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「侵攻路は三つ考えられます」
勝資も長評定は今は不要と考えたのか、間髪入れずに説明を始めた。もしかしたら同じ信玄の幕僚同士、事前に老人たちの議論を封じるために打ち合わせ済みだったのかもしれない。
「侵攻路の一つ目は、加治田城から猿啄城に向かい、これを落として木曽川の北を進んで岐阜城に侵攻するものです。この場合天然の要塞である猿啄城を、いかに早く落とせるかが成否を決めます。ここで手間取ると、織田方に十分な迎撃態勢を敷かれ、岐阜城に達したところで、尾張から挟撃を受ける可能性があります」
確かに木曽川の南には尾張の織田方の城がひしめいている。これらの城に十分な時間を与えてしまえば、背後から追撃されて退路を断たれる危険がある。
「二つ目は、関城から長良川を渡って北から岐阜城に進みます。この場合も猿啄城を抜けた尾張の織田軍に背後を襲われる危険があります」
やはり、尾張の織田軍が健在な中での美濃侵攻は、かなりリスクを伴うようだ。
「三つめは、三河の徳川を痛撃し、戦闘力を奪ってから尾張に侵攻します。この場合徳川軍が野戦に出てこず、岡崎城に籠城してしまうと、背後から攻められることを警戒して、前に進めなくなります」
前年に遠江での戦いで完勝しただけに、徳川が野戦を選ぶとは考えにくかった。
こうなると美濃、尾張から京に進むのはかなり難しいように思える。かと言って、北から回り込むには、謙信というもっと難敵が待っている。
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