序章 終わらない夏休みのはじまり

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序章 終わらない夏休みのはじまり

 つくばの街は雨に包まれていた。  いつもならくっきりとした稜線を見せている筑波山も、雨に(けぶ)ってその姿を隠していた。  降り続く雨が窓にぶつかり、ガラスに貼られた会社のロゴマークに沿って水滴が流れていった。  雨音に覆われた会議室の中で、私は鞄の中に入っているものを一つ一つテーブルに出した。社員証、名刺、会社用のスマートフォン。今日ですべて返却しなければならないものたちだ。  名刺には窓ガラスと同じLの字のロゴとともに、私の名前が印刷されている。  株式会社LLユニバーシティ つくば支店 営業 藤沢果純(ふじさわかすみ)  苗字の前に小さく書かれた「営業」の二文字を見ただけで肌が粟立った。名刺から目をそらすと、会議室の扉が開かれた。雪だるまのような体形の総務課長が面倒くさそうな様子で部屋に入ってきた。  私が持ってきたものを広げたテーブルを一瞥すると「保険証はありますか?」と言った。私は慌てて財布の中から健康保険証を引っ張り出すと社員証の隣に置いた。  総務課長と言葉を交わすのは入社手続き以来だった。あの日は六名の同期と一緒にこの部屋で話を聞いたが、今日ここにいるのは私だけだ。  総務課長がチェックシートにボールペンで印をつけていく。年金手帳が手渡され、「源泉徴収と離職票は後日郵送しますから」と言われた。 「ご実家は神奈川ですよね? 実家に戻るんですか?」  チェックシートから目を離さないまま総務課長が言った。郵送先の確認のためだろうが、その声音に責めるような響きを感じ取ってしまったのは私の気のせいだろうか。 「いえ……実家には戻りません」
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