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そんなことを思いつつ私は、本条先生の大声にビクビクしながらも、もそもそとパンをかじっていた。
紫も、そばで行われている寺子屋VS武士の小競りあいなど素知らぬ様子で、タコさんウインナーを箸でつまみ上げている。
さすが幼なじみ。
教師との間に軋轢を生む彼の姿なんか、小学生の時から近くで見ていて慣れてしまったのだろう。
肝が据わっている。
「上履きを履け! 購買に売ってるだろ!」
時間通りに職員室に現れなかったことから、上履きを履かないことへと怒りの論点がすり替わっている。
「そうやって喚いてる暇あったら面談すればいいのに」と紫が命知らずに呟いていて肝が冷えた。
本条先生に聞こえてないのが不幸中の幸い。
「何でお前みたいなのが県内トップのうちの学校に、しかも学年で上位三十位内の生徒しか入れない特進科にいるんだ! 金でも積んだのか! 裏口入学か⁉︎」
「何たる無礼千万! 貴様、その口のきき方を矯正しなければ、殿上人から見限られ、そのうち底辺高校に無期限の参勤交代だぞ!」
「なんだ、殿上人って! 何か知らんが余計な世話なんだよ! さっさと職員室に行くぞ、ほら来い!」
本条先生は聖くんを引きずるようにして立ち去っていった。
「離せっ、この未熟者が!」と喚く聖くんの声が遠ざかって行く。
どことなく、教室内にも安堵の気配が広がり、喧騒が戻ってくる。
「大変ね、本条先生も」
紫は、平然とだ円の形をした弁当箱の蓋を閉めていた。
「聖くん、何て言ってたの……?」
「『その喋り方矯正しないと、教育委員会から見限られて頭悪い学校に異動になるよ』」
なるほど。「殿上人」は「教育委員会」のことだったのか……。
「聖が金積んでるってことはさすがに無いと思うけど、まあアイツこのクラスじゃ成績下位の方だし疑いたくなるのも仕方ないかもね」
「だからってちょっと言い過ぎな気もするけど……」
「聖、全くってわけじゃ無いけど、あんまり勉強しないから」
「あ、そうなの?」
生活態度だけで、成績の良し悪しを判断するのも失礼だと、あまり深くは考えないようにしていたけど、やっぱりそうだったんだ……。
「うん。まあ、アイツにとって一番大事なのは剣道で勉強は二の次なんでしょ。成績良かろうが悪かろうが、自分の将来の目標とかやりたいこととか、明確に決まってる上でなら、別にそうゆうのもいいんじゃない」
将来やりたいこと。
その言葉に少しどきりとした。
「……ねえ、紫のやりたいことは何? やっぱり美容師とか?」
「まあ、私は髪が一番大事よ」
彼女は得意げに、凝ったヘアアレンジを施した髪に触れてみせた。
紫は高一の頃から毎日違う髪型で登校してきている。
一時期、紫の家は美容室なんじゃないかと根も葉もない噂が立つほどだった。(誘われて遊びに行ったら、何の変哲もない一戸建て住宅だったけど)
「じゃあ、将来は美容師とかになるの?」
「まっさかー。せっかく、いい高校の特進科に入れたのにそんなことしたら、もったいないじゃない?」
紫は明るく笑いとばした。
別に普通科を見下しての発言ではない。
二年次に特進科を選択するためには、成績が良くないといけない。
特進科を選択する人たちは学期末に先生たちが作った試験への受験が義務付けられていて、またそこでふるいにかけられる。
その試験で得点率が八十五パーセントを切った人は普通科やら理数科へと定員が不足している学科へと割り振られる。
このふるいに掛けられる工程があるせいで、晴れて特進科に入れるのは学年生徒二百人ほどの中から、二、三十人ほどになってしまう。
しかも決して競争率は低くない。
たしかに、高校受験の時の苦労も合わせれば、美容専門学校を進路に選択することに、躊躇いを感じてしまうのも無理はない話だ。
「まあ、たしかに髪も大事だけど。子供の頃から弁護士に憧れてたから、法学部とかにいけたらいいな、って感じかしら。ひかりは? 料理超上手いし、レストランでも開くの?」
「えっ」
期待を込めた口調で顔を近づけられ、たじろぐ。
だって将来のビジョンなんか何も見えていない。
ううん、それどころか本当に自分にとって何が大切なことなのかさえ掴めていない。
そりゃあ、家庭科部にいるくらいだから料理は得意だし、家族分の朝食とお弁当を作るのが日課でも全く苦には感じないけれど。
何というか、それを仕事にしている自分を上手く思い描くことができないのだ。
「ひかりが店開いたらさあ、私が一番最初に食べに行くわよ! 記念すべき一人目のお客様になるわ!」
「い、いやいや紫。私、趣味を仕事にしようとは思ってないからさ……」
「え? そうなの?」
キョトンとした紫に私は「そうそう」と苦笑しながら流す。
「あー、まあ色々大変なこともあるだろうしねえ。好きなことは、趣味に留めておいたほうが楽しいわよね。でも、ひかりの料理スキルは役に立つと思うわ。だって結婚したら旦那とか子供にお弁当作ったりするでしょ?」
「私、結婚出来るのかな……」
不意に今朝の出来事が頭をかすめた。
「出来るわよ。相手が年上でさえなければ」
「それに、私女子にしてはちょっと身長も大きいし……」
「162センチくらい全然普通よ」
157センチの紫が、肩を叩いて励ましてくれたところで、昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。
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