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——60年後
『V-utopia JAPAN』が運営する「後期高齢者ユーザー専用コロニー」の第37番セクターの地下17階、F096号室でスミレは久しぶりにクルマダと会っていた。
スミレがクルマダを呼び出したのだ。
ここ数年はずっと、新しいオプションを追加することはなかった。
しかし、ついにこの時がやって来たのだ。
これが、最後のオプションになるだろう。
「……以上が、井上様の“ご臨終オプション”のご説明になります」
「ほんとうに、痛みはないの?」
「ええ、まったくありません」
「おじいさんと……アユムさんと手を握りながら逝ける?」
「できますよ、もちろん」
「そう……それじゃあ、お願いするわ……」
「かしこまりました」
「……色々と、お世話になったわね、クルマダさん」
「はい、井上様。長い間、お世話になりました」
その言葉を最後に、スミレの網膜が『バーチャル光彩モード』に切り替わったのが分かった。
今ごろスミレの脳内には、自分を囲むように一族が勢ぞろいしている光景が広がっているのだろう。
人生最期の瞬間にも、理想的な死に方を提供すること。
それが『V-utopia』のモットーだ。
「ふう」
と息を吐きながら、クルマダは膝に手を置いて立ち上がる。
2030年代の後半から、いよいよ出生率の低下に起因する人口減少に歯止めが効かなくなった先進諸国は、人工授精と体外出産に種族の命運をゆだねた。
妊婦がお腹を痛めるような出産は非人道的であり原始的な行為であるため「バーチャルの中だけにしよう!」というキャンペーンが莫大な予算をかけ行われた。
いまや新生児はみな人工の子宮から生まれる。
かつて子孫繁栄のためにあった性欲を持て余した人類は、そのはけ口を仮想空間に求めた。
当時すでに世界59か国87の言語で体験可能だった『V-utopia』は、人類の性欲をすべて受け止めるかたちで爆発的な成長をとげた。
もはや『V-utopia』は、娯楽ではない。
それは、人類の人生そのものとなった。
現在、地球人類の生涯可処分時間の91%は『V-utopia』内で消費されている。
現実は仮想を支えるための基盤にすぎず、肉体はアバターへアクセスするための鍵にすぎないという見方に、この時代の大衆の価値観はおよそ集約されている。
クルマダが、この60年間のセールスマンとしての半生を振り返り、
「理想的なセールスマン人生だった」
とつぶやくと——映像が終わった。
「はい、研修生の車田さんですね〜、セールスマン最終試験合格です! 来週から配属先での勤務になりますので、よろしくお願いしますね〜」
来週から『V-utopia JAPAN』での車田の勤務がはじまる。
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