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私の足が自然と後ずさりを始める。
壁に背中がつく。
「あれ? ひかり? もしかして知り合いだったり?」
私と後輩兼用心棒さんの態度に違和感を覚えたのか、お母さんが私を見る。
「え、えっとね……、し、知り合いっていうか」
忘れたい存在というか。
こういう関係のことをなんて言うんだろう。
一度顔を合わせただけの関係。
よく「友達以上恋人未満」なんて単語を少女漫画とかで見かけるけど、この場合って何?
「赤の他人以上知り合い未満」とか⁉︎
でも、さすがにそれを兄の後輩に向かって言うのは失礼すぎない⁉︎
何と言って良いのか分からずに口ごもる。
すると目の前の後輩兼用心棒さんが、
「唯斗さんの妹さんっすか⁉︎」
高揚していた。
瞳がキラキラしている。
同じ家に住んでいる以上、血縁関係にあることはごまかしようがないので、ぎこちなく縦に首を動かして肯定する。
「やっぱり! あの今朝、会いましたよね⁉︎ 曲がり角でぶつかりましたよね⁉︎」
「曲がり角……?」
お母さんが怪訝そうに表情を曇らせる。
昨日、夜勤で夜から朝方まで病院にいたため、家にいた子供達が寝坊したことすら知らないのだ。
「ひかりぃ、本当にとーすとくわえてがっこういったの? まがりかどでぶつかったの? すごいねえ、まんがみたいだねえ」
今の今まで、後輩兼用心棒に支えられたままぐでん、としていた唯斗兄が顔を上げた。
ああああぁぁ、お母さんと唯斗兄の前で何てこと言ってくれたんだ!
「あの俺、小林勝人っていいます! 小さい林で小林で、勝つ人って書いて勝人っす! あなたはひかりさんっていうんすね⁉︎ 漢字はどう書くんすか⁉︎」
「ぜんぶ平仮名です……」
というかそんなこと知ってどうするっていうの。
それはそうと、今朝サラッと告白されたけどそのことに関しては全く触れてこない。
気の迷いとかだったのかな、それともさすがに唯斗兄とお母さんの前だから言えないってやつ?
「ひかりさん! 朝はビビらせちまって、すんませんした!」
「い、いえ……お気になさらず……」
具体的にどの行為のことを言っているのかは、わからないけど。
「え? な、何? 二人知り合いなの? ど、どういうこと……? え?」
お母さんがオロオロしている。
余計なこと言わないでね、小林さん。
そう願ったけど無駄だった。
「今朝、ひかりさんと運命的な出会いをして一目惚れして俺が告りました‼︎」
刹那、沈黙が落ちる。
お母さんが呆けた。
……なに、この人。
「ひかりさん! 交際を前提に友達になって下さい‼︎」
「い、嫌です!」
反射的に即座に断っていた。
膝が笑いそう。
おかしな空気が、辺りに充満する。
これが、いわゆる「気まずい空気」。
その時、ドタドタと騒々しい足音が近づいてきた。
ダイニングキッチンに残してきた亮ちゃんだ。
何だか、ものすごく険悪な表情をしている……。
「あ、あのもしかして唯斗さんの弟さんで――」
小林さんが顔を輝かせた。
「ひかり姉、下がれ」
「え」
疑問に思ったコンマ一秒後、亮ちゃんの足の甲が小林さんの頬に叩き込まれていた。
ばちん‼︎
派手な音が空気を切る。
小林さんは、唯斗兄を支えた格好のままバランスを崩して、その場にくずおれた。
中学一年生とはいえ、空手黒帯の技をまともに食らったんだから、無理はない。
「玄関先で気色悪いこと喚いてんじゃねえよ! とっととクソ兄だけ置いて消えろ‼︎」
その場で勢い余って半回転した亮ちゃんは、左斜め上から小林さんを見据えて、一喝した。
小林さんは、数秒ぽかんとした後、青ざめてバッと頭を下げた。
土下座みたいな格好になる。
「大声出してすんませんっした‼︎ 唯斗さん、良い夢見てください! 夜分遅くに失礼しました‼︎ ひかりさん、俺、諦めねえんで!」
出て行くときにまた、一礼して去っていった。
「去っていった」と言うよりは、「逃げていった」に近いかもしれない。
「チッ、ったく、世の中ろくな奴いねえな」
「な、何なの……、あの人……」
私は、その場に膝をつく。
わけわかんない人種。
「ちょ、ちょっと元気すぎる気がしないでも無いけど……。でもわざわざ唯斗送ってきてくれたし、小林くん良い人じゃない? あ、唯斗大丈夫?」
お母さんは、床に転がったままの唯斗兄に手を貸して立ち上がらせ、家の中に入れた。
取り残された私に、亮ちゃんは「あんなのと関わんねえ方がいいぞ」と吐き捨てるような言い方をした。
「大人なんか、みんな嘘つくんだよ。唯斗だって、去年まで俺にサンタはいるって散々言い聞かせた挙句、枕元には筆記体で書いたクリスマスカードまで置いて嘘つきやがった。騙されてきた自分が一番許せねーよ……っ」
「……私は、中学三年まで信じてたよ」
悔しげに、拳を握りしめた弟にそう声を掛けるのが精一杯だった。
小林さん変だし、怖かったけど、何故か今朝よりは怖くなかった。
「何でだろう」と考えて、そういえばさっきは一度も触ってこなかったことに気が付いた。
変な人だと思ったけど、もしかして今朝手握られた時の私の反応が尋常じゃなかったから、成人男性が苦手だと見抜いて気を遣ってくれたのかな……?
……いや、まさかね。
たまたまだよね。
お母さんと唯斗兄の前でも告ったことといい、あの人、そんな気遣い出来なさそうだし。
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