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頼むわ
マシディリが心配そうな表情を向けてくる。
これが他の人だったら、呆れた顔だったのだろうか。
「そこまで思い悩むのであれば、再度グライオ様に打診されては如何でしょうか。幸いにして、未だに婚姻の話は無いと聞いております」
「ユリアンナも乗り気では無かったからねえ」
「確かに、ベロルスは色々と。ウェラテヌスとしても仲良くはしにくい家門ではありますが。ですが、グライオ様の実力はユリアンナも認めております。年の差も、特段珍しい話ではありませんし、もっと離れた夫を持つユリアンナの友達もおります」
「その通りだよ。だからこそ、グライオに近い者、そうでなくともカウヴァッロ以上かつウェラテヌスに好意的な者を見繕わなければならなくてね。本当に、難しいよ」
ただ、十七だ。もう十七だ。
カリヨの婚姻は遅れてしまったが、今のウェラテヌスとは大きく立ち位置が違う。妹も居る。だからこそ、基準となるためにもユリアンナの婚姻は大事なのだ。
さらに、個人的には。ユリアンナが離れていくことが寂しくもある。
さんざん放置し、遠征に出かけていたのにとも思うが、それはそれ。これはこれだ。
しかし、そんな父親の我儘は娘に良くない影響しか与えないのも、また、知ってはいる。把握しても居る。が。割り切れれば、苦労はしない。
「まだ続きそう?」
ひょこ、とユリアンナが顔をのぞかせた。
部屋への接近に気づかなかったのは、それだけ思考の海に浸っていたからか。愛娘は、「何の話?」とするりするりと間に入ってきた。
「まあ、ね」
「ユリアンナの結婚をどうしようかって話だよ」
誤魔化そうとしたエスピラと、正直に答えたマシディリの声が重なる。
ユリアンナは、目を丸くして口元を隠すと、次の瞬間にはにやにやとしだした。
「ずっと残って父上の世話でもしようか?」
にやにや笑いを止めないまま、ユリアンナが机の横にまで来た。両手をついて、エスピラを見てきている。
「可愛い娘がいてくれるのは嬉しいけど、当主としては損失が多すぎるよ。ユリアンナほどのどこに出しても恥ずかしくない娘を手元に置いたままにするなんてね。しかも、プレシーモどころかカリヨ以上の才女だ」
「なるほど。父上は、私に嫁ぎ先を乗っ取ってほしいわけだ」
「そんなことは言ってないよ」
「カナロイアとかでも?」
エスピラは、苦笑いを崩さないように気を付けた。手も止めない。力も入れないようにする。
あくまでも、いつも通りだ。
何の変化も無い。雑談に付き合う父親そのもので。
「随分話が飛んだなあ」
「そう?」
軽い調子でユリアンナが机から離れた。
マシディリの顔もユリアンナを追って動く。
「カナロイアの王太孫は私とあまり歳は変わらないから、不倫の心配は減るんじゃない? それに、建国五門と王族となればアレッシアとカナロイアが同格だと明確に示せると思うケド。
カナロイアとしても優遇される地盤になるし、このままウェラテヌスが沈没しても兄上がアスピデアウスと繋がっているのならその筋からだって行ける。父上の復帰が為れば、エリポス諸国家はカナロイアに逆らうことが出来なくなるのも大きいんじゃない? カクラティス殿下はエリポスの覇権国家になりたそうにしていたしね。
それに、アレッシアとの付き合いが長い利点はマフソレイオが証明済みでしょ? 今も、多少の無礼は許される。対して、今まさに無礼を働いているエリポス諸国家は叔父上が政権を取り切らない限り必ず粛清される。
あと、ウェラテヌスの本流としての父上と兄上からしても、エリポスに嫁いだ系統ならばウェラテヌスの後継者候補にはなりえないから良いんじゃない? プレシーモの伯母上のような事件は減らせるよ。
それにさ、父上」
と、ユリアンナが飛び切りの笑顔を見せてきた。
口元を下げつつ、頬は緩みつつ。エスピラは、背もたれに体を軽くつけた。
「王太孫は知らない相手じゃないから。私も、嫁ぎやすいなあって」
ね。お願い。
そんな風な言葉を重ねながら、ユリアンナが上目遣いをするようにエスピラに強請ってきた。
可愛い娘だ。いつまでも。
お願い、父上。私だってウェラテヌスの役に立ちたいの。でも、やっぱり歳が近い人の方が良いし。それに、カナロイアならアレッシアにも頻繁に帰ってくることができるでしょ? ね、お願い。
そんな風に重ねられれば、エスピラが拒絶できるはずも無かった。
精いっぱいが、重いため息である。
「問題は山積みだぞ」
「大丈夫! そこは、私がやって見せるから」
「簡単に言うけどな。ずっと言語が違うところに住むのは精神的な負荷が大きいぞ?」
「大丈夫だって。父上も母上もエリポス語が堪能でしょ? 私だって流暢に話せるんだから。それに、寂しいとか言ってアレッシアにも帰ってくるよ。あ、何なら、まだ若いからってことで将来の夫と此処に来ようか? 最近、他国の人が来ていないから、余計に良い示威行動になるって、陛下や殿下を説き伏せられると思うけど」
エスピラは、マシディリを見た。マシディリの瞳に疲れているような表情を作っている自分が映る。
「父上が思っている以上に影響力の衰退は大きいのではと、弟妹も危惧しております。その中でカナロイアとの婚姻が為れば、非常に大きいのではないでしょうか。何より、ユリアンナならば可能だと私は信じております」
それは、完全な決めの一言だ。
流石息子。エスピラを良く知っている。
(兄妹で打ち合わせでもしていたのかねえ)
思いながら、エスピラはユリアンナに顔を向けた。
「分かった。やってみろ」
「やった! 父上大好き!」
ぎゅむ、とユリアンナが抱き着いてきた。
私も愛しているよ、と言いつつ、エスピラは首に回されたユリアンナの腕を軽く叩く。ぎゅらぎゅらと揺らされ、それからようやく解放された。
「じゃ、兄上。エリポスに関しては私もちょっともらうね」
マシディリも、肩をすくめるような笑みを浮かべた。
「頼りにしてるよ」
「まっかせてよ」
ぽん、と兄の肩を叩き、ユリアンナが跳ねるような軽い足取りで出口に向かう。
「あ、そうだった」
出る直前で、くるり、とこれまた軽やかにユリアンナが振り返った。
「べルティーナちゃんとちょっと散歩に行ってくるから。多分フィチリタもついてくると思うけど、良いよね」
「あとで雪だるまも作ってやるんだぞ」
「もっちろん。父上と兄上と一緒にね」
じゃーねー、とユリアンナが今度こそ出て行った。
軽やかな足音は、しばらく耳の良い父子に届き続ける。
聞こえなくなってから、二人の視線があった。
無言。
しばらく、ただ見つめあい。
視線を切ったのは、エスピラが先であった。
「カナロイアは遠いよ」
今日何度目かも分からない、くたびれた声。
「ユリアンナなら、しっかりと顔を出してくれますよ」
先ほどのエスピラの声と今のマシディリの声。
その色だけを聞けば、どちらが親なのかは判断がつかないだろう。
「だと良いな」
もう一度ため息を吐いて、エスピラは表情を整えた。
頭を上げ、マシディリに視線を合わせる。
「ただ、一応私もユリアンナの手助けに回るよ。あと、メルアの機嫌も見ておかないといけないだろうな。うん。フィルフィア様が就任祝いとかやりだしたら、頼むわ」
「母上については大丈夫な気もしますが、かしこまりました」
言って、マシディリが頭を下げる。
上がった時には、他に何か代わりにやることはありますか? なんて頼もしい言葉が無言でやってきたのであった。
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