第1章03

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第1章03

 遠くなっていく空に亀裂が入るのを、嵩見は見た。  ちぎれた蔦が、折れた枝が、植物の網にひっかかっていた鼠が、嵩見が、底の知れない穴に落ちていく。射かけられた矢は嵩見よりも先に地底へと落ちていったらしい。猟犬から逃れるためにとった行動は、地殻を踏み抜いたようなものであることを嵩見は理解していたが、追撃の気配がないことには釈然としないようだった。  轟く雷鳴に臆することなく、嵩見は疑問を投げる。 「あそこまで追い詰めておいて、追討がない。あいつ、もしかして、俺を捕まえる気はないのか」  答えを求めていない問いが、嵩見の耳もとで鳴いている風に乗り、森のある高さまで昇っていく。  落下する嵩見の周囲に暗さが満ち、遠くにあいている穴の口からのみ光の明滅がもたらされる。落下の道筋は石塊をくりぬいた空洞のようなものであり、粒と土と岩の層が繰り返されるその壁からは、木の根や動物の骨が突き出ていた。 「遊ばれているだけであるのなら、そのおかげで俺は助かったことになるわけだが」  眇めた紫の目が見つめる先で、光の奔流が瀑布のように地を目指す。 「それはそれで気に喰わないな」  落雷が地殻を震わせ、洞の底を照らす。降り続く粒の集積が、そこにはあった。粒の溜まった砂丘に、鱗のような岩と、杭のような棒が刺さっている。雷の轟音が消えぬうちに、嵩見のすぐそばを、ひとかかえほどもある鉱物が落下していった。  落下しながら地層から突き出ている突起に掴まろうとして失敗することを繰り返す嵩見の耳が、迫ってくる地鳴りをひろう。  赤子の頭ほどの大きさの緑柱石が、粒の溜まった底を目指して落ちていく。地層が軋み、波打ち、かたむき始める。かしいでくる洞の壁と落下する少年の間隔が狭くなる。 「いよいよ、天が、回転するか」  嵩見は回りゆく洞の壁を見据える。降ってくる粒には粗いものが目立つようになり、地表から滑り落ちたらしい落ち葉も混ざってくる。  森のかけらを呑んでいく空洞で、嵩見は落ちることをやめようと躍起になった。震える地底に、獣であった毛皮の塊が落ちていく。底に溜まっている粒から生えた杭が斜めになり、粒が動く。流れた粒はそれまでとは違ったかたちの丘を成し、動きをとめる。 「揺れが止まった」  拍子抜けしたのか、落下の最中であっても無防備さをのぞかせた嵩見が呟いた。  水飛沫があがるように洞の底であった粒が巻き上がり、煙と化す。背中から粒溜まりに落ちた嵩見は、海に飛びこんだかのごとく沈んでいく。滝つぼに呑まれたようなものである嵩見は、目をつむり、粒でできた水槽を泳ぎ出した。水面を目指して流れに逆らい、斜めに突き出ていた杭に手をかける。  腹這いになって身体を岩盤に持ち上げ、粒の沼から帰還した嵩見の目線の先で、毛皮の塊が杭に刺さっていた。鋭くはなくとも細い杭に、落ちてきたところを貫かれた毛玉は、もとは獣であったのだろう。破れた毛皮の袋からは粒がこぼれ、洞底に溜まっているものと同化する。  嵩見は立ち上がり、その場で跳ねた。粒を払いながら、腕を伸ばし、頬をさすり、うなずいた。 「どこも破けてはいない」  拳大の紅玉が粒溜まりに落ちる。粒が舞い上がり、投げつけられた石に命中したかのような痕が、粒溜まりに現れる。 「運がよかっただけだな」  嵩見は両腕で自身を抱きすくめた。  はるか上空で生まれる明滅が、洞の底をも照らし出す。  周囲を見回していた少年は、粒の溜まっている沼の岸を回りこみ、しゃがみこんだ。岸となっている岩の内側を、粒の溜まっている砂場を、身を乗り出し、両腕をいっぱいに伸ばして、嵩見は掘っていく。空いた箇所を粒が埋める前に掻き出すことを繰り返していると、器である岩に刻まれた疵のようなものを、嵩見は見つけた。それは見覚えのある印だった。  空では稲妻が這い回っていて、地底には粒が溜まっていく。 「さっきかたむいたようだから確実ではないが、また、砂粒の嵩が増したか。それにしても、途中で回転が止まるとは。今までとは違う。どう判断したものか」  立ち上がり、嵩見は左右に首を振って粒を落とす。頭の動きを追って、束ねられた黒髪が左右に揺れる。癖のない黒髪をかきあげながら、嵩見は落ちてきた淵を仰いだ。 「せっかく知っている場所に落ちたのだから、ひとまずは家を目指すべきなんだろうな」  自らに言い聞かせるように、嵩見は声を紡ぐ。その響きに安堵の色はなく、疑念のようなものがにじんでいる。 「ほんとうに俺は運がよかったのかね」  遠いところにある稲妻の閃光と落雷の轟音に包まれながら、羽虫をわずらわしがるように、嵩見は鉱物の雨に目を細めた。
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