7月17日

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肉を割く音を聞くのは、汚れた血が飛び散るのを見るのは、これで何回目だろうか。 絶対に慣れてはいけない仕事に慣れてしまったことを、後悔している。 『処理は終わったか?』 通信機から聞こえてくる声に吐き気がする。必ず終わった後に聞いてくるくせに。毎回嫌な質問に答えなければならない。 「…はい。終わりました。」 『そうか。なら、はやく戻ってこい。今日は1人体調を崩しているんだ。そいつの代わりの仕事がある。いいか?はやく戻るんだぞ。』 「……はい。」 いくら汚れているからといって、罪悪感が無いわけではない。形も声も、私たちと同じだ。 私は、私たちは、いつまでこの「処理」を続けなければならないのだろうか。 自分で選んだ仕事を、自分で嫌になっている。こんなことなら、この仕事を選ばなければよかった。 …こんなところで足を止めているわけにはいかない。次の仕事をしなくてはならない。 そう思い、足を動かしたとき、頬に雨がおちてきた。 さっきまであんなに晴れていたのに。 驚いた私は空を見上げた。 綺麗な青空が見えた。でも、すぐに雲に隠れていく。 「夕立だ。」 きっと今から強くなる。すぐに仕事を終わらせて家に帰る? いや、次の仕事はすぐに終わらせられるものではない。どこかで雨宿りをしたほうがいい。 雨が止んでから仕事を終わらせよう。 まだ小雨の夕立の中、土を蹴って走る。 ここら辺で雨宿りできそうな場所… 少し行ったところに友人の家があったはずだ。少しぐらいならお邪魔してもいいだろう。 ーーーーー 玄関の戸を叩く。 「美和、いるー?少し雨宿りさせて欲しいのだけどー!」 ガラガラと引きずる音がして顔を出したのは知らない男性。 でも、妙に見覚えのある人だった。 「あの、えっと。雨宿り…ですか?」 「あ、ごめんなさい。美和さん、いらっしゃいますか?」 「美和…?誰でしょうか。この家は僕一人しか住んでいませんが…」 「え?」 そんなはずはない。ここは明らかに美和の家だ。 先日もお邪魔した。この数日間で引っ越した?それはおかしい。引っ越すなら私に相談ぐらいはしてくれるはず… ザーッ 急に雨が強くなった。どうしようか。ここから家までは少し距離がある。 「…雨宿りくらいでしたら、どうぞ。」 「え、いいんですか?」 「はい。何か、大変そうですし…」 そう言って男性は私の足元に目をやる。 「あっ」 見られてしまった。さっきの仕事でついた返り血だ。 「…ごめんなさい。少しだけお邪魔しますね。」 そう言って私は家に入った。 ーーーーー 「どうぞ。」 「あ、ありがとうございます、気遣っていただいて。」 「いえ、大丈夫ですよ。」 家の中も美和の家そのもので、私は不思議で仕方なかった。 「寒いでしょう。」と、彼が出してくれたお茶はとても懐かしい香りがして、心が落ち着いた。なぜだろう。彼の声や姿に既視感を感じるのは。 「お名前、なんておっしゃるんですか?」 「あ、そうですよね。私は真紘です。あなたは?」 「僕は響です。真紘さん…ここで会えたのも何かのご縁だと思うので、雨が止むまでくらいはゆっくりしていってくださいね。」 「響さん。ありがとうございます。」 その名前を呼ぶ度、名前を呼ばれる度、胸が苦しくなるのはなぜだろう。 「失礼かもしれませんが、何をされている方なんですか…?」 「…え?」 「いや、その。靴に血がついていたので…気になって。」 「あぁ、そうでしたか。私の仕事は……」 「…どうしたんですか?僕、失礼なことを…?」 「仕事は…」 …思い出せない。私の仕事。 自分で選んだ、人々を救う仕事。お母さんとお父さんの仇。汚れた血を綺麗にする仕事。 そんな、素敵で、残酷な仕事… 私の仕事は…… 「っ!?大丈夫ですか!?ごめんなさい、失礼なことを…!!」 「え?……あ」 視界がぼやけている。きっと私は涙を流しているんだ。 だから響さんは心配してくれているんだ。 もう、何年も涙を流していない。汚れた血を処理する度、私自身も汚れた気がして、泣くことなんかできなかったから。そして…何か他の理由もあった気がする。 「大丈夫ですか…?」 響の心配した顔が懐かしく、私はまた涙を流していた。 …?『懐かしい』? 響さんに会ったのは今日が初めてのはず。なんで。さっきから私、ずっとおかしい。 「だっ、大丈夫です。ありがとうございます。」 「…よかった。」 「私の仕事、なんだったか忘れちゃいました。バカですよね、忘れるなんて。」 そんな、泣きそうな顔をしないで。笑って。 あなたは泣いている時も素敵だけど、笑っているときの方が素敵。 …もう、いいや。いつもの私じゃなくても。変な私でも。 この人が笑ってくれるなら、それでいい。 「…忘れちゃいましたか。もしかしたら、処理人さんかな、と思ったのですが。」 !? しょり、にん… そうだ。それだ。私の仕事。 汚れた血を処理する仕事。処理人。 「そ、それです。処理人です。私、処理人です!」 「やっぱり。お願いがあるんですが、いいですか?」 泣きそうになりながらも微笑む響。 「はい、なんですか?」 「僕を処理してください。」 そう言った響はとても笑顔だった。そして、涙を流した。 「僕は汚れてしまっている。そう気づいたのは一年前です。だから、人に会わないように生きてきた。処理人さんがきてくれるのを一人でずっと待っていた。」 窓から激しく降り続ける夕立を見ながら、響は優しい声で私にそう言った。 「真紘さんが来てくれて良かった。どうか、僕を処理してください。」 響の血は汚れている。そして私はそれを綺麗に処理する。ただそれだけ。 いつも通りに仕事をするだけなのに手が震える。 『仕事はすぐにおわらせろ。』 わかってる。わかってるよ。 ヒトリに時間をかけてる場合じゃない。次の仕事があるんだ。でも、でも…! 『はやくしろ!』 その時、私のなかで何かが切れた。 聞くことを恐れていた上司の怒鳴る声。それがトリガーとなって、プツンと何かが切れた。ギリギリで繋がっていた蜘蛛の糸が切れるみたいだった。 私は響を処理した。 処理には慣れたから、きっと響は苦しまなかったと思う。 そして、赤く綺麗に咲いた響は私に微笑みながらこう言った。 「ありがとう…ありがとう。真紘さんに処理してもらえて嬉しい。大切な人を悲しませてしまった僕を処理してくれてありがとう。真紘。」 響の最後の言葉を聞いたあと、私はすぐに美和の家を出た。 夕立の中、がむしゃらに走った。 何かに引っ張られるみたいに、私はある場所に向かった。 そこは、初めてくるはずの丘。町が一望できる、綺麗な丘。 初めてくるはずなのに、何回も来たことがあるかのように、私は一直線でベンチに座った。 そこには名前のわからない花が咲く、花壇があった。妙に懐かしさを感じた。 空を見ると綺麗な夕日が見えた。夕立は去り、夏が来たことを空は告げた。 私は泣いていた。 ーーーーー 「ま…ろ…!真紘!」 私を呼ぶ声がする。 「真紘!起きなさい!!」 目が覚め、辺りを見回す。 「おねぇちゃん…?」 「そうよ!あなたのおねぇちゃん!はやく起きなさい!!準備して!」 まだ夢見気分だった私は、今日はいつだろうと辺りを見回した。 カレンダーを見ると二千二十一年七月十七日。印が付いており、そこには『一年』と書いてあった。 「おねぇちゃん。今日って何の日?」 「はぁ!?あなたの彼氏が亡くなってから一年たった日…でしょ?こら、忘れるんじゃないの!!」 そう言って私の頭を叩く。 「いだっ」 彼氏…あ、思い出した。 今日は彼氏の一周忌だった。準備をしなきゃ。 昨日は夜遅くまでゲームをしていたんだ。彼の大好きだったゲーム。 舞台は戦国時代。人間を襲う「魔」から人々を守るゲーム。 さっきまでそのゲームをしていた様な気がしながらもベットから降り、準備を始めた。 彼と私が仲良くなったきっかけ、だったな。 髪をといているとおねぇちゃんが話しかけてきた。 「丘に行ってから来るの?」 「あ、うん。だから先行ってて。」 「わかった。」 丘っていうのは、彼に告白された思い出の場所。 今日はそこに行ってから、彼の実家におねぇちゃんと二人で参列することになっていた。 ーーーーー 「行ってきまーす。」 準備を終え、丘に向かう。 少し寝坊してしまったので、小走りだ。 うるさい蝉の音を聞き、彼のことを思い出す。 彼はおねぇちゃんが家に連れてきた。 お母さんとお父さんは「彼氏か?」って騒いでたけど、おねぇちゃんがただのゲーム仲間だ、と説明した。 おねぇちゃんの言う通り、とてもゲームが上手かった。生粋のゲーマーであるおねぇちゃんの影響で、ゲームにハマっていた私も手合わせをしてもらった。 結果は彼の圧勝。一本も取れなかった。 負けず嫌いの私は何度も彼に勝負を挑んだが、やっぱり勝てず、見かねた彼が私にゲームを教えてくれた。 彼は優しく丁寧にゲームを教えてくれて、私はすごい速さで上達していった。今ではおねぇちゃんなんか敵ではない。 彼とおねぇちゃんと3人でゲームをしたのは今でもいい思い出だった。 キャラクター名は3人とも本名で、『ヒビキ。』『みわ』『まひろ』。 ーーーーー 「はぁ、はぁ…この坂…つらすぎ……」 響と一緒に座っていた、思い出のベンチにやっとの思いで座る。 あのゲームの主人公なら、身体も鍛えられているし、きっと余裕で登れるかもしれないけど、私には無理だ。 この丘は街の人達がみんなでお金を出し、整備されており、小さな公園のようになっている。そして、ここのベンチからはコスモスの花壇が見える。 響の好きなのはあの、黒っぽい…… 「あれ。」 黒いコスモス、チョコレートコスモスに雫が落ちたと思ったら、急に雨が降り出した。 「夕立…?」 雨に濡れたら風邪を引いてしまうかもしれない。そう考えていると、ふと涙が溢れた。 『夕立だね。風邪ひいちゃうから雨宿りしないと。』 響の優しい声が聞こえた。 彼は雨男で、外でデートする時は大抵雨が降った。夏は夕立とデートが重なることが多かった。彼も私も雨が好きだったからいいのだけど。 響は雨を理由に私を家に招くことが多かった。そして、「寒いでしょ。」と言って暖かいお茶を出してくれた。 だから、今でも雨を見ると彼の家に行き、あのお茶が飲みたくなる。 「ねぇ、響。」 彼はもういない。でも、彼が好きだったものは、彼との思い出はここにある。 彼の大好きなチョコレートコスモスの隣に私の好きな白いコスモスが咲いている。 私は夕立に打たれながらこんなことを思った。 「本当にここのコスモスは、はやく咲く。あなたもそう思うでしょ?響。」 彼はきっとそばにいる。雨男の彼がいなくなったからといって、雨が降らないわけじゃない。 今年の夏はいくつ夕立が降るだろうか。
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