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ヤマギシが翔んだ日
技術準備室の小さい窓から空をみていた。
その日、空は水色なのに、どことなく低く思える。
ぺたん、とそらが降りてきてるように見える。
目線を手元に変えて、
サンドペーパーで木切れを撫でてみる。でもすぐ止まる。
…前ほど熱中できない。
この部屋は
安全な隠れ場所から、
"ヤマギシに会える"場所に
変わってた。
ヤマギシが来ることは、もうないのかもしれない…。
ガラリって扉が開く。
「ダさイ!」
うわあああっっ、や、ヤマギシ!
「よかった、ダさイ、おった、居てくれた、よかった。」
ヤマギシの頬が紅い。
走ってきたん…?
それとも熱でもあるの…?
「ダさイ、これ、受け取って。」
ヤマギシが渡したのは彫刻刀の箱。
「彫刻刀潰してしもたから。これ、代わりに使って。」
これヤマギシのやん?
授業があったら困るやろ?
「ええねん。も、ええねん。」
ヤマギシが笑う。
きゅん、と不安が浮かぶ。
ヤマギシ…?どしたん。
「手!ダさイ、手出して!」
いつものいきなりのヤマギシ。
おずおずと両手を差し出したら、
きゅと握りしめられた。
僕の手を包む小さい小さい白い手。
や、や、ヤマギシ、
ど、ど、どしたん…?
「ダさイ?手ガサガサ、血ぃ出そうになってるで。やっぱサンドベーパーとか使うときは手袋はめなあかんで。」
ヤマギシが言う。
いや、それよりも、
僕はもう血が沸騰しそう、
両手をきゅ、て握られて、
僕は初めて気がついた。
ヤマギシはちっちゃい。
僕よりずっとちっちゃい。
考えたら当たり前やのに。
今、はじめて気がついた。
「ダさイ、あんな、なんかダさイには、いっぱいいっぱい貰った気がするねん。」
え。
「ありがとうな、ダさイ。」
違うで、ヤマギシ。
くれたんは全部君で、
僕は何もできてない。
「ずっとトモダチ。チカイはとわに、やで。」
ヤマギシの手が
そっと離れようとしてる。
ヤマギシ…?
やっぱり変や、ヤマギシ。
咄嗟に離れかけてる
ヤマギシの手を
掴み返そ、そう思う。
掴みたい!
なのに
……。
僕の手はようせんかった。
ヤマギシの手は離れた。
ヤマギシが身を乗り出すかんじで、勢いよく、
「今日取りに行くねん。」
て言う。
え。何を、
「今日たぶん取れる、
今日しかないと思うから、行ってくる。つかんでくるわ。」
ヤマギシ…?
やっぱりヤマギシの言うこと、わからへん。
「ダさイ!ほななっ。」
グリグリ目玉がキラキラしてて、ほっぺがほほほって紅く
染まってて。
ヤマギシがとてもキレイだった。
ヤマギシは
両手をおっきくクロスで振って、
にっこにこで振って、
くるりと身を翻すと、
跳ねながら、走ってった。
ものすごく、ものすごく嬉しそうに。
パタパタパタッて
遠くなるヤマギシの軽い足音。
そうか。
欲しいもん、取れるんや。
僕はぼんやりしてしまう。
僕の欲しいもん、てヤマギシやな…。
でも僕は取られへんかった。
…取りに行ってもないもんな。
取れんで当たり前やな。
ヤマギシは偉いな、
取りに行くんやから…、
欲しいもん、ヤマギシ…
ええっ!!?
そして僕は凍りつく。
天地がひっくり返るよう。
明るい昼下がりなのに
禍々しい魍魎たちが
僕の皮膚を全部覆い尽くしたよう。
何してるなにしてんねん。
知ってたやろ、ヤマギシの
憧れ、羨望、欲しいもの。
僕は走り出してた。
やめろやめろ、ヤマギシ、
やめてやめて、やめて…。
ヤマギシを止めたい!
普段走ってないから
全然速く走られへん。
息も脚も続かへん。
けと、いかな、
ヤマギシを捕まえな…。
ヤマギシ、ヤマギシ、
ヤマギシッ。
遅い遅い遅い、僕は遅い。
間に合わへん、間に合わへん、
ヤマギシが憧れて憧れて、
手に入れたくてしょうがないもの。
それは、ぎらぎら燃える
あの太陽。
熱い熱いお日様。
宙に浮いてるあの火球。
やめろっやめろっヤマギシ
そんなもん、取りに行くな
とれへんって、取られへんねん、
僕らひとやからっ
つかまれへんねん、て!
行かんといて、行かんといて
ヤマギシッ!ヤマギシッ!
屋上や…屋上や…、
ヤマギシ、ヤマギシ、
ヤマギシッッ!!!
やっと階段駆け上がれて、
屋上に続く扉を開けた。
ヤマギシがいた。
屋上一番奥。
ミナミや…南の空のした。
もう編み網の柵登り終えて、
跨がって空みてる。
グリグリ目玉でみてるんや。
叫んだ。
ヤマギシ、ヤマギシーッ!
ヤマギシが気がついた。
僕を見た。
あれぇ?てかんじで、
グリグリ目玉をぱちくりさせるのがわかった。
僕は走った
手を、手を伸ばして。
叫んだ、
ヤマギシ、ヤマギシーッ
ヤーマーギーッッシ!!!
ヤマギシは僕に手を振った。
嬉しそうに嬉しそうに
手を振った。
そして、僕の脚が、手が、
ヤマギシに届くその前に、
ヤマギシが翔んだ。
手を、ちっさい手を
ギンギンに伸ばして、
オレンジに燃える
お日様に向かって
翔んだ。
アハハハハッッて聴こえた。
とてもとても、
嬉しそうな、楽しそうな
ヤマギシの声。
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