第1話 野望の実

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第1話 野望の実

 夏の湿った空気が、緊張した身体をどんよりと覆い、皮膚から噴き出した汗が、着物を肌にぴったりと張り付かせて気持ち悪い。  真野勝悟(まのしょうご)は当主信玄からの急な呼び出しで、駐留先の曳馬(ひくま)城から馬を飛ばして、昨日の夜に高遠(たかとう)城に到着したばかりだ。  武田家は今川家からの要請を受けた形で、遠江の防衛と称して曳馬城に五千の守備隊を駐留させている。勝悟は盟友保科正直(ほしなまさなお)と共に、守将の補佐として曳馬城に詰めていた。  曳馬城駐留軍の主将に任命されたのは、断絶していた名門山県(やまがた)家の名跡を継いだ飯富源四郎昌景(おぶげんしろうまさかげ)。信玄の召集に対し、曳馬城の守備を正直に頼み、昌景と勝悟が遠江駐留軍の代表として高遠城に向かった。  三二人もの武田の諸将が集まると、改築された高遠城の大広間でも、さすがに息苦しさを感じる。何よりも諸将の圧が以前とは段違いに強い。  以前の彼らは自身の一族郎党を含めた、せいぜい三十人規模の兵を率いる小隊長に過ぎなかったが、今や五千人以上の兵を指揮する大身と成っている。地位が人を作るの言葉そのままに、大きな権限と責任を課せられたことにより、人格や思考が以前とは様変わりしたのだ。
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