小説「たこ焼きのある景色」

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 それはいつも突然だった。誰かが食べたい、と言えば誰かがタコと粉を買ってきて、誰かがそれを混ぜて、誰かがそれを焼いて――。夜、九歳になったばかりの娘が疲れた顔でジブリが見たい、と言ってきた。いいけど、たこ焼きは? それも食べたい。よし、それならやってみようか、と、今食卓にはたこ焼き器が温められている。テレビには「千と千尋の神隠し」のオープニングがちょうど流れ出した。ほいだら、焼くか、とエセ関西弁で僕が言う。彼女がたこ焼き型の丸くくりぬかれた穴に溶いた汁を流し込んでいく。娘はそれをチラとも見ずに画面に張り付いている。千と千尋ってさ、都市伝説もたくさんあるよね、そうなんだ、例えば? なんだっけ、今は出てこない、後で調べるよ。また教えてね。タコを一つずつ穴の中に入れていく。汁が溢れてタコ焼き機から溢れそうになる。あ、そういえばさ、と言いかけて、タコを触った手をおしぼりで拭く。ここのシーンで両親が豚になるじゃん、これってどういう意味だか知っている? 知らない。プラスティックのピックでたこ焼きをひっくり返す。まだ、早かったかな。そうみたい。  夜、映画を見るということに、いつからか罪悪感を感じるようになった。親の小言の影響か、早寝の健康神話のせいか、食事に集中しろという仏教の教えかは分からないけど、夜にご飯を食べながら映画を見るという行為は確かに罪かもしれない。「ながら」はいけません。そんな誰かの言葉が聞こえてくる。「○○しながら、○○見ながら、○○聞きながら、そんなん意味ないて。やるならやる。一つのことに集中せんと、やってる意味にならないと思うで」ああ、そうか、これは僕の声だ。先日、テレビを見ながら宿題をやっていた娘に言った言葉だ。娘は手を動かさずに画面に映っている千に感情移入している。彼女が食べながら見なさい、と注意している。  映画を見ながら、ご飯を食べながら、たこ焼きを焼きながら、会話をしながら、家族を思いながら。……  ――現実感は薄れていくばかり。  人間をやりながら、家族をやりながら、生きながら、死にながら、そんな空想をしながら、たこ焼きを次から次へと焼いていく。 「ああ、そんなに入れたら溢れるよ」  その言葉を今言ったのか、誰かが言ったのか、それはもう分からない。溢れる。ただそれに対して僕が思うことは、いつだって人間の脆さだ。世界は丸でできている。いつかそんな感じの詩を書いたことがあったけど、例え世界が丸くても、僕たちはジグソーパズルのように歪だと思う。ハマる人もいれば、ハマらない人だっているわけで、そう思えば、だから世界は丸くなるんだと――。  たこ焼きは丸い。だからお互いに決してくっつかず、繋がらず、相容れない。機械の上で独立して、溢れた汁だけが繋がって、表面上の確執、まるでどこかの世界地図、談笑、白い龍にまたがって娘が涙する、僕はその瞬間に夢を見る。罪の夢。白昼夢。たこ焼きを焼いていく。食べていく。食べられていく。次はチョコレートを入れようかしら、彼女が台所に向かう。その後姿に一筋の性を感じる。家族。それはパズルのようにハマった者同士の小さな世界だ。たこ焼きを回す。回転。遠心力。力を入れ過ぎてピックが穴のカーブに沿った形に曲がる。彼女が戻ってきた。娘がたこ焼きを無造作に口にする。  ねえ、縁って信じる? 縁? そう、僕たちだって、もしかしたらここに来る前に遠くの世界で出会っていたかもしれないよ。うん、それはそうだと思うよ。そう? そう。ねえ、なんの話? ん? ああ、カオナシの話だよ。あれはね、誰の心にもいる存在なんだ。僕にも、きみにも、分かる? なんとなく。僕がそこでカオナシの物真似をすると、娘より彼女が笑って、そっくりだね、とつぶやいた。  寂しい。明日はきっと雷雨だ。カーテンが風で揺れる。外の夜がいつもより明るく感じる。  終わったら、お風呂に入ろうか。立ち上がった後のテーブルの上にはこぼれたソースが悲しそうに落ちていた。僕は布巾でそれを拭く。世界を少しでもキレイにと、チョコレートのように甘い言葉を口にしながら。
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