眠らない男・田中

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 翌朝。気持ちのいい朝を迎えた田中はスーツに着替えると『おやすみ』ドリンクを製造する会社を訪問した。これまでのお礼を直接言いたかったのと、睡眠を自由に操ることができるドリンクに深い感銘を受けたことを伝えたかったのだ。 「よく来たね」  運がいいことに田中は社長に会うことができた。ドリンクを開発した社長はとても気さくな人だった。 「睡眠をコントロールできるなんて素晴らしいドリンクです。御社のドリンクにはずいぶん助けてもらいました。感謝しています。ありがとうございました」  田中はまずお礼を言った。それからこれまで使用してきた感想や両親を思う気持ちを熱く語り、ドリンクのおかげで頑張ることができたと重ねて感謝の気持ちを伝えた。 「それはよかった。開発した甲斐があったというもんだ。それにしても、あなたの両親を思う気持ちはじつに素晴らしい。私は感動したよ。うちのバカ息子に爪の垢をせんじて飲ませたいぐらいだ」  田中は社長の顔をまじまじと見つめた。50歳ぐらいだろうか。そうなると息子は20代か。 「社長、息子さんはまだ若いですから、親のありがたみがわかるのはまだまだ先のことですよ」 「いやいや、そんなに気を使わなくて大丈夫だよ。私にはわかるんだ。あなたがどれだけ真剣に親孝行を考えていたか。こうして話しているだけで伝わってくるよ」  田中のことをベタ褒めする社長に、田中はどうにもくすぐったい気持ちになる。じっさいのところ田中はそんな自慢できるほど親になにかをしてあげたことはない。それだけにこれ以上話すとボロが出そうで、田中はさらっと話を変えて誤魔化す。 「それにしても社長。『おやすみノンタイム』とは運命的な出会いでした。たまたま寄ったコンビニで偶然見つけたんですから」  本当はたまたま営業に寄って出会ったわけだがそこは省く。 「なるほど。たしかに運命的な出会いかもしれないね。うちの商品は、あのコンビニでしか販売してないからね」 「え? でも、バイトの店員がコンビニ限定の新商品だって言ってましたよ。あの店員、ちょっと態度が悪かったですけど。あと、やる気もなさそうでした」  田中は驚きながらもバイトの男とのやり取りを話す。ついでにちょっとだけチクる。 「まったくいい加減なやつだ。ドリンクは、あのコンビニ限定だ。それに、あれはバイトじゃない。店長だ」 「ええっ!」  それはまた衝撃の事実だった。まさかあの男が店長だったとは。さては営業に対応するのが面倒で堂々と居留守を使ったか。 「あ、あの店長はドリンクのこと、さっぱりわかってないみたいでしたが」  あの男が店長と知ったところで、田中はさらにくわしくチクる。 「なんだって!」社長がますます立腹した様子で顔を赤くした。それから衝撃の事実を口にする。「あれは、私の息子でもある」 「えええっ!」  よもや店長が息子だったとは。あまりの衝撃に田中はうろたえる。 「いや、これは、なんと言っていいか。失礼しました。ご子息とはつゆ知らず、大変失礼いたしました。申し訳ございません」  田中は社長にぺこぺこ頭をさげる。 「頭を上げなさい。失礼があったのは私の息子でしょう。それよりどうですか。あなた、うちで働く気はありませんか」  突然、社長が言った。その言葉に田中は飛び上がった。まだ職が見つかっていなかった。そこにこの申し出だ。まさに願ったり叶ったりだ。 「ほ、ほんとですか?」 「私はあなたの真摯な態度が気に入ったんだ。ぜひ我が社にきてくれ」  こうして田中は、『おやすみ』シリーズを製造する会社に営業マンとして再就職した。それはまた新たなノルマとの戦いを意味していた。だが、田中の表情は明るい。世のため、人のため、なにより両親に恩返しをするため。  もう眠いなんてことはない。誰よりも『おやすみ』シリーズの効能を知る田中は今日も迷える子羊を探して駆け回るのであった。
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