第2話 将の格

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第2話 将の格

 意義を唱えたのは弓矢の御談合人七人衆の小山田信茂(おやまだのぶしげ)だった。  弓矢の御談合人七人衆とは、信玄が合戦の相談をする側近の中で特に信頼が厚く、進言や助言が許された者で、原昌胤、馬場信房、山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、小山田信茂、土屋昌続の七人がこれにあたる。  特に小山田氏は平氏の血を引く名門で、信玄の父信虎の代までは甲斐の覇権を争う対等な勢力だった。  武田軍団の中に入っても信茂の率いる兵は精強で、川中島の戦いでは先陣を務めるなど軍功も多く、その強さには昌景など他の家臣も一目置いている。 「なぜ小助が猿啄城攻めの主将を務めてはダメなのですか?」  勝資は不思議そうな顔で尋ねた。  その顔を見て、勝資は理に走りすぎると勝悟は思った。  確かに勝頼の側近に成ってから、美濃攻略における小助の働きは目覚ましく、猿啄城攻めの大将として十分な実績を上げている。  理屈で考えれば美濃の猿啄城を攻めるのに、小助ほど適した人材はいないと言える。  だが、それは理屈のみに成り立った人選であり、これを押し通すには反対する人の気持ちも理解し寄り添う態度が必要だ。 「猿啄城攻めはお館様の西上における最初の(いくさ)だ。それを指揮する者はそれなりの家格を持った者でないと、お館様の戦歴に傷がつく」  何とも現実離れした話だった。戦国の世において、戦を任す将である資格として強さ意外に何がある。美濃をよく知る小助ほど、この任に相応しい者は家中にいなかった。  そもそも信玄が甲斐を離れ信濃に本拠を置いた時点で、甲斐出身者であることは武田軍において、絶対的なステータスではなくなった。出自に関わらず、有能であれば登用され重要な任務を任される。そんな能力優先の時代がやって来ている。
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