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「石井君、どうだった?マンドリンの魅力にとりつかれたでしょう?」
間宮はいたずらっぽく笑った。
ダメ出しをされるかもしれないと思っていたが、間宮は俺のたどたどしい演奏には触れなかった。
思わず素直にするっと口からことばが飛び出していた。
「うん。俺は誰かから喜んでもらったことってないからさ。じいちゃんばあちゃんたちのお世辞かもしれないけど、気持ちよかった」
「甘いな、石井君。利用者さんたちはね。気の乗らない演奏とか楽しんでない音にはすごく敏感なの。いつもあんなふうに乗ってくれるばかりじゃないんだよ。今日の石井君が一生懸命で誰かを楽しませたいと思ってること、ちゃんと伝わったんだよ」
「そう……かな?」
「そうなの。ずっとその気持ちでいてほしい。忘れないでね」
間宮の視線はあまりにまっすぐだ。
一生懸命や力いっぱいを長いこと避けてきた俺にはぐさりと刺さる。
「さっきの話だけどさ。石井君は走ってる時苦しかっただろうけど、結果を出せたらきっと誇らしかったと思う。それを喜んでくれたひとたちがいたよね」
俺はハッとした。
家族に、顧問の先生に、部の仲間たちの嬉しそうな顔が浮かんだ。
俺は、そんなことまで忘れようとしていたんだろう。
「ってね。えらそうにお説教したけど、私も心から楽しめるようになったのは最近なんだ。お父さんがどうして、自分ちだって貧しいのに他のひとのために走り回ってたのか。今ならわかるよ。マンドリンを弾いてたら、それが届くかな……」
誰に、とはいわず、間宮は唇をきゅっと結んでバスの窓から空を見上げた。
さっきまで真っ青だった空は、いつのまにか厚い雲におおわれていた。
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