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空調の効いた職員室から出て廊下を抜け、蒸し暑い教室にもどった。
「ひかり、おかえりー!」
紫が目を輝かせて抱きしめてくれた。
一人でお弁当食べるのキツかったんだね。
ぼっちは嫌なんだね。
ちゃんと女子だね。
私も本条先生と二人で面談は嫌だったよ。
なんてことを思いながら、私は「あついあつい」と苦笑して、首元にまわされた紫の腕をぺちぺちと軽く叩く。
「あー、ごめん。というかどうだったのよ? 二者面談は」
紫は私から離れながらそう尋ねてきた。
「いや……まあ……」
「何よー、その顔はー。芳しくないの?」
「うん……あんまり芳しくないかな……」
うなだれた。
だって紫みたいに、具体的に決まってることが一つもない。
私、大丈夫なのかな……。
「元気だして。聖よりはマシよ、絶対」
「橘紫。貴様、何の話をしている」
教室の隅で一人、昼食後の稽古と称して、木刀で素振りをしていた聖くんが、ツカツカと私たちの席に近づいて来ていた。
地獄耳なのかな?
「ねえ、聖。あんた、金曜の二者面談で進路どうするって言ったんだっけ?」
紫が笑いを抑えているような口調で言った。
聖くんは涼しい表情で腕を組み、明後日の方角を見る。
「我は、一人前の武士になると明言した」
未来に何の迷いも抱いていなさそうな、随分はっきりとした口調だった。
私は、ぱちぱちと自分史上最高速度の瞬きを繰り返す。
……ぶ、武士?
どうやったらなれるの?
それ?
疑問でいっぱいの私をよそに、聖くんは続ける。
「しかし、あの寺子屋は『それだけはさせてたまるか』と反逆の意を唱え、我を西端の小部屋へと連れていった」
「せ、せいたんのこべや?」
「生徒指導室ね」
幼なじみはいとも簡単に訳してみせる。
生徒指導室か。
たしかに、校舎の西側にあるし、建築ミスのごとく狭いもんなあ。
窓すら無いし……。
というか、生徒指導室に連れていかれたんだ……。
きっとまた本条先生は、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていたことだろう。容易に想像がつく。
「おのれ、忌々しい寺子屋風情が……っ! 何故、毎度毎度我の邪魔ばかりするのだ……! ハッ、まさか! 実は彼奴も我と同じく武士を志す者だとでもいうのか……⁉︎」
完全に自分の世界に入り込んでしまった聖くん。
ツッコミも通訳も放棄した紫が「ね? 分かったでしょ? 聖に比べたら全然大丈夫よ」とにっこり私に笑いかけてくれる。
「あ、ねえ。そういえば、すごい聞きたいことがあったの忘れてたわ! 例の男とはどうなったのよ? 何か電話とか掛かってきたりしたのかしらー?」
興味津々といった様子で顔を近づけてくる。
紫には全部金曜の夜にLIMEで相談してあった。
「いや、別に何も……」
「でも諦めないって言ってたんでしょ? じゃあ、亮也くんに顔蹴られてもなお、ひかりと交際を前提に友達になりたいってことよね」
「たぶんね……」
非常に困る。
だってきっと恋愛に狂った人間ほど話が通じない生き物も、そうそういない。
「紫はどう思う? 友達くらいならなっても大丈夫だと思う?」
「えー、ひかりのしたいようにして大丈夫だと思うけど。うーん。でも、そうね。その小林って人、イケメンなのかしら?」
「いや……。塩顔の、フツメン」
「塩顔でフツメンね。じゃあ、お金持ってそうだった?」
「う、うーん。唯斗兄の後輩らしいから同じ生命保険会社だろうし、若いから新人だろうし……」
「将来性は? ありそう?」
「……いやー、なんていうかそのー、うーん……頭よくなさそうだったかな……」
いや、そんなこと言ったらダメなんだけど!
年上に対して!
歯切れ悪く言いながらも罪悪感。
「あー、じゃあナイわ。無理無理。私だったら関わらないわね」
紫は一気に冷めた表情で、犬でも追い払うかのように手を振った。
「やっぱり、関わらない方がいいの?」
「だってカッコよくも無けりゃ、利用価値もない男と付き合ったって時間の無駄でしょう? 私たち女子高生なのよ? 青春は貴重なのよ? 八十余年のうち数年しか無いの。そんな時期にボケーっと口開いてたり、わけわかんない男に引っかかってたりしてどうすんのよ」
なるほど。そういう考え方か……。
「ひかりは一年の頃にも年上で嫌な思いしてるんだし、気が進まないんだったらやめといたほうがいいんじゃない? あっ、実は気になってたりするの?」
紫がニヤニヤとした笑みをつくる。
からかわれてるみたいで、きまりが悪い。
「……いや、気になってる……というのはちょっと違うかも……? 怪我してないかは気になってるけど……」
だけど何だか、改めて考えてみたらちょっと酷いことしちゃったかもって思えてきた。
あんな真剣に好きって言ってもらったことも今までなかったし。
小林さんの言ってることが全部本心で本気なんだとしたら、ろくに話もしないで拒絶して、可哀想なことしちゃったかもな……。
まあ、あくまでも「本気で言っているなら」の話だけど。
微妙な表情の私に、紫は言う。
「ああ、弟が顔蹴っちゃったの謝りたいとか? まあ、私はあっちの方が悪いと思うけど、ひかりがそうしたいんなら謝ってもいいんじゃない。そいつの連絡先、お兄さんにでも聞いて教えてもらった方がいいわね」
心配かけたくないのもあったけど、二日酔いで辛そうな素振りを見せていたので、兄には全く何も説明してなかった。
唯斗兄は、酒を一口飲んだが最後、翌朝目覚めるまでの記憶は全て飛ぶ。
だから玄関先でのあれこれなんて全く何も覚えてないだろう。
そうなるとやはり、小林さんに言い寄られたことから伝えなくちゃいけない。
ちょっと言いづらいけど……。
頑張るしかないか……!
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