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第3話 想い人
あの日。
彼は黙って私の話を真剣に聞いてくれた。
そして「たいへんな思いをしたんだね」と言うと私の肩を優しく抱いてくれた。
すると我慢ならず、私の目からは涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「我慢しなくていい。泣きたいときは思う存分泣きなさい」
という彼の優しい言葉に、私は彼の胸に顔を埋め、なりふり構わず泣いた。
文字どおりの号泣だった。
そしてどれくらいの時間が経っただろうか?
少し落ち着いてきて冷静になって見ると、彼の着ていたローブは私の涙と鼻水で盛大に汚れていた。
──あぁぁぁぁぁぁっ! またやってしまった!
「ご、ごめんなさい。私…」
「大丈夫ですよ。なんてことありません」
「それより気分は晴れましたか?」
私はまだグズグズと半泣き状態ではあったが、気持ちはだいぶ楽になっていたので、「ええ。だいぶ楽になりましたわ。ありがとうございます」と途切れ途切れながらも答えた。
「では、皇城までお送りしましょう」
──えっ! 「皇城」って! 私の身分がバレてる?
まあ、彼も貴族っぽいから第1皇女の顔くらい知っていてもおかしくはないか…
それに彼にこれ以上迷惑はかけられない。
おとなしく帰ることにしよう。
「ええ。わかりました」
「お疲れでしょうから、魔法でお送りしますよ」
と彼はいとも簡単そうに言った。
しかし、魔法って…そんな魔法は聞いたことがない。
彼は、唖然としている私を転移魔法で皇城の門近くまで送ってくれた。
あとちょっとだけ門まで歩けばいいのだが、私は体がだるく、とぼとぼ歩いていると、彼は「お辛そうですね」と言うといきなりお姫様抱っこをして運んでくれた。
皇城の門に着くと現場は騒然となった。
こともあろうに第1皇女が若い男にお姫様抱っこをされて朝帰りしたのだ。しかも、第1皇女は鼻をグズグズいわせて半泣きの様子。
ただちに門番によって第1皇女と男は引きはがされ、第1皇女は自室に保護された。
◆
皇城に戻った私の環境は何ら変わることがなかった。
相変わらずやることがない。
それどころか、自殺未遂の事実が知れてしまったらしく、私に接する者たちは腫れ物に触るように対応がバカ丁寧になってしまった。
やることがないと思い浮かぶのは私を助けてくれた彼のことばかり…
──ああ。私好みのイケメンだったなあ…
でも、あんな痴態をさらしてしまったら、100年の恋も冷めるわよね…
「はあ~っ」
気がつくと私は大きなため息をついていた。
そういえば名前すら聞いていなかった。
私ってなんて薄情で失礼な女なのかしら…
「彼のことが気になりますか?」
と私付きの侍女ワンダが聞いてきた。
「彼って?」
「姫殿下を門までお送りいただいた彼のことですよ」
「ワンダは彼のことを知っているの?」
「ええ。もちろん」
「お名前はなんていうのかしら?」
「アマンドゥス・フォン・ラパツィンスキ様でございます」
「ラパンツィスキ家っていうと、まさかあの大賢者の?」
「ええ。アマンドゥス様は大賢者様のお孫様でございます」
それでか…
あれから調べてみたが、魔法というものは火・風・水・土の4元素魔法が基本で、それから外れる魔法は高位の術者しか使えないらしい。
人の体を運んだり、転移したりといった魔法は元素魔法から外れるものだった。
──彼は高位の魔導士とは思っていたけれど、そういう血筋だったのね…
「そういえば、あの日別れた後、彼はどうなったのかしら?」
「なんだか憲兵に拘束されて長時間の尋問を受けたとか」
──しまったーっ! 何やってるんだ私!
私がひと声かけておけば、すぐに帰れたものを…
なんたる思慮不足…
でも、憲兵も私に事情を聞けばよさそうなものだけれど…って聞けなかったんだろうなあ…
「それで彼は帰されたのよね」
「ええ。尋問は受けたものの、お咎めはなく帰されたそうです」
「はあ。それは良かった」
「姫殿下。そんなに気になるのであればお召しになればよいではないですか?」
「な、何を言うの! ワンダ」
──第一印象は最悪だというのに、皇室の権威をもって強制的に出仕させるなんて…それはないわぁ。
◆
それから1週間。
ワンダに言わせれば、私は知らず知らずのうちにため息をつきっぱなしだったらしい。
思いがけない言葉をワンダが言った。
「お客様がおいででございます」
「お客様?」
特に最近は私に気遣ってお客様など皆無だったのに…誰だろう?
「いいわ。通して」
私は客人の姿を見て目を見張った。
「ラパツィンスキ様!?」
急な驚きに私の心臓は鼓動を早め、背筋の神経がぞくそくし、鳥肌が立った。
その直後軽いめまいを覚え、体がふらつく。
ラパツィンスキ様は素早く私に駆け寄ると倒れないように体を支えてくれた。
「殿下。無理をなさらずお座りになってください。それともベッドで横になりますか?」
「ありがとう。椅子に座るわ」
──それにしても…ワンダが裏で手を回したのね…
「お加減を伺いに来たのですが、まだまだのようですね」
「ええ」
「夜は眠れていますか?」
「それが…寝つきも悪いし、なかなか熟睡できなくて…」
「そうですか…気鬱の病を治すためには生活習慣を改めることが大切なんです。そのために実践したらよいことをメモしてきたので、よろしければ試してみてください」
ラパンツィスキ様はメモを私に手渡した。かなりの厚さがある。
「ありがとうございます。助かります」
ざっと目を通してみるが、様々なことが事細かに几帳面そうな美しい筆跡で書いてある。
だが、わたしはあることが気になっていて内容がなかなか頭に入って来なかった。
意を決して訪ねてみることにする。
「私の記憶が混乱しているのかもしれませんが、助けていただいた時、キ、キスを…」
なんだか尻すぼみになってしまった。
でも、あれが夢でなかったとしたら、私にとってのファーストキスなのだ。真相はぜひ聞いておきたい。
が、彼はこともなげに答えた。
「ああ。あれですか、その節は失礼いたしました。
実は私が姫殿下を助け出したとき、呼吸も心臓も止まっていたのです。そこで我が家に伝わる蘇生法を行わせていただきました。
口から息を吹き込み、心臓を押して圧迫を加えることを交互に行うのです。成功したときはほっとしましたよ」
ああ。蘇生法とはいえ、キスをしたのは本当だった。
それに心臓を圧迫って…胸も触られたってこと!?
意識を失っている間ではあるが、一気に大人の階段を上がった気がして、とても恥ずかしい。
恥ずかしさで顔が赤らみ、上気するとともに、神経が興奮したのか、また背筋の神経がぞくぞくした。
私は、素知らぬふりをしてお礼をいう。
「そ、そうだったのですね。それは本当にありがとうございました」
「こちらこそ。姫殿下にあのようなことを行ってしまい、大変失礼いたしました」
それからラパンツィスキ様はメモの内容を説明してくださったのだが、私はボーっとしてただただラパンツィスキ様の顔に見惚れてしまっていた。
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