿り

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七月のとある午後の帰り道、冷たい風が強く吹いた。 (これは、くるな……) 少女は雲がかった空を見上げ、雨宿りするためのバス停に急いだ。 小さく古びた木造のバス停に着くとそこには先客が一名いた。 「空木(うつぎ)くん……」 長椅子の一番端っこで、本を読んでいた彼は突然名前を呼ばれ、声のする方を見る。しかし見慣れない少女の姿に首をかしげる。 「……どちら様ですか?」 (覚えてないか、やっぱり) それは梅雨入りすぐの六月。持ってきたはずの傘が傘立てにない。一本一本確認しても、やはり自分の傘は見当たらない。 「うっそ、困ったな」 「これ、使って」 独り言のはずの言葉に返事が返ってきたことに驚き、少女は顔を上げる。しかし、見えるのは胸の位置。 思っていたより身長の高い声の主に目線を合わせると相手の瞳は半分ほど、長い前髪に隠れている。 「あなたは?」 少女が、ずれた眼鏡を直しながら尋ねると短い返事が返ってくる。 「空木」 空木と名乗る少年は少女に黒い傘を差し出す。 「でも、外すごい土砂降りだよ?空木くんはどうするの?」 「傘、もう一本持ってるから」 なんて用意のいい人だろうと感心しながら、それを聞いて少女はお言葉に甘えることにした。 「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて。あ、私は日森(ひもり)です」 「日森さん、ね。傘返すのいつでもいいから」 そういって空木は「図書室に行く」と言って下駄箱の方へ戻り階段を登っていった。 「空木くん……か」 空木の後ろ姿が消えるまで見送ると、日森はじんじんと熱を持つ右手の人差し指に触れる。傘を受け取るときに少しだけ空木の小指に触れた人差し指が、熱を持ったように熱い。 翌日学校へ行った日森は、メガネを外し毎日後ろでひとつに結んでいた髪を下ろしていた。 それは恋をした女の子の典型的なイメージチェンジだった。 あれから、空木を学校で見つけるたびに目で追った。いつも昼休みに居座っている図書室に、彼も通っていることを知ったときには驚いた。 それからは、彼がよく見える位置に座るようにして、声をかける機会を伺うが、いまだ話しかけられたことはなかった。 ぽつりと地面に大きめの雨粒がひとつ落ちると、一気に土砂降りになる。あの日のように。 (やっぱり、雨降ったか。) 「まいったな、傘持ってないんだよな」 空木は読んでいた本を閉じると困ったように頭をかく。その言葉に違和感を持ち、日森は尋ねる。 「傘、忘れたの?」 「いや、人に貸しててさ」 空木は日森の方を向く。傘を貸したのが日森だというのは覚えていたようだがやはり、彼女がその傘を貸した相手だということには気づいていないようだった。 日森はここにきて、罪悪感が芽生え始めた。なぜなら、あの日の彼の言葉が嘘だと気づいてしまったから。 本当はもう一本傘など持っていなかった。ただ困っている少女を見て手を差し伸べただけだったのだ。きっと彼はあのあと、土砂降りの中走って帰宅したのだろう。 そして、罪悪感はもうひとつ。 傘を未だに返していないこと。それはもちろん返せる機会はいつでもあったのに返さなかったからだ。 傘を返してしまえば、彼との接点がなくなる気がして、いつまで経っても返しに行けなかった。 傘を返していれば、彼が今日困ることもなかった。 「ごめんなさい」 「なんで君が謝るの?」 まだ気付かない。日森は「いや、なんとなく」とごまかし、このままやり過ごそうと決めた。 「そういえば、俺のこと知ってるってことは同級生だよね?」 「え、ああ、そうだね」 「日森さんって人、知らない?」 ドキリとする。それは私ですと、言ってしまおうかと悩んだ。しかし、もしかしたらいつまでも傘を返さないから怒っているのかもしれないと思うと気が引けた。 「いつも昼休み、図書室で本読んでる子なんだけど最近見ないんだよね」 傘の話など出てこないことよりも、自分がいつも図書室にいることを知っているのに驚いた。今でも、通ってはいるのだが。 「学校でも最近見かけないし、どうしたのかな……」 「なんでその子のこと、気にするの?」 そう尋ねると空木はすこしだけ驚いた顔をした。 「いや……、傘、その子に貸してるから。あとは、最近見ないから気になってる、かな?」 空木自身もあまり分かっていないようだったが、それを聞いて自分が気に留められていたことに日森は嬉しくなる。 「そっか、早く傘返ってくるといいね」 傘を返さなければならないのは自分なのだが嬉しさを隠しきれずに笑顔で日森は言った。空木はそんな彼女を見て、つられて笑う。 「うん。また会えたらその子に聞きたいことがあるんだよね」 「聞きたいこと?」 別人のフリをした自分が聞いてしまってもいいものかと後から少し罪悪感を感じながらも、次の言葉を待つ。 「好きな作家とか、おすすめの本とか。何でかわからないけどとにかく、その子と話がしたい。その子のことを、知りたい」 日森は一気に顔が熱くなる。これはもしや、といううぬぼれが頭をよぎる。 ひとつ、思いついたことがある。今、目の前でメガネをかけて髪を結ったら目の前の少年はどんな反応をするのだろう。 もしかしたら、騙されたと、拒絶されるかもしれない。しかし、同じ学校に通っている以上、バレるのは時間の問題だ。思い切って、少女はコンタクトを外してケースにしまう。 「目でも痛いの?」 いきなりの行動に少し驚いた空木は下を向いている日森の顔を覗き込む。 顔を上げた日森を見て、空木は言葉を失った。 少し大きめのレンズに深緑色のフチをしたメガネ。右手で髪を一つに束ねた日森は顔を赤くしながら空木を見上げる。 「日森、さん?」 目の前で何が起こっているのか、誰がいるのかを悟った少年もまた、顔を真っ赤に染める。 夕立は二人をバス停に閉じ込める。外部からの視線や音すらも遮るカーテンとなる。
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