一 入宮

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 二十三歳の若き王の即位に沸き立ったのは稜雅を支持していた一部の貴族だけで、民のほとんどは王が変わった恩恵で自分たちの暮らしがよくなることなどまったく期待していない。  戦乱の傷跡が生々しい城下や王宮の一部は焼け落ち、修繕のために人夫として男たちが駆り出され、税が上がり、物価も跳ね上がることを危惧している。  そんな市井の空気を知りつつも、稜雅は潦国を安定させるためにできることから始めるしかなかった。  まずは宮廷内の基盤を整えるため、前王の時代から宮廷で辣腕を振るってきた桓宰相と縁戚関係を持つことを決めた。  桓宰相は前王の代で、王を(いさ)めることができる数少ない人物だった。  稜雅が挙兵した際、彼と反乱軍を陰ながら支えた人物のひとりでもある。  さらに、稜雅の父が死去したとき、稜雅を自分の屋敷でひそかに(かくま)い、地方へ逃がしたのも桓宰相だった。  王家に連なる稜雅ではあるが、長らく宮廷から離れていた彼にとって、桓宰相の後ろ盾がなければ王であり続けることは難しい。だからこそ、桓宰相の娘を妃として王宮に迎えることは必須であると、誰もが稜雅の決断に納得した。  政略結婚とはいえ、王は自分で妃を選んだのだからそれなりに丁重に扱うだろう、と家臣たちは考えていた。  歴代の王の後宮として使用されてきた西四宮は、内乱時の出火でほとんど焼け落ちているため、急遽東四宮のひとつで王の部屋がある赤鴉宮の一室を妃の部屋として整えた。赤鴉宮に妃が入ることは異例の事態のため、東四宮に妃のための女官を新たに配置したり警備のための衛士を増やしたりと、ここ二日ほど王宮内は準備で慌ただしかった。  それでもなんとか形を整えて妃を迎え入れることができたことに、家臣たちは胸を撫で下ろしていた。  桓家からの花嫁行列は内乱後ということもあり絢爛豪華ではないが立派なもので、城下では見物人が列をなし、桓家では集まった人々に餅を配って祝ったという。  王宮でも衛士たちが正面の(こん)(おう)(もん)から倖和殿まで整列して仰々しく王妃を出迎えた。  なのになぜか、王である稜雅は着飾ることをせず、執務の際の簡素な着物のまま妃を出迎えた。
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