理想の恋人、買いませんか?

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理想の恋人、買いませんか?

   「こちらが、井上様の理想の彼氏ですね?」  「……はい」  セールスマンは手に持ったタブレットにサッと目を通しながら、言った。  「問題ありません、できますよ」  「はあ……」  井上スミレは力なく答えた。  「こちらの条件でしたらすぐにご用意できますが、『初デート』はいつになさいますか?」  「あ、あの……」  「デートだけでしたら、オプション料金はかかりません。進行するイベント速度も、ご自由にお選びいただけますので」  「いや……でも!」  セールスマンの軽快なトークを遮ってスミレは言った。  「それって、バーチャルなんですよね?」  クルマダ——と名乗ったそのセールスマンは、清潔な白い歯を見せながら言った。  「はい、バーチャルでございます。井上様の理想を叶えることが、我が社のバーチャル体験アプリ『V-utopia(ビュートピア)』の使命でございます」  「はあ」  スミレの反応はいまひとつだ。  ——ぜんぶ、セイジのせいだ。あいつが浮気なんてするから。  大学生の頃から、7年も付き合ってたんだ。7年だぞ? 20代女子の7年は7万光年に等しいということをあの(バカ)は理解していないのか?  わたしも今年、27になる。当然このまま結婚するんだと思っていたし、最近はいつプロポーズされるのかって、内心そわそわしていたくらいだ。  それなのに浮気——しかも「別れてくれ」だなんて!——  ここ数日で、何千回ついたか分からない元カレへの悪態。  ——なにが「マッチングアプリで相性率97%だった」だ。ふざけんな! この7年はどこにいったんだよ! あたしの7万光年を返せ! あのバカ! ほんとにバカ!!——  スミレは大きなため息をついた。  クルマダはニコニコ笑顔を崩さずに言う。  「井上様はキャンペーンバナーからご応募をいただきましたので、初月は利用料無料。二ヶ月目も90%オフとなります。それ以降は……こちらの料金プランでいかがでしょうか」  その金額は、スミレが思っていたよりもずっと安かった。  どうせこれからデートでの出費もなくなるし、これくらいなら払えそうだ。  「でも、バーチャルが相手じゃ、たとえば旅行とかは……できないんですよね?」  「できますよ」  「え?」  「もちろん、バーチャルの中でですが」  「はあ」  「およそ恋人関係で行われる行為は、すべて体験していただけます。デート、旅行、スキンシップ……もちろん夜の方も……結婚、出産も可能です」  「出産も!?」  「できますよ。バーチャル空間で出産し、子育ても体験できます。井上様の理想の家庭生活を送っていただけますよ」  「そこまで……」  スミレは驚いた。バーチャルな彼氏が作れるアプリだということは知っていたが、まさか家庭まで持てるとは。  「『V-utopia』の使命は、すべてのお客様に理想の人生を提供することですから」  「でも、わたし、結婚したいんです」  「できますよ」  「いや、えっとそうじゃなくて、リアルで」  「リアル?」  「ちゃんと、現実の男性と……結婚したいんです」  「なぜです?」  「え?」  「なぜ、現実の男性とのご結婚を望まれるのですか?」  「なぜって、そりゃあ……」  スミレは頭の中で言葉を探す。  「子どもが、ほしいんです」  「できますよ」  「いや、だからバーチャルじゃなくって、両親も、孫の顔が見たいって言ってるし」  「できますよ」  「いやいや、だからバーチャルじゃなくて、リアルな孫の顔を見せたいんです」  「なぜです?」  「なぜって……」  そんなことを聞かれても、とスミレは思いつつ、なんとか答えになりそうな言葉を探す。  「子孫繁栄、とか……?」  なぜか疑問形になってしまった。  その返答に、クルマダはゆっくりとうなずく。  「それは大きな理由の一つですね。人類に関わる問題ですから」  スミレはホッとした。「できますよ」と言われたらどうしようかと思っていたのだ。  「たしかに、今はまだ『V-utopia』だけでは井上様の理想をすべて叶えることはできないかもしれません。しかし」  クルマダはスミレの目をまっすぐ見つめながら、言った。   「すぐに時代が追い付いてきますよ」 その口調には静かな自信がみなぎっていた。  結局スミレはその場で『V-utopia』を契約した。  色々とオプションも選べるようだったが、後からいつでも追加できるということだったので、とりあえず追加料金なしのスタンダードプランにした。  『初デート』は今夜にでも可能らしく、さっそく17時に“待ち合わせ”を設定した。  「なにかございましたら、いつでもご連絡ください」と言ってクルマダが去ってから数時間後に『V-utopia』の専用ヘッドセットが届いた。  スミレはなんだかそわそわしてしまい、16時半にはもうヘッドセットをつけて待機していた。  “待ち合わせ”場所は、有名アパレルブランドの店舗が並ぶ大通りにランドマークとして建てられた商業施設の前だった。  けやき並木が美しく、休日のこの時間はカップルの姿が目立つ。  「本当にここが仮想現実なの?」と思うほど本物そっくりな光景に驚く。  アパートの中に部屋着でいるはずのスミレの服装は、白っぽいフレアのロングスカートに淡くくすんだブルーのシャツ、ブラウンのキャミソールと合わせた色のミュールで、身ぎれいに整えられていた。  部屋着のままじゃなくてよかった、と胸を撫で下ろしているスミレに、  「井上、スミレさんですか?」  と声がかけられた。
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