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「へえ、それで今朝は、寝坊してトーストくわえてダッシュして曲がり角でぶつかった成人男性に告白されて、奇声上げて逃走したその足で教室にすべり込んできたわけ?」
「うん……」
昼休み。
一年生の時から仲が良い紫と向かい合うようにして机をくっつけ、購買で買ったパンをかじりつつ私はうなだれた。
「家庭科部のひかりが弁当作ってこないなんて珍しい」と目敏く言われてしまい、私は今朝あったことを紫に喋った。
本当は、朝のHRが終わった時点で「遅刻寸前に来るなんて珍しい。何かあったの?」と訊かれてはいたけど、その時はまだ心の整理がついていなくて、曖昧にごまかしたままだったのだ。
「そいつ絶対やばい奴でしょ。初対面の高校生に告るとか、頭おかしいわ。よかったわね、何もされなくて。不幸中の幸いよ」
「うん……」
確かにそれはその通りなのかもしれない。
もし何かされていたら、と思うとゾッとする。
「元カレのことといい、ひかりって変な年上にばっかり好かれるわよね。男運が無いってやつ?」と紫は首を傾げている。
「……良い年上もいたよ」
言いながら、私は机上に置いたスマホを見やった。
「k2」と書かれている小さなネームプレートと金色の鈴が、陽光を浴びて輝いていた。
まあたしかに痴漢とか、元カレみたいに悪い大人がいるのは知ってたけど。
今朝みたいな変な大人もいるんだな……。
今日はそれが分かって良かったと思おう。
「まあ、何にせよひかりは容姿が整ってるんだから、気をつけた方がいいわよ。美人も大変だわ」
「いや私より、唯斗兄の方が大変だと思うよ」
「あー。ひかりが唯一、触れられても平気な成人男性ね」
お父さんも大丈夫だから唯一ではないけどね、と心の中で補填しておく。
「お兄さん、前勤めてた会社セクハラ酷すぎて辞めたとか言ってたもんね。まあ、あれはしょうがないわ、顔がチートだもん。仮●ライダーの主演やれそう」
「桁外れだから」
私はうなずく。
ブラコンとかじゃなくて認めざるを得ない事実だからだ。
さらに、うちの長男である唯斗兄は、営業マンという仕事柄か、それとも昔からなのか、誰にでも愛想良くする癖がある。
そのせいで勘違いしたファンが暴走して、盗撮されたりストーカーされたり、何なら拉致されかけて警察沙汰になったりとしょっちゅう危ない目に遭っていた。
セクハラ被害も多数受けていたらしい。
一方で、空手を習っている硬派な弟――亮ちゃんは、そんな頼りない兄がいけ好かないらしく、「男のくせにヘラヘラしてんじゃねーよ」だの「いい年した大人が自分の身もろくに守れねーのか」と顔を合わせるたびに唯斗兄を責めている。
だが、唯斗兄は長男だから怒ることなく、「そうだねえ、俺は亮ちゃんみたいにキリッとした顔つきでもないし、護身用に習った剣道も木刀が無きゃ、何の役にも立たないからなぁ……」と同情を誘うように哀愁を漂わせて返している。
軟弱な兄といえでも、亮ちゃんに「……元気だせよ」と肩に手を置かせることくらいは出来るようだった。
「まあ、なんか困ったことあったら私に言いなさいよ。ひかりのことは私が守るから」
紫は、ニッと唇を横にひいて笑った。
「私は紫が一番カッコいいと思う」
「そうねえ。私が男だったらひかりと付き合ってたと思うわ」
ポンポンと優しく頭を撫でられた。
男前な親友。
いい友達を持てて良かった。
感慨にふけっていたとき、バン! と馬鹿みたいな大きな音がして後方のドアが開いた。
ザワザワしていた教室が一瞬だけ静まり返る。
見慣れた背の高い男の人が立っていた。
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