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3-4 好き
風呂から上がりポンポンと柔らかなタオルで撫でるように体を拭かれた。
自分でやれると口にしたが、彼はニコニコとしているだけで全く理解してくれなかった。
経験上、アルファと行為をしている最中はとにかくその人のことが欲しくなる。
欲しくて欲しくてたまらなくて、与えられれば全身が喜ぶ。
でも終わってしまえばそれまでだった。
アルファの種を貰えば身体は落ち着き、同時に理性ではなく本能で動いていたことを実感する。
相手のアルファも同様で、彼らは目も合わせずボクの身体を放り出し店を去った。
青い目のこの人と、途中までは同じだった。
でも僕は最初から最後まで理性があった。
この人を欲しいと叫ぶ身体は同じなのに、ちゃんと自分がまだいる。
優しく体を拭かれ、髪を撫でられ、自分が着ていたのとは違う新しい服を与えられた。
噛まれたからだろうか。
番になってしまったからこの人は僕を大事に思ってくれるのかな。
本能の結果だったとしても、嬉しかった。
与えられた白いシャツは大きいしさっきまで彼が着ていたものと同じに見えて、この人のものなのだろうと思った。
もしかしたらボクの服はよっぽど汚れていて捨てたか、洗うかされているのだろう。
目の前の彼はその服を着たボクに喜んでくれた。
多分、喜んでいる。
分からない言葉で何かを言う顔はとても嬉しそうで、ボクは勝手にいい方向に捉えることにした。
言葉がわからないのが不安だ。
でもその内容さえも悪い想像をしてしまうことは無いと思った。
そんな無駄に自分を苦しめることはせず、一時でも自分にとっての幸せを思い描いても良いと思った。
例えこの人が実際には笑顔で僕を蔑んでいたとしてもボクにはわからないのだ。
それなら、いい方向に勝手な想像をしよう。
手を繋がれ部屋に戻ると先ほどまでは無かった食事が用意されていた。
彼は当たり前のようにボクを膝に乗せ、それを少しずつ口に運んだ。
飲み物を飲むのは零しそうだから自分でやるとアピールしたけれど、甘いニンジンや柔らかな肉を口を開けて待った。
もぐもぐと噛むのを彼はうんうん、と頷きながら見ていた。
部屋のカーテンは全て閉まり、見回したが時計もなかった。
今が何時なのかもわからない。
お腹が空いていたから食べ、その後ボクは彼と少し話をした。
話をしたと言っても言葉が分からないのだから会話のキャッチボールは成されていない。
でもボクを助けてくれたのだろうからその感謝とあの時の状況の言い訳をした。
彼はまるでボクの言葉がわかる様に時折彼の言葉で返事をした。
今はもう住み分けもされているしオメガは保護具で自衛しているし殆ど無いことだけど、本能の結果番になってしまうことがある。
双方望まぬ本能の結果だ。
別に番になったからと言って夫婦になるわけではない。
オメガはその後いつまでもずっとその人だけを求めることになるけれど、アルファはそうじゃない。
だから大抵は、悲しい一人のオメガが生まれる。
事故だ、という認識がある。
仕方のない事故だった、としてアルファはオメガを捨てる。
ボクもそうなるのだろうと思った。
「貴方と一緒にいたい」
言ってみるけれど彼は先ほどと同じように優しい笑みを向けるだけ。
何も伝わらない。
自然と涙が零れた。
どうせ、そんなものなのだ。
「―――――。――――――――」
大きな手が涙を拭う。
優しくされればさらに抑えきれない涙がどんどん流れ落ちた。
彼はボクを抱きしめてくれた。
繰り返し同じことを言われた。
もしかして泣かないでと言っているのかなと、ボクは都合のいい優しい慰めを想像した。
思ったよりも涙は溢れたし、セックスの疲れもあってかボクはまた眠ることができた。
目覚めたベッドに今度は彼と共に入り、逞しい腕に抱かれた。
これが永遠だったらいいのにと、瞼の裏で思った。
***
彼と過ごしてからどのくらい経つだろう。
カーテンはしっかりと引かれたままで一切の光が漏れ入らない。
目が覚めたときに彼がまだ隣に居ればボクはそのままくっついていた。
隣にいないときは部屋を出て、最初と同じように座っている彼のところへ行った。
下着もつけずに彼のシャツを着て歩き、お腹が空けばご飯を食べて、眠くなったら眠る。
彼がボクを求めるのに応え、その時だけは精一杯甘えた。
この幸せがいつまで続くのかはわからないが、ボクを離したくないと思ってくれたら良いと思った。
番になったせいで薬も飲まなくていいし、最初にたっぷり中に出してもらったおかげで心が落ち着いてもいる。
もしかしてこれはボクの夢なのかな、と思い始めた。
あの日倒れて、ボクは事故にでもあって生死の境にでもいるのかもしれない。
それとも、目が覚めたらあの日の続きが始まるのかな。今は自分の部屋で倒れていて、副作用で意識を失っているだけとか……。
そうでなければ有り得ないことだった。
***
彼が部屋からいなくなっていた。
勝手に開けるのはいけないかと思いつつも他の部屋のドアも開け、どこにも彼がいないことを確認し不安になった。
広い部屋は広すぎる。
閉じられたカーテンに手をかけた。
これを開けたら目が覚めてしまうんじゃないかと思い、戸惑う。
今目覚めていいの? 自分に聞いた。
今目覚めたら全てなくなってしまうけどいいの?
優しい彼にはもう会えず、きっと薄暗い部屋でボクは毎日泣くことになる。
また店に働きに出て、彼を求めながら知らないアルファやベータの客と体を重ねるんだ。
怖かった。
今のままでいたいと強く思ってしまった。
カーテンから手を離し、彼がよく座っているソファに座る。
服は大きくて、膝を抱えれば服の中にすっぽり収まった。
これが夢だというのなら、ボクの服が無いのは自分を捨てたい表れではないかと思った。
彼の良い匂いが嗅ぎたい。強く思う。
あの腕に抱かれたい。
何度も体を重ねて、好きだと叫びたい。
ボクの言葉を理解してくれなくてもいい。ただ、言いたい。
ボクを救ってくれたあの人に、ただ――。
目が覚めると、ベッドにいた。
暖かい匂いに包まれている。
ボクの身体を抱きしめる腕、頭を動かせば、ぱたんと頭の上で本が閉じられた。
「あ……」
帰ってきた。
まだ夢は続いている。
「――――――、――――――――――」
ぐるりと体を彼に向ければ、何かを言われる。
わからない。分からないけれどボクにも言いたいことがある。
「好き。貴方が好きだよ」
伝わればいい。
その顔を両手で捕まえて、キスをする。
そのまま彼の上に登って、ボクより大きな体を下に敷く。
「お願い。貴方といさせて」
伝わる心臓の音は、夢のようには思えなかった。
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