【おまけ】某所にて

1/1
222人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ

【おまけ】某所にて

 開けられたドアから現れた人の大きさに、一歩引きそうになりつつ踵に力を込めて耐えた。 「こんにちは。宮田颯です」 「どうぞ」  声は震えていなかっただろうか。もう少し堂々と言えたらよかったと、その人を見上げ思う。  横に立つ真也の手を一回握りしめ、部屋に足を踏み入れた。  指定されたのはホテルの一室。少しも桃を前に出さなかったこの人が、彼の運命の人なのだろう。  本当は真也を連れて来るのも嫌がられていた。真也はアルファだから、もし万が一があってならないと桃の恋人であるアランは思っていたんだろう。だけどこちらはこちらで真也が、俺を一人でここに行かせるのを嫌がった。理由は同じ。アランがアルファだからだ。  桃と俺はお互いの恋人をバカみたいだなと思っていたけれど、よく言えば愛されているということだし、何よりせっかく会える機会を潰されても困るから大人しく従うことにした。  会うのはアランが指定したホテルの一室で、お互いの番を置いておくこと。  最初は真也の、上条家に招こうかと思ったけれど拒絶された。上条家だと真也のテリトリーだからだろうと桃は言う。何かを隠されていたり仕掛けられたりしたら困るからって。用心深いなって笑ってしまったけど、アランにとって大事な番である桃を絶対に傷つけられたくないんだろうとは理解した。 「はやてちゃん」 「桃……久しぶり。違うか、はじめまして?」  画面越しでしか会ったことのない桃。顔は知っている。身長も知っている。好きな食べ物も洋服も知っている。一緒に暗い未来を語って、平凡な日々を過ごしていた。 「そうだねぇ。変なの」  笑った桃は可愛かった。画面で見ていた通り、ふわふわの頭が揺れる。  こっちこっちと手招きされて、窓際の席に案内される。真也を部屋中央のソファに置き去りにしたまま、少し離れた。やたらと広く、一室とは言いにくいこのホテルの一室で彼らは数日過ごすという。  日の当たる窓際では外の景色がよく見えた。整然と並ぶビル群も、その一画にある公園の緑も。  この街に、俺は一人で来られなかった。真也が付いて来たがったからというわけではない。ここはアルファとベータの街で、オメガなんか殆どいやしないから。  桃は首に保護具を付けている。  このホテルに滞在している間、いくらアランが常に一緒にいるとはいっても、周りはアルファだらけだと思っていい。番になってしまえば他人にフェロモンの影響を及ばしにくいとは聞くけれど、もし万が一イレギュラーが発生してしまったらどうなるか。もし、フェロモンなど関係なくオメガだからという理由で襲われてしまったらどうなるか。彼らは多分、それを恐れている。  首を見ているのがばれたのか、桃はそれに触れた。 「これはねぇ、お出かけの時にはつけてもらうんだ。ボクがね、それがいいなぁって思って。でも、お散歩の度にだなんて犬みたいだよね」  桃は続ける。 「いろんな色があるんだよ。洋服に合わせて好きな色を付けてる。硬い奴もあるし、首全体を覆うただの布みたいなのもあるよ」  桃にとってそれはもうファッションの一部のようなものなのかもしれない。 「桃は、海外に引っ越しちゃったけど……どう?」 「天気のいい日にはお散歩に出て、雨の日には部屋の中から雨粒を見てるの。ボク英語だって勉強してるんだけど、アランは日本語使ってくれるし、他の人とは全然会わないから全く身につかない」  画面越しのいつもの雑談と、桃の様子は変わりない。嘘をつかれているわけでもなく、実際にそうやって過ごしているんだろう。 「どんより曇りの日も多いよ。そんな日は、なんだかこっちにいたときと同じに感じるんだ。ボクが一人でお日様のないお店にいた時みたい。なんでだろうね。王子様が現れて外に連れ出してくれたのに、前と変わりなく感じることにほっとする」 「夢みたいで夢じゃないからかな」 「そうかな? そうかも。アランと初めて会った時、そういやそう思ってたなぁ」 「夢みたいって?」 「うん。だって、ありえないでしょ」  運命の番なんてないはずだった。そんなもの、存在しないはずだった。 「はやてちゃんが先に、上条さんに見つけてもらったでしょ? そのときね、あーやっぱりなーって思ったの。それに、じゃあもう無理だなってちょっとだけ吹っ切れたっていうか、あきらめがついたんだよね」 「なんで?」 「だって身近な人に幸運が降ってきたら、それで終わりって感じしない? そんなにたくさん、幸運は余ってないでしょ?」  その時のことを思い出しているんだろう。桃は少し苦い顔をして笑う。  先ほどから送られてきていた視線の主が一人席を立ち、お茶を持ってきてくれた。アランは桃の頭を撫で、優しく額にキスをした。ありがとうと笑い返す桃に、俺は――。 「すっごい聞き耳立てられてるね」  桃はきっとあの時の思いをアランに話したことがあるんだろう。彼の胸で泣くこともあったかもしれない。 「桃のこと心配だったんだ。でも俺、上条が桃とアランのこと調べてくれなきゃ何もわからないままだった。今だってこんなところ、一人で来るのは難しいよ」 「大丈夫」  桃はもう一度、今度は強く言った。 「大丈夫だよ」  部屋を出てすぐ真也と手を繋いだ。なんだかそういう気分だった。 「アラン大きかったなー」 「背が高いほうが好き? ちょっと人工骨折してこようかな」 「何怖いことを」 「骨折が治る時に引き伸ばさせるんだよ」  人工的に骨折させるってハンマーで足でも叩き折るんだろうか。それとものこぎりで? スプラッターホラーじゃん。 「いや、俺はあの人が背が高いからかっこいいとか好きとかじゃなくて、ただ単純に『背が高かった』って事実しか言ってないから。それにお前別に低くないだろ」 「そう?」 「そう」  アランの背は高かった。桃の画面に映りこんでくるあの人を、そう知ってはいたものの現実に見るとやはりでかいという感想が出た。大きなあの人なら物理的に桃を包み込めるだろう。 「桃可愛かっただろ」  俺の問いに、真也は少し考えてから「そうだね」と同意した。 「整った顔をしている子だったね」 「顔も可愛いし、雰囲気も可愛い。守ってあげたくなるような」  真也は話を聞いているけれど頷きはしない。きっと俺に遠慮をしている。 「あんだけ可愛い桃に"良い相手"がいなかったんだよ。運命じゃなくたって桃を欲しがるアルファがいてもよかったのに」  でもいなかった。店でアルファの相手をしても、桃を連れ去る人はいなかった。結局アルファにとってオメガとはそういうものなんだ。いくら可愛くて魅力的でも、運命でなければ恋人にすらなろうとはしない。その候補には上がらない。 「桃の話を聞いてあげられてるつもりだった。せめて話くらいはね。でも、話すらも聞いてあげられてなかったのかも」  ちゃんと心の内を吐き出してもらえてはいなかったのかも。  アルファはオメガを取って食うわけじゃない。きっと思ったよりも優しくて親切で、だけど少し、ほんの少しだけやっぱり生きている世界が違うと思う。 「颯もあの子も同じオメガだけど、君たちは違う人間だからね。共感できるところはたくさんあっても、思いが違うのは仕方ないと思うよ」  ホテルのエレベーターに乗り込み、真也の陰に隠れるようにする。取って食われはしないのに、知らないアルファが乗ってくるかもしれないのは少し怖い。  少しだけ生きている世界が違って、だけど重なっていて、思いも言葉も通じてしまって、理解できるけどやっぱり奥底では理解できない。他人だから欲しくなって、他人だから怖くなる。  呼応するように握ってもらった手。アルファの真也を、俺は信じている。 「アランが言ってたよ。『はやてちゃんに会わせるつもりはなかった』って」 「だろうね」 「でも会わせてよかったって」  エレベーターを降りれば視界が開ける。日の光が差し込み、高い天井に吊るされたガラス細工に反射する。 「これからもたまになら(・・・・・)会おうってさ」  言い方に笑ってしまった。  きっとアランはあの部屋で、桃を膝に乗せるほど近くにいたかったんだろう。何を話すのか、俺が桃を傷つけやしないのか、もしかしたら――奪い返されるとでも思ってたのかな。だって俺はアランに桃を取られた気分。 「また会うときは、お前も一緒にいてよ」 「もちろん。言われなくても」  強く頷いた真也は、人を取って食いそうな笑みを浮かべた。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!