黒い言葉

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黒い言葉

 「あのね、私ね」 それは何てことのない、普通の日の帰り道だった。 特別なことなんて何もなくて。いつもみたいに学校へ行って、授業を受けて。部活をして。あとはそのまま家に帰るだけ。 そんないつもの風景が広がるものだとばかり思っていた。 それなのに。 紅く染まった川岸の一本道。 夕日を背負った君が振り返る。 「好きな人ができたの」 その言葉を聞いた瞬間、僕から全ての音が遠ざかっていった。 え、と小さく溢す。 「好きな、人……?」 「うん」 少し恥ずかしそうに頬を染めて、君は微笑んだ。 嬉しそうに。 その仕草はとても可愛らしくてそれだけで僕の胸はいとも簡単に弾んだ。 「っ、あ……」 こういう時何て言えば良いんだろう。何が正解なんだろう。 わからない。 “いつも”が崩れていく。 “日常”が消えていく。 「……そっか」 僕は無理やり笑顔を作った。 「良かったね。応援するよ」 なんて、嘘つきの言葉。 良くなんてない。応援なんかできない。 僕が吐き出した言葉はとても黒かった。 それなのに君はすっかり信じきって、その好きな人とやらのことを楽しそうに話し出す。 バスケ部で。同じクラスで。 優しくて。かっこよくて。 この間お菓子を作って渡したら、すごく喜んでくれたの。 その時のことを思い出したのか、君はぎゅっと目をつぶって幸せそうに笑っていた。 「こんな気持ち初めて。好きって幸せだね」 「……そうだね」 ああ……僕は今うまく笑えているのかな。 ズキズキと痛みを訴えてくる胸を無理やり抑え込んで、精一杯の笑顔を取り繕う。 “好き”が幸せ? 違うよ。幸せなんかじゃない。 “好き”は辛いものだ。 苦しくて叫びたくなる。 楽になりたくてもなれなくて。 伝えたくても伝えられない。 ずっと報われない想いを抱えていなきゃいけない。 今までも、これからも。 それのどこが幸せなの? ねえ、と叫びたかった。 泣いてしまいたかった。 「どうしよう、どうすればいいのかな?」 またお菓子受け取ってくれるかな?と君はそわそわしている。 その姿は、恋する乙女そのものだった。 ……なんで。どうして。 僕の方がずっと好きだったのに。 僕の方がずっと傍にいたのに。 ……君の相手が羨ましかった。 同じクラスだからって理由で選んでもらえて。君の手作りのお菓子を貰えて。 僕が知らない君の姿を見ることができて。 全部全部、羨ましかった。 僕にはもう手に入らないものだから。何1つ手に入れることができないものだから。 握りこんだ手の平に爪が食い込む。 鈍い痛みが走ったけれどどうでもよかった。 “幼なじみ”なんて肩書きに効果なんてなかった。ただ君の視界から外される理由になっただけだった。 ……ねえ。 いっそのこと、今君に伝えてしまおうか。 好きって。 そんな奴じゃなくて僕を選んでって。 君はなんて言うかな。 今からでもいいから、僕のことを見てくれないかな。 僕じゃダメかな。 君の隣にいるのは、僕じゃダメなのかな…… 「佑人?どうしたの?」 君が僕の名前を呼ぶ。 信頼しきったような声で。 この黒い感情の存在も知らないで。 下から覗き込むように僕を見てくる。 僕はふいと視線を逸らした。 ……ずるいよ。 ずるい。 仕草も、言葉も、何もかも。 僕の心を掴んで離してくれない。 「……いや、何でもないよ」 ほらね、また今日も僕は言えないんだ。 弱いから。 この関係さえも壊れてしまうのが怖いから。 せめて自然に壊れるまで、君を繋ぎ止めておきたくて。 だからいつも踏み出せないんだ。 「相談なら、いつでも乗るからね」 僕は笑って、また黒い言葉を吐き出す。 それに気づかない君はパッと顔を明るくして。 「ありがとうっ、嬉しい!」 真っ黒な僕にフワッと笑いかけた。 ◆◆◆  正直、そこからどうやって家に帰ったのかは覚えていない。 気づけば制服も脱がずに自室のベッドの上で仰向けになっていて。カーテンを閉めていない部屋は赤く染まっていて。 それを見てまた、さっきの君を思い出した。 「っ……!」 込み上げてきそうになったものを必死に飲み込む。 血が滲むほど唇を噛み締めた。 それでもこの感情は消えてくれなくて。 「なんで……」 なんで僕じゃないんだろう? ずっと隣にいたのは僕なのに。 なんで。どうして。 そんな言葉ばかりが頭の中をループする。 辛かった。痛かった。 胸がはち切れそうなくらいに、苦しい。 こんなにも苦しいのに、逃れる術を僕は持っていないんだ。 腕を持ち上げて目を覆う。 そうでもしないと溢れてしまいそうだった。 いったい、この想いをどうすればいいんだろう。 消さなきゃ。でも消せない。 消すんだ。でも。 「嫌だ……」 消したくない。 この想いを、消したくない。 「ふっ……うっ……」 とうとう堪えきれなくなった雫が頬を伝った。 嗚咽が漏れて余計に自分が惨めに思えてきて。 でも嫌なんだ。 この想いを無かったことにするのは、君との思い出を無かったことにすることと同じだから。今までを否定することになるから。 だからそれだけは嫌だ。 震える息を吐き出す。 「……大丈夫……」 溢れたのは黒い言葉。 「大丈夫」 そうでもしないと自分を保っていられなかった。 「今まで、通りに」 すれば。きっと 「……だい、じょうぶ」 また、僕は嘘を付く。 ……ああ、僕は弱い。 今までも、これからも。 君が僕の想いに気づくことはなくて。 この想いをずっと抱えていかなければいけない。 それでも手離すこともできなくて。 『良かったね』 『応援するよ』 『相談ならいつでも……』 黒い言葉を吐き出す。 良くなんて無いのに。 応援なんてできないのに。 相談なんてのれないのに。 ……なにも、大丈夫なんかじゃないのに。 いつまで? いつまでだろう。 僕はいつになったら綺麗になれる? 捨てられない。伝えられない。 こんな想いをするくらいなら最初から好きにならなければ良かったんだ。 ━━“好き”なんて、“嫌い”だ。
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