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2 赤い実
僕は、赤くて小さい実のなる、名前も知らない木の根元に座っている。隣では、小学校の頃の親友が、木陰を走り回って楽しそうにはしゃいでいる。
僕は、薄茶色の砂に覆われた運動場を眺めた。左の奥の方から順に、砂場、背の高い鉄棒、地面に埋まった大きなタイヤ、巨大な坊球ネット。あちこちで駆け回る子どもたちを、静かに見守っている。
僕は砂場を見た。しばらく見ていると、いつの間にか僕は、砂場に向かって走る子どもの視点を得ていた。
砂場の砂はさらさらで、形も大きさもまちまちな石のかけらがいくつも混ざっている。砂の中に手を潜らせてみると、ひんやりとした重さが心地よい。
僕は背の高い鉄棒を見上げる。背伸びしてやっと棒に指の先が届く。ジャンプして棒にぶら下がってみた。茶色く錆びた棒は、握るとザラザラして、手を離しても鉄臭い匂いがずっと残るのだ。
僕はタイヤに向かって走る。輪っかの中に潜り込むと、中には親友がいた。親友は僕を見ると嬉しそうに笑って、それを見た僕も自分の表情が緩むのを感じる。砂で手を汚し、その辺の木の枝の先で地面をほじくって、親友が僕に石を手渡す。それから僕らは何か喋って、笑った。
あのとき僕は、何を喋ったのだろう。なぜ笑ったのだろう。思い出せない。思い出すのは、この大きなタイヤに触れた時の高揚感。親友の笑顔。砂にまみれた手の匂い。それらは僕に、なんとなく幸せな感情をもたらしてくれる。他人の幸せを見てるようでもあり、そのくせ妙に生々しく僕の胸を締め付ける、そんな感情。
「おお、ナイスナイス!」
僕がサッカーボールを蹴ると、そんな嬉しそうな声が聞こえてきた。一斉にボールを追い始める子たちの背中を見ながら、僕は一仕事終えたかのように走るスピードを緩める。子どもたちのはしゃぎ声。ボールを要求する声。叫び。やがてボールは、ゴールに見立てたフェンスに直撃した。
子どもたちは興奮した様子で何か喋りながら、こちらに戻ってくる。同じクラスのあの子は明るくて元気で、隣の子は運動が得意で、後ろでボールを持ってるのは六年生の人で……。
「やるやんけえ」
突然、同じクラスの子が僕の肩に手を回した。彼の茶色く細い腕はざらざらしていて、彼の匂いが首から上ってくる。僕はすぐに笑顔を作って、「うん」と小さく返す。
「じゃあ次、キーパーやりたい人おる?」
六年生の子がそう言って同時に右手を上げる。それからそれを見た他の子たちも、じゃあ俺も、と次々に手をあげる。僕は彼らの表情を伺い、口角を上げて、おそるおそる黙って手をあげた。
そのとき、「いや、普通に俺やるわあ」という声が聞こえた。その子はみんなの同意を得るのも待たずして、ゴールの方へ走っていった。
言い出しっぺの六年生の子が、たまたま近くにいた僕の方を見た。彼は『どうぞどうぞ』を期待していたらしく、僕に向かって「あいつノリ悪いなあ」と、不満げな口調を装いながら、しかしやっぱり楽しそうな表情で言ったのだった。
気付けば僕は、木の根元で立っている。運動場にはもう、子どもたちの姿は無い。隣にいた親友も、いつの間にか消えてしまっていた。
足元を見下ろすと、赤くて小さい実が、砂にまみれていくつも地面に転がっている。僕はそれを一つ拾い上げて、ポケットにしまった。そして、どこまでも静寂に包まれた運動場から、こっそりと立ち去っていこうとしていた。
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