1 屋上の歌姫

2/4
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
 彼女の歌声を聞いて、昔の記憶が僕の胸を()(めぐ)った。    それは、僕が小学生の時、高校生だった兄の学校祭に行ったことがあった。  体育館でコンサートイベントのようなものをしていて何気なく入ってみた。何の飾り気もない体育館のステージで、中年の男の教員が一人でギターの弾き語りをしていた。何の歌だったかは覚えていないが、歌っていたのは小太りのオッサンだったと言うイメージが今でもある。  その時、僕が今まで聞いてきた歌の中で、心底(しんそこ)本当の本当に上手(じょうず)だという歌を聞いた。  ギター1本で優しく歌う声が、僕の胸から聞こえて心に響いてきた。なんの変哲もないオッサン教員が、ゆっくりとしたフォークソングを歌っているだけだが、ずっとこのまま何曲でもこの先生の歌が聞きたい、終わらないでほしい。と言う気持ちに満たされた。その場にいた聴衆(ちょうしゅう)全員が()しみのない拍手(はくしゅ)を送っていた。  これこそが僕の中で「上手な歌」というイメージが出来上がった出来事だった。このオッサン先生の歌を聞いて以降、有名歌手のコンサートに行こうが、歌唱コンテストを見ようが、あの時のように心に響く歌を聞いたことがなかった。  それが、今、あの時以来の幻の歌声を聞いたのだ。中島緑の歌は、(まさ)に「上手な歌」だった。もっと聞きたい。いつまでも聞きたい。  ふと、彼女の歌声は僕だけが聞くにはおおげさだがあまりにも(おそ)れ多いと強く感じた。  僕の心の風船がはじけた瞬間だった。  中島緑の歌を、みんなにも聞いてもらいたい。本当の彼女を輝かせたい。  彼女がそれを望んでいるのかいないのかは、わからないが、僕は、明らかにそれを望んだ。  僕は、思い切って歌い終わった中島緑に声を掛けてみた。背後からなのでなるべく驚かさないようにソフトに言った。 「中島さん」  中島緑は、海の方を見たまましばらく反応が無かった。恥ずかしいのか、こっそり歌を聞かれて怒っているのか、戸惑(とまど)っているのかは僕にはわからなかった。  やがて、僕に背を向けたまま、言った。 「聞いてたのか?」  低い(おど)すような声だった。 「今の歌、聞いていたのか?」  再び彼女は言った。  怒ってるのだろうか? 「う、うん。聞いていました」  僕は、正直に答えた。(かく)しようがない。ごまかす気もないし。  中島緑が振り向いた。そして、 「そう。やっぱり三上君だったか」  と言ってほほ笑んだ。よかった少なくとも怒ってはいないようだ。 「あ、ああ。ごめん。黙って後ろで聞いてて、聞き()れてしまって」 「聞き惚れる? 何か古風(こふう)な表現ね。それって『聞き』と『惚れる』のどちらにウエイトがかかってるの?」  中島緑が、聞いて来た。僕は、意外だった。中島緑ってこんなにしゃべる子だったのか?
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!