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「ひーちゃん、何怒ってんの。ウンコじゃないの分かったって」
「……うるさい! ばか! クジラくんのあほ!」
「うわ、バカって言われた。ひーちゃんがこんなこと言ってるよ、どう思う? 恐竜くん」
先ほどゲームセンターでゲットした恐竜のぬいぐるみに語りかけたクジラくんは、それを顔の前に持ってきてカクカクと首を動かしながら「ヒーチャン、コワイ! ソンナコト言ワレタラ、ボクカナシイ!」と、さも恐竜の言葉であるかのように代弁させる。
ピンクのトリケラトプスには何の罪もないが、ちょっぴり腹立たしかったのでそのお腹をポコッと一発殴ってしまった。クジラくんはすぐに「あっ、恐竜への暴力反対! 優しくしてくださーい」とわざとらしく指摘して、「はい、仲直りのちゅー」なんて言いながらわたしの唇に恐竜の口を押し付けてくる。
そんな彼の行動に、存外甘いわたしは怒りよりも愛しさの方が勝ってしまうわけで。先程まで尖っていた唇も徐々に緩み、無意識に口角が上がってしまう。
ああ、本当にわたしって単純だなあ。
「……今夜、おいしいお酒飲ませてくれたら許してあげる」
「もちろん喜んで。もうお腹空いた?」
「すいた……」
「じゃ、ご飯食べにいこっか。実はもう予約してあるんだよね」
「え、そうなの!?」
顔を上げたわたしに、クジラくんは手に持っていた恐竜くんの頭をこくんと頷かせて「ソウダヨ〜」と裏声で答える。仕事が早いなあと感心しつつ、わたしはころりと機嫌をよくして恐竜くんを奪い取ると胸の前で抱き締めた。
「なになに、どんなご飯? お肉? お魚?」
「肉」
「お肉!! やったー、お肉すきー! ねっ、恐竜くん! 〝ウン、ボク、オ肉ダイスキー〟!」
「ひーちゃん、トリケラトプスは草食だよ」
「このトリケラトプスくんは肉食なの!」
「そっかあ……」
すっかりご機嫌のわたしの頭をぽんぽんと撫でたクジラくんは、さりげなく手を取って「じゃー肉食恐竜もいることだし、早めにご飯食べに行こうか」と微笑む。わたしは「うん!」と深く頷き、その手を握り返して誘導されるまま彼について行った。
お肉ということは、やはり焼肉だろうか。
ぷりぷりのホルモン、こりこりのミノ、とろんと溶けちゃう上カルビ。濃いめの付けダレにたっぷり浸して、白いご飯に乗せたまま、ほくほく焼きたてのそいつをぱくんとひとくち! そして冷たいビールで流し込む!
はああ、楽しみだな、お腹空いたな〜。はやくお酒飲みたい。お肉食べたい。クジラくんと結婚して、本当によかったぁ〜。
……なんて、呑気に考えていたのだ。
数十分前までは。
「──お待ちしておりました、久慈様。本日は当ホテルをご利用頂き、誠にありがとうございます」
「いえ、予定より少し早めに着いてしまって申し訳ないです。もうレストランに向かっても?」
「ええ、もちろんでございます。本日は久慈様の貸切とさせて頂いておりますので、ごゆっくりお楽しみくださいませ。では、お席までご案内いたします」
「だってさ。良かったね、ひーちゃん」
にこり。クジラくんは振り返り、わたしに微笑みかけてくる。
一方で、わたしはこれまでの人生で一度も足を踏み入れたことがないような高級ホテルの内装を食い入るような目で見渡し、圧倒的に場違いな自分の容姿と格好に恥じらいを覚えながら引きつった笑顔を返した。
おいクジラ、お前ふざけてんのか。
こんな唐突に本来のお金持ちムーブをかましてくるな、本当に心臓に悪い。
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