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続けられたクジラくんの言葉に、どきりと胸が大きく跳ねる。すっごく大好きな彼氏──おそらく、高校時代に付き合っていた同級生のことだ。
昔から恋愛体質のわたしは、恋をするとたちまち恋愛一直線で盲目的になってしまう。いわゆる『ダメ男ホイホイ』の性質が既に完成されていたため、当時のわたしは付き合っていた恋人にとにかく夢中で、お店のバイト仲間やお客さんに幸せオーラを振り撒いてはしょっちゅう惚気話を聞かせていたのだ。
まさかそんな黒歴史をここで掘り返されることになるとは……と顔を青ざめてしまうわたしの傍ら、クジラくんは「俺、それがすごく眩しくてさ……」と意外な言葉を告げる。
「あんな風に、すげー幸せそうな笑顔で『大好き』って言って貰える男が、心底羨ましいと思ってた。……それと同時に、『こんな子に愛されたら俺も幸せになれるんだろうな』って思った」
「……え」
「俺、多分あの時からひーちゃんのことが欲しくなったんだ。本気で誰かが欲しいと思ったの、あれが初めてだったんだよ。眩しくて、キラキラしてた。この子に愛されてみたいってすごく思った」
クジラくんの瞳は、まっすぐと揺るぎなくわたしだけを映している。「しばらく経って、ひーちゃんは高校卒業するからってお店辞めちゃったんだけどさ……」と更に続けた彼は、眉尻を下げて渇いた笑い声を漏らす。
「でも俺、全然忘れられないし、諦めらんなくて。初めてあんなに一人の人間に執着して、必死に情報集めて探しまくった。今思うと気持ち悪いよな、俺」
「……」
「で、やっと見つけ出して……マジでストーカーかよって自分でも引くけど、わざわざ同じマンションの隣の部屋借りて強引に接点作ったの。それで、ひーちゃんに話しかけたってわけ」
自嘲的に笑って、クジラくんは首元を掻いた。一方で、わたしの脳裏には最初に話しかけてきたクジラくんの記憶が戻ってくる。
『──よろしく、神崎さん』
初めてマンションの通路で言葉を交わした時、そう言って笑った彼は、一体どんな気持ちでわたしに声をかけてきたのだろう。
「……俺、本当にひーちゃんが好きだったんだよ。人生で唯一、お前だけが、本気で欲しいと思えた人なの」
「……」
「セレブ育ちな俺が、こんなに必死こいて手に入れた人なんだよ? 釣り合ってないなんて、そんなわけねーだろ。むしろ俺の方が恐れ多いぐらいだよ」
クジラくんはわたしの手を握り、リングケースから指輪を取り出す。
左手の薬指を撫でる指先。なんとなくくすぐったくて、ほんの少しだけ身じろいでしまう。
「ひより」
名前が呼ばれて、俯きかけていた顔をもたげた。柔らかな表情の彼と目が合って、また目頭が熱くなる。
「ひよりは、ちゃんとキラキラしてるよ。出会った時から綺麗で眩しい。お前だけがずっと、俺にとっての宝石みたいなもん」
「……う、ぅ……」
「そろそろ、俺の物になる覚悟出来た?」
わたしのことを懐柔するのが、とことん上手なクジラくん。
本当にいちいちずるくて、優しくて、愛しい。
「……クジラくんのばか……」
「まーたそんなこと言って。顔も真っ赤にしちゃって可愛いね、俺の奥さんは」
「うぅ……ばか……好き……ばか……」
「俺も大好きだよ、ひより」
互いの手のひらが重なり、どちらからともなく指が絡まる。
数分前まで空白だったわたしの左手の薬指には、彼の物だという確かな証が、キラキラと光を帯びて輝いていた。
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