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何かに勢いよくぶつかり、その場に尻餅をついてしまった。
くわえていたパンもその拍子に飛んでいき、アスファルトに落ちる。
単にぶつかったのではなく、ぶつかって弾き飛ばされた。
同じような勢いを持った、何かに。
「いっ、たあ〜……」
思わず声が出る。
とっさについた手のひらが、一呼吸遅れて炙られているかのように、じくじくと痛んだ。
見ると、擦りむいたのか、皮膚が破れて薄く血が滲んでいる。
ああ……もう何で今日はこんなについてないんだろう。
厄日だ。
「痛って……、すんません、ちょっと俺急いでたもんすから……あ、コケてる! 大丈夫すか⁉︎」
掛けられた声は大人の男の人のものだった。
反射的にびくり、と肩が跳ねる。
目の前には、真新しいスーツに身を包んだ短髪の若い男の人。
就活中の大学生とかだろうか。
平均を緩やかに上回っているであろう背丈に、プロ野球選手にでもいそうな塩顔。
身体は健康的に引き締まっている。
細マッチョっていう感じ。
だけど、その人は顔を上げた私の顔を一目見るなり、何故だか固まってしまった。
私の顔に何か付いてるんだろうか、と頬っぺたに触るが、普段通り少し柔らかいだけで、異物の気配は何もない。
そこまで考えて、ある可能性が頭をよぎってハッとなった。
固まってしまった男の人に私は慌てて声を掛ける。
「あ、あの、もしかしてどこか怪我しましたか⁉︎ だっ大丈夫ですか⁉︎」
あれだけの勢いでぶつかったんだから、どこか身体を打っていてもおかしくない。
怪我とかしてたりどうしよう⁈
もしかして、頭でも打った⁈
「きゅ、救急車とか呼びますか……⁉︎ ごめんなさい、私が」
そこまで言いかけて、その人は私の手を取った。
骨っぽくて硬い男の人の手だった。
瞬間、肌が粟立つ。
しっかりと握られた両手と、真摯な目で私を見つめてくる正体不明の成人男性の塩顔とを、交互に眺めた。
背中に冷や汗がじっとりと、にじんでくる。
彼は言った。
「好きっす」
かつて受けてきた告白のなかで、こんなに唐突なものはなかった。
あまりに予想外すぎる展開。
きっと女子だったら憧れるシチュエーション。
だけど、私は……。
「ひ、ひぎゃあああああああああっ‼︎」
断末魔のような悲鳴を上げてしまう。
電線で鋭い陽光を浴び、ハードなひなたぼっこをしていた小鳥たちも空へ羽ばたいていった。
その段になって、手が離された。
「嫌あああああぁぁ‼︎ 無理無理無理、本当無理いいいぃ‼︎」
まだ、手を握られた感触が指に残っているような気がして、両手をワインレッドのスカートに何度も叩いて感触の後味を消す。
一般女子にウケそうな異性との出会い方も、私には悪夢でしかない。
嬉しいハプニングどころか、災厄としてしか受け取れない。
名も知らない成人男性は、あまりのことに呆然としていた。
それを見て我に返った。
また、やってしまった。
中三のときに痴漢に遭ってから既に兆候はあったんだけど、今から一年前の高校に入学したての頃。
当時付き合っていた年上の彼氏にトラウマを植え付けられたことが決定的な要因に作用し、世の成人男性という成人男性に並々ならぬ恐怖心をいだくようになっていた。
端的に言うと、大人の男の人と一切接触できなくなってしまったのだ。
触れられると、心的外傷が蘇ってくる。
喋るのはまだマシに出来るけど。
「あ、あのすんません! ……悪気は無かったんすけど、お姉さん、すごい俺のタイプだったもんで、つい! すんません‼︎」
「は、はあ……」
曖昧に返事をした。
眉を八の字にして頭を下げられたって、こっちが味わった恐怖がかき消えるはずもない。
どうしよう、膝が笑う。
というか、私よりこの人の方が絶対年上なのに、何で私お姉さんって呼ばれてるんだ。
「あ、スマホ落としてますよ!」
私が挙動不審なのにもかかわらず、鈴と「k2」のネームプレートがついたiPhoneを拾って手渡してくれる。
恐る恐る両手を差し出す。
砂漠を彷徨っていた人がオアシスに辿りついて両手で水を掬うかのごとき。
お兄さんは、ポンとiPhoneを手のひらの上に置いてくれた。
指が触れることなく受け取れたことにホッとする。
「あ、ありがとうございま……」
震える声のまま会釈したその時、予鈴が鳴り響いた。
しまった、学校!
本鈴が鳴るまでに教室に滑り込めればギリギリセーフなはず。
遅刻したことないから、うろ覚えだけど。
「あっ、あっあの、私時間ないので! 失礼します!」
「あっ、せめてお名前だけでも!」
「ぶつかって本当にごめんなさい‼︎ 後生の頼みなので見逃してくださいいいいぃあああああ‼︎」
後ろから、諦め悪く何か言われた気がしたけど、一度も振り向かずに、めちゃくちゃに鈴の音を奏でながら一心不乱に走ってスレスレで遅刻を免れた。
トーストが無い方がとんでもなく息がしやすかったことだけは、ここに報告しておこう。
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