Platonic 1

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家の鍵を開け、玄関に入るとお母さんの靴があった。 唯斗兄が何回掛けても出ないと言っていたから、てっきりまだ仕事中だと思ったのに。 「ただいまー、お母さん? いるの?」 返事は無い。 脱いだローファーの(かかと)を揃えて端に寄せ、家の中に入る。 お母さんは、ダイニングキッチンにいた。 まな板の上の何かに包丁を入れている。 かなり集中した横顔だったが、私の微かな足音に気付いて顔を上げた。 「あっ、ひかり! おかえりー」 「うん、ただいま……、って何してんの⁉︎」 何気なく、まな板の上に視線を当てた私は(こら)えきれずに思わず尋ねてしまった。 そこには、内臓を引っ張りだされて無残(むざん)な姿になったサンマが二、三匹ほど。 よく見れば、お母さんの指先も気味の悪い色に染まっていて、その手で顔でも(こす)ったのか、白い頬っぺたに小さく赤黒い線が走っていた。 「な、何してんの⁈ 唯斗兄からの電話にも出ないで⁉︎」 「え、うそ電話あった? スマホの電源切ってたから分かんなかったー。病院ではPHSしか使わないし」 「唯斗兄、飲み会で遅くなるって言ってたよ! まず、これ何⁉︎ 解剖……⁉︎」 そんな、いくら外科医だからって家でまでオペを……、と絶句している私にお母さんは魚の血がついた顔のまま「やだ、そんなわけないでしょ」とケラケラ笑った。 「サンマの煮付けを作ろうと思って。ハラワタ取り除かないと食べるとき苦いでしょ」 「あ、ああ。そっか。そういう……ことか」 再度まな板の上のものに視線を向ける。 どう見たってやり過ぎだ。 お母さんはオペが好きで、人の内臓ばかり見ているせいか、グロいものにはある程度の耐性がある。 そして、残虐性のあるものが好きだ。 つまりは嗜虐(しぎゃく)。 現に夜中にスプラッタ映画を鑑賞しながら、ほくそ笑んでいる姿を目の当たりにしたこともある。 それ以降、産んでもらった同性の親なのに、「お母さんが怖い」と思うことがざらにあった。 「ほーら、ひかり見てごらん。このサンマの内臓あんまり綺麗じゃないね。きっとろくなもの食べないまま死んじゃったんだね〜」 ご機嫌なお母さんはサンマの背骨を、包丁で不必要なまでに細かく削いでいく。 私は引きつった笑いで曖昧に肯定する。 怖い。 お母さんと二人でいると妙に怖い。 「ただいまー」 その時、最近声変わりが済んで兄より声が低くなった亮ちゃんの無愛想な口調が聞こえた。 つっけんどんなのは、もともとの性格だから、反抗期とかではない。  お母さんといるのちょっと怖かったから、助かった……。 ナイスタイミング、次男! 「ただいま、あ、母さんいたんだ」 空手道場から帰宅した亮ちゃんは着替えるのが面倒だったのか、道着のままだった。 チャリをこいで帰ってきたらしく、短髪が少し乱れている。 「お、おかえり亮ちゃん。今日は唯斗兄遅くなるって」 私が伝えると亮ちゃんは「マジかよ、よっしゃ」と言って、お母さんの手元を見た。そして言った。 「うわ、母さん何やってんだよ、それ。気持ちわりー」 なんて正直者なんだろう。 亮ちゃんの切れ長の瞳が細められ、顔が歪むのを目の当たりにしたお母さんは「何、気持ち悪いって」とムッとしたようだった。 「気味わりー、何だそれ」 嫌そうに顔をしかめたまま、首を前に突き出してまな板の上のサンマを眺めている亮ちゃん。 その言葉にお母さんは、余計に機嫌を悪くしてしまった。 厳しい視線を息子に向ける。 「何が気持ち悪いの、亮也(りょうや)の小遣い減らすから」 亮ちゃんの名前は「亮也」だ。 でも、私と唯斗兄は愛称と略称の意を込めて「亮ちゃん」と呼んでいる。 「は⁉︎ 何でだよ、ふざけんな」 「亮也が謝ったら許す。そして母さんのつくった夕食のサンマの煮付けを残さず食べてくれるんなら」 「分かったよ、食うよ、食えば良いんだろ、ごめんなさい!」   忌々(いまいま)しそうに短く舌打ちしつつも、素直に謝る亮ちゃん。 この間までランドセルを背負っていた中一は、声が低くなっても可愛げが残っている。 その後三人で食べた夕食は、調理過程はアレだったわりにとても美味しかった。 亮ちゃんも私もおかわりした。 お母さんは、「おいしい」を繰り返す私たちを「それ見たことか」とでも言いたげなドヤ顔で眺めていた。
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