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噎せ返るほどの血の匂いに目が覚め、兜の下で思わず笑いが零れた。
死んだんじゃないのかと、まだ目を覚ますことがあるのかと己のしぶとさに呆れたものだったが、すぐに違和感を覚える。
痛みが、微塵も感じない。
気絶前にまるで燃えるように熱いと感じた左肩の深手すら、何も感じないのだ。
感覚が無くなったのかと左手を握ろうとし、ふと更にあり得ない違和感に気付いた。
「右手が、動く……」
自らの意思で右手が動くではないか。
どういうことだ、2年前に魔物から受けた呪いで動かなくなり、数多の腕利きの治療師が匙を投げ永遠に使えないだろうとされた右手が強く握れば拳を作る。
何だこれは、致死量の血を流せば流石に死んだと言うことか?
でなければ動くはずはなく、肩の痛みもないことからやっと絶命したのだろうと再び目を閉じるが、血の匂いだけは鮮明なままだ。
死してなお嗅覚が働くものなのか、何せ死ぬのは初めてだ、何が起きてもおかしくはないだろう。
「ん……」
そこで耳に、何者かの短い吐息が聞こえる。
右手が動くならばと邪魔な兜を両手で持ち上げれば噎せ返る血の匂いが緩和し、新鮮な空気が顔に触れた。
「此処は……」
見覚えがある景色。仲間たちを先に帰還させ、死に絶えても邪魔にならぬよう木陰に落ち着き背を預けながら見たそれと変わらない。
死んだ訳ではないのか?
ならば何故、痛みはなくとうに諦めた右手まで動くのか、と兜に下に下げれば、膝の上で何かが身動ぐ。
黒髪の青年、だろうか。治療師のような出で立ちをした若者の手には折れた枝が握られており、突っ伏すように自分の膝の上で眠っていた。
「治療師……? まさかこの青年が、俺の怪我を」
傍らに2つの空瓶が落ちておりその1つを拾い上げれば、MPポーションのようだ。
青年の前髪を払い顔を覗く、少し疲れた様子に魔力が尽き掛けているのが窺えた。
「治した、のか……?」
唇が思わず震える。
仲間の治療師たちが深手を負った自分を見て「全員がかりでも無理だ」と泣きながら断った、数多の腕利きの治療師が口を揃えて「奇跡でも起きなければ無理だ」と難しい顔で右手の治療を断った、それらを。
この見ず知らずの青年は、治したと言うのか?
放っておけば死ぬような、誰からも治すのを諦められたこの俺を。
そして気付く。治ったのは怪我ばかりではなく、魔力までもが完全に満たされており、これも全て治療として青年がやったのだろうか。
起こさないように膝から下ろしてから立ち上がり、破損した甲冑とは裏腹に自身は万全な状態だ、剣を右手で拾い振るが手に馴染むそれは2年のブランクさえも感じられなかった。
「……まずは、話を聞かなければ。近くに駐屯所があったはず」
魔力が尽きている青年を何処かで休ませ回復させなければ、と抱き上げる。
冷たく血の匂いがする甲冑姿で抱えるべきではなかったか、腕の中で身動ぎ逃げようとする青年を落とさないよう掴み、「少し我慢してくれ」と呟いた。
間近の青年の寝顔はあどけなく見え、歩幅が大きくなる。
駐屯所まで向かう足取りは、自分でも驚く程に軽かった。
「──アレックス副団長!」
「悪いな、邪魔をする。ベッド1つとあと出来ればMPポーションは無いか?」
駐屯所に入れば敬礼する駐屯兵たちに挨拶もそぞろに青年を抱え直しながら早口に伝えると、1人が「治療師殿?」と声を上げるので顔を向ければ口を塞ごうと手で覆うとするのを制し「知り合いか?」と聞けば首肯が返ってくる。
「以前、私の古傷までも治してくださった方です。何故、治療師殿を副団長が……この方は、勇者一行と供だっておられたはずでは」
「何?」
「ええ、副団長。確かにこの方は勇者殿と共に駐屯所に足を運ばれたのは我々も記憶しております」
勇者の仲間、ならば確かに自分の傷を治す程の凄腕の治療師でもおかしくはない。納得も出来よう。
だが、それならば何故、仲間から離れ単身で負傷者の膝元に居たのか。
駐屯所の空き部屋を借り、ベッドに下ろしてから渡されたMPポーションの蓋を開け青年の口に押し当て傾ければ、零すことなくゴクリと飲む込む姿に安堵する。
やがて空になったそれを床に置き、青年が目覚めるのを傍らで待つことにした。
聞きたいことがたくさんあるがまずは、名前を知りたい。それに尽きる。
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